「ザ・コーヴ(The Cove)」がアカデミー賞を受賞しました。
今月発売のEnglish Journalにザ・コーヴの主人公、リチャード・オバリー氏のインタビューが掲載されています。オバリー氏の紹介文を僕が書かせてもらったので掲載誌が届きました。
「The Cove」という映画は日本のメディアにはどこも悪者のように書かれていますね。でも実際に見るとそうでもないですよ。見る人によってみんな言うことが違います。つまり、それは感じる場所がたくさんあり、現実の複雑な状態が表現されていると言うこと。確かに太地町の漁師は悪者のように見えるかもしれませんが、冷静な目を持った人には煽るような映像はすぐにわかるので心配することはありません。まずはこの映画を撮った人たちが何を言いたかったのかをじっくり感じてみればいいのです。そのうえで反論なり・賛意なりを示せばいいでしょう。
煽るような言葉や映像に惑わされて、自分が感じるべきことを見失わないようにするのが大切ですね。
今日新聞でアカデミーのことを知りました。
まさか受賞までするとは思いませんでした。
所詮、アカデミー賞もその程度の賞なんだな
ってちょっとがっかりしました。
他国に対する配慮が少しはないのかな、とも感じました。
「千と千尋の神隠し」や「おくりびと」で日本作品受賞で
喜んでいた自分がバカらしく思ってます・・・
まあ、仕方ないね
>グレートシング
>他国に対する配慮が少しはないのかな、とも感じました。
良い作品を評価するのがアカデミー賞です
何故そこに他国に対する配慮などという胡散臭いものが必要なのですか?
まるで賄賂まで肯定しそうな勢いですね。
自分達に都合の悪い映画が受賞すればアカデミー賞自体までも
>所詮、アカデミー賞もその程度の賞なんだな
とは、程度が知れる。
身の程を弁えてください。
始めまして。
昨日の『The Cove』アカデミー賞受賞のNEWSに動転して、ネットサーフィンでこちらのページを見つけました一映画ファンです。
この作品は、昨年夏くらいに劇場予告を見ており、あまり気にもしていなかったのですが、こんなに反響があるなんて、と正直最近の日本バッシング的風潮もあり、警戒警報がずっと鳴りっぱなしです。
ワタシの両親とも和歌山にルーツがあり、母方の先祖は海のそばに住んでいたので遠い出来事ではありません。
なんだろう、この動きは、ということでずっと情報を集めていたところ、こちらで色々勉強させていただきました。ありがとうございます。
このNEWSに対しての反響もいろいろ読んできましたが、その中では大半の日本人は「生きとし生けるものは平等」というテーマを踏まえて反応していると思いました。
しかし、太地町が出した声明のような、「法律で認められた行為なので、理解してほしい」だけではいまひとつ対外的説得力に欠ける気がします。立ち入り禁止や監視措置も、妨害行為がある限り仕方がないとはいえ、やはり隠蔽行為は第三者から見た場合うさんくささを連想させますし。
親密になってしまっても食す、という行為は本当に日本文化と言えるものなのでしょうか?もちろん、マタギやサンカ、アイヌといった人々は狩猟の世界でそれなりの作法を培ってきましたよね。海彦びとの供養塔もその流れでしょう。
アメリカ人が自らの建国時の代償行為として、特定生物の保護活動をワンアースの象徴とする、という説にはなるほど、と思いました。そして我々日本に疑問がなげかけられているのであれば、答えねばならないと思います。しかし、論拠がいまひとつ定まりません。「いのちのいただき方」とは?本当に異文化の人々に、日本文化が熟成してきたもので説明可能でしょうか?
今はとりあえず「もったいない」と「いただきます」がキーワードかと思っているのですが、何か他によい言葉があれば是非お教えください。
初めまして。予告編しかみてないのですが、、
>煽るような言葉や映像
詳しくないのですが、ドキュメンタリーとは、そのような文法が許されるのでしょうか?
そして、それが、アカデミー賞という権威に認められています。
映画とは、一種のコミュニケーションだと思っておりました。その点で、『盗撮する』『太地町の人の粗野な行動を予告編に登場させる』という行為は、コミュニケーションの放棄です。それを受け取った、当事者日本人は、どう行動すればいいのでしょうか?
>まずはこの映画を撮った人たちが何を言いたかったのかをじっくり感じてみればいいのです。
つまり、この映画は、『ジョーク』だと受け取り、その裏の真意を汲み取らなければならないのですか?ジョークよりも、『悪意』や『不理解』のほうが強く感じられてしまうのです。
この映画を上映しないようにと働きかける動きもあるようですが、ぜひ、全編を見たいと思っています。
>>kさん
返答するときは「さん」ぐらい付けてください・・・
たとえば同じ国内(つまり米国)のイラク戦争問題や
中国のチベット自治区での人権問題についての映画ならば、
賞を取るのは分かります。
人の命は国家よりも大切ですから、人命をないがしろにする国は
当然非難されるべきです。
でもこの作品はイルカを殺すことに対して国を非難しているわけです。イルカが人と同列にみなされているのです。
その上、食用に殺しているのをさも虐殺しているかのように
「煽って」見せています。
日本人ならば一目で「煽って」ると判断できますが、文化の異なる
欧米人はそれが事実だと思い込みます。
つまり「The Cove」はイルカ漁告発のプロパガンダに過ぎないのです。
そんな作品が世界で最高の映画の賞に選ばれたのですから、
最近だらしないと感じませんか?
もちろん、すべてのアカデミー賞がダメとか言ってるわけじゃないですよ。
グレートシングさん、ようこそ。
「The Cove」は映画としては面白かったですよ。
見たら多くの人は説得されると思います。
だからと言って見るのを禁止させるのも変だと思います。
いろんな人にいろんな意見があるのですから。
アメリカで海洋保護を訴える人が、日本のイルカ漁を見て言いたかったことを言っている映画です。見たい人が見て、見たくない人が見なければ、それでいいんじゃないでしょうか。
kさん、ようこそ。
ここでは語り合っている内容に集中できるよう、ある考えを持っている人をおとしめるような発言は控えてください。よろしくお願いします。
kumirinさん、ようこそ。
動物と親密になっても食すというのは、別に日本に限ったことではありません。世界中どこでも、かつては食べる人が食べる動物を見ることができました。いまは動物と肉が切り離され、わからなくされていますね。
日本から何を発信するべきか、それを考えなければなりません。おっしゃるように「もったいない」と「いただきます」はキーワードになるでしょうね。それから、誰かがBlogに書いていたのですが、「ありがとう」という言葉も海外の人には響くそうです。「Thank you.は日本ではありがたい(It’s a miracle.)というのです」と伝えるといいそうです。
ほかにもどんな言葉があるのか、一緒に考えましょう。
日本に対してものすごくシンパシーを感じている人たちが現れているから、その反動として日本を叩きたくなる人もきっといるでしょうね。
tsurushuuさん、ようこそ。
ぜひ「The Cove」を見てください。日本人は少し過敏に思います。太地町の漁師たちもきちんと言葉を使って、なぜイルカや鯨を捕まえるのか、学者や表現をする人たちの助けを借りて表明していけばいいのにと思います。
どんな映画を作ろうと個人の勝手なのですが、その映画が
「アカデミー賞に選ばれる」ことが問題なのですよ。
賞に選ばれなければ大して話題になりません。
あえて反響を呼ぶために賞をあげた、という意図をどうしても
感じてしまうのです。
あと、太地町の人から説明をすればいいと書かれてますが、
ただの一市町村の住民がなぜ全世界に発信する必要があるんでしょうか。
逆に反対派の人がこちらに来て、もっと日本の文化・現状を理解
してほしいです。
また日本側からするなら、むしろNPO等ボランティア団体の方が
得意そうなのでそういう方が海外に発信してほしいな~と期待してます。
自分は英検3級なので無理そうです。
全然関係ありませんが、イルカ肉を通販しているサイトとかご存知ないでしょうか?
クジラは普通にあるし食べてるのですが、イルカはないので一度食べてみたいです。
自分は関西出身なので太地町に近いから現地に行って食べてもいいんですが・・・
先日は、動転のあまりのっけから誤字のごあいさつで、大変失礼いたしました。
改めまして、お返事ありがとうございます。
そうですね、この「ありがとうございます」という言葉は、何かと自然に口について出てきますね。
先日、TVで拝見したのですが、谷亮子選手が田村姓時代に対戦したことのあるフランス人の女性柔道選手があることで断りの言葉を口にしたのに、話相手の日本人が「ありがとうございました」と言った時、
こういう場合に「ありがとう」と言うという文化(?)を柔道によって知ったことを誇りに思う(日本語吹き替えでしたので意訳かもしれませんが)と話していることが紹介されていました。
これはそのリポーター日本人が、柔道家であるという女性に腕相撲を挑んだところ実力の違いを指摘し、ある意味相手をを見下す、というニュアンスも含まれていたように思いましたが、
怪我をしないように気遣ってくれたと思ったので御礼を言っただけかもしれない日本人のその言葉によって一瞬でも他人を見下ろした自分を女性が内省したかのようにも見えました。
しかし、会話の中であまり「ありがとう」乱発をすると、かえって軽くみられてしまうということもあるのでは?
すみません、と共に使い方がむつかしい言葉やなあ、と思っていま
す。
こちらで紹介されておられました「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」という新書を読ませて頂きました。
その感想は、何故一部の日本人は内省する勇気がもてないのか?ということです。
これは 『The Cove』予告編で恣意的に紹介されていた漁師のどなり声に通じるような気もします。
「敗戦を抱きしめて」の矜持で、白い肌の人々の言動に対して寛容になれないということもあるのでしょうか?
確かに、理不尽な扱いをうけているな、と思うことがある限り、その想いは消えることはないのでしょうね。
「親密になっても食す」という行為は、おっしゃるように感情を複雑に発達させてきた人類が通ってきた道であるし、
いのちを奪う現場が文明という分業によって切り離されたことによって、私だけは加害者ではない、という奇妙な幻想を抱かせやすくなったのだと私も思います。
そのような忘れた記憶を呼び覚ますには何が必要なのでしょう。
とりあえず、映画は公開されれば見に行こうと思っております。
『靖国』のように上映自粛の動きが広がらなくて良かったと思います。
グレートシングさん、三度の登場ありがとうございます。
そうだね、漁民が説明すると言うよりは、説明になれている人たちが漁民たちと共同して説明できると良いね。
でも、現在太地町のみなさんはこの件に関して口を噤んでいます。どんなコメントも出さないと町で決めているようです。信頼できる書き手や表現者と共同して、何か言い出せばいいんですけどね。
イルカ肉の通販は残念ながら知りません。
イルカの肉は僕も食べたことないです。
kumirinさん、ようこそ。
僕も誤字を書いていました。しらっと直しましたけど。(笑)
「ありがとう」を連発すると軽く見られる。なるほど、そうなんだ。僕はあまり気にしてませんでした。
人にはいろんな感覚があるので、感性的なことって難しいですよね。ある人がよくてもある人は駄目ってことが世の中にはたくさんあるでしょう。だから、僕は自分の感覚に忠実にいたいと思ってます。自分の感覚にあった人たちが集まってくればいい。すべての人がよしとする話はとても大雑把なものだと思います。
「The Cove」は日本人が見た上で、いろんな議論が持ち上がることを期待してます。
見ずに文句言ってても仕方ないでしょう。
やはりイルカ肉の通信販売ははないですね・・・
調べてみると、太地町にも料理店があるのか分からなくなりました。
代わりに静岡ではわりとイルカ料理はポピュラーなようで意外でした。
メチル水銀の件があるのでマグロ同様あんまりたくさんは食べない
ですが、静岡に行く機会があったら食べてみようと思います。
どうもありがとうです。
以下のメールをkumirinさんから、メールフォームを使っていただきました。
なぜkumirinさんがコメントの返事をメールフォームで送ってこられたのか、
その理由がよくわかりませんけど、「全てページでUPしていただいても差し支えありません」
と書かれているので、そのようにさせていただきます。
これからは直接コメント欄にお書き下さい。
よろしくお願いいたします。
———————————
つなぶちようじ さま
”The Coveアカデミー賞受賞とEnglish Journal”のページでお返事いただきました者です。
そちらへの返事メールなのですが、念のためこちらのフォームから送信いたします。
以下の記述は ワタシは全てページでUPしていただいても差し支えありません。
そこで、本文ですが
ことば足らずでした。少し補足を致しますと、
「ありがとう」乱発で軽くみられる場合というのは、ワタシ自身の経験ではなく、主にTVでの政治家や
評論家同士の言い合いを想定いたしました。
あと、気持ちのこもっていない「ありがとう」を聞いた場合を思い出したのです。
ありがとう、の言霊には確かに感性がいっぱい含まれてますねぇ。只、私はそれを額面通りにとらない
場合もありえるのでは?という例を挙げただけのつもりでした。
わかりました。こちらのブログを読ませて頂いて、意見を幅広く求めておられると思ったので、あえて
反論を提起してみたのですが、
”自分の感覚にあった人たちが集まってくればいい、すべての人がよしとする話はとても大雑把”、と
までおっしゃるのであれば、こちらでは今後一切反対要素は書かないことにいたします。
只、ワタシ自身はすべての物事には裏表があると思っており、常に真反対のことを想定するのは重要
で、時には楽しいことだ(ぼけつっこみ、もその一端やし、)と思っております。
折角お教え頂いたのに、感覚にあわないことへのお付き合いで貴重なお時間割いて頂きありがとうござ
いました。
それから、
>「敗戦を抱きしめて」の矜持で、白い肌の人々の言動に対して寛容になれないということもあるので
しょうか?
>確かに、理不尽な扱いをうけているな、と思うことがある限り、その想いは消えることはないのでし
ょうね。
の箇所は、あくまで新書の中でとりあげられた方たちに対しての感想です。
太地の漁師さんの件は、映画の予告編を見ただけの感想ですので、もちろん、映画がこの事象をどう整
理し主張しているのかは、拝見してから判断します。
お酢はどこへいったん?と思ってたら末梢されていたのですね。
さて、おととい、日本から「思い出してほしい」と発信できる言葉として ”おたがいさま” が浮
かんできました。
1.鎌倉時代に形となり、江戸時代で収斂された武家言葉 「相身たがい」
2.支配されながらもその武家文化を眺めていて尊敬した人々が
真似をしたであろう言葉 「おたがいさま」
但し、戦前戦中の監視組のような窮屈な使い方には対処が必要でしょう。
疑心暗鬼に陥らない方法論を見つけねばならないと思います。
3.あとは、日本宗教上の巨人として名高いお大師さんへの「おかげさま」
しかし、これは一神教に通じるものがあるので注意が必要です。
どういうニュアンスがよけいなものかをきちんと整理すべし、でしょう。
これらを含んだ上の ”おたがいさま” を伝えてゆけばいいのでは?と思います。
P.S. イルカは以前はクジラで流通していたのですから、ワタシは給食で食べた可能性があります。
この映画のこともありますし、現在では意識的に探さないとみつからないかも、ですね。
それこそ太地町役場に申し込んでみてはいかがでしょう。
メールフォームでいただいたkumirinさんのコメントへの返事です。
>わかりました。こちらのブログを読ませて頂いて、意見を幅広く求めておられると思ったので、あえて
>反論を提起してみたのですが、
>”自分の感覚にあった人たちが集まってくればいい、すべての人がよしとする話はとても大雑把”、と
>までおっしゃるのであれば、こちらでは今後一切反対要素は書かないことにいたします。
>只、ワタシ自身はすべての物事には裏表があると思っており、常に真反対のことを想定するのは重要
>で、時には楽しいことだ(ぼけつっこみ、もその一端やし、)と思っております。
>折角お教え頂いたのに、感覚にあわないことへのお付き合いで貴重なお時間割いて頂きありがとうござ
>いました。
反論大歓迎ですよ。ただし、僕もまたそれに反論するかもしれませんけど。
”自分の感覚にあった人たちが集まってくればいい、すべての人がよしとする話はとても大雑把”
というのは、反論も許容して次の意見を言える人のことです。
「僕の意見と同じもの以外は許さない」とは思っていません。
なので、kumirinさんが良ければまた反論してください。
「おたがいさま」もいい言葉ですね。
でも英語にするとなんて言うんだろう?
グレートシングさん、ようこそ。
あまりお役に立たずにすみませんでした。
また遊びに来てください。