『日刊 気持ちいいもの』というメルマガをほぼ毎日書いている。
今日も書いた。
いろんな発見があるのだが、これは忘れたくないと思う発見があったので書いておく。
比較的長い文章を書いた。
こんな文章だ。
幸せになるということ
「幸せになる」というのはどういうことか考えてみた。
それはとても個人的で、一般の人には当てはまらない答えだったが、それこそが大切なのだと思うようになった。
その考えの入口はそこではなく、「なぜヒーリング・ライティングを無料で提供できるようにしたかったのか?」だった。
1997年からヒーリング・ライティングというライティンクグ・ワークショップを提供してきた。
それがいったい何なのかをいまでもときどき反芻するように考える。
はじめてから数年で「これは愛情や幸せ体験の商品化だな」と思った。
だからいつか無料にしなければならないと思った。
当時はなぜ無料にするのか、うまく説明できなかった。
いまでもまだすべての人にはっきりわかるような説明はできない。
でも、ここ(日刊 気持ちいいもの)に書いていることをずっと黙って読んできてくれた人たちには、なんとなくわかるのではないだろうか?
きっとその人たちも、はっきりとは説明できないけど、なんとなくわかっているのだ。
この「なんとなく」の正体は何か?
それが「生きていること」なのだと思い至った。
さて、この説明がとても難しい。
人間には「なんとなく」思い当たることによる飛躍がある。
思考の多くがその飛躍をもたらす。
飛躍はそれ以前に考えたこと、体験したこと、それにまつわる感情などから生まれてくる。
だから飛躍によって思いついたことは、僕にとっては必然だが、他人にとっては必然かどうかはわからない。
僕の内側に眠っていた関係をひとつひとつつまびらかにして、多くの人にとって「なるほど」と思える説明と、その説明によって喚起されるその人の内側に眠っているストーリーを浮き上がらせなければならない。
さて、なぜヒーリング・ライティングを無料にしようとしたかだが、それは愛情や幸せ体験は商品にしてはならないと考えたからだ。
なぜそう考えるのか?
もし愛情や幸せ体験を商品にしてしまったら、僕の仕事は「愛情や幸せ体験を与えること」となり、「愛情や幸せが人の内側にあるものではない」としてしまいそうだったからだ。
それは僕がそうするのではない。
いつも愛情や幸せ体験を感じる人が、ヒーリング・ライティングを体験することでそれを感じていると、「それなしには感じない」という状態にならないかと心配してのことだ。
もしヒーリング・ライティングを提供するプロになるのだとしたら、そのくらいに先鋭化しなければプロとは言えないだろう。
だから、何かが違うのだと感じた。不労所得という考えがある。
みんな不労所得が欲しいと考える。
一度それが得られれば、一生それで暮らせるかもしれない。
したくない仕事はしなくてもよくなる。
本を書いて生きるということは印税という不労所得を得ることだという。
でも、僕の興味はそこにはない。
では、本を書くことのどこに興味があるのか。
それは、幼い頃からの体験に大きな根元がある。
うちには古本屋を開くことができるほど本があった。
木造家屋にただ本棚を置くと、その本棚があまりにも重くなってしまって、ついには床が抜けたりするので、本棚を新しく作るときには土台から作らなければならなかった。
そんな特殊な家に住んでいた。
幼い頃から家中にある本の背表紙を見ながら暮らした。
変な本がたくさんあった。
拷問の仕方とか、即身仏になる方法とか、売笑についてとか、普通の家庭にはこんな本ないよなと思う本であふれていた。
ある日そういう本の中から一冊を手に取る。
幼い頃にはまったく理解できなかった本が、理解できるようになっていく。
それが僕にとっての幸せだった。
そういう幸せに触れ続けるために本を読み、本を書く。
これを書いたあとで、ヒーリング・ライティングのくだりは消した。
なくても意味は通じるし、そもそも『日刊 気持ちいいもの』は短い文で構成している。
その短い文章はこちら。
しかし、消去した部分がないと僕の気持ちは動かない。
いったい何が僕の気持ちを動かしているのか。
精査するといくつもの理由が見つけられる。
それは「いま」の自分に大きく関わっている。
だから、「いま」を忘れた未来の自分が読んでも、きっと意味がわからないだろうなと思う。