今朝、たまたまSYNODOSを覗いたら、以下の記事が目に止まった。
初詣は新しい参詣スタイル!?――鉄道が生んだ伝統行事 平山昇 / 歴史学
上の記事の概要は、「初詣は鉄道の発達とともに生まれた比較的新しい参詣」であるとのこと。
これで思い出したのが、父の書斎から持ってきた古本に『神まうで』という古本があったこと。奥付を見ると印刷が昭和四年十二月二十日、発行が昭和五年一月一日となっている。発行したのは鉄道省。この本には全国の大きな神社が紹介されている。初詣が鉄道の発達とともに生まれたというよりは、鉄道の利用者が増えるようにと神社参拝自体が工夫されていたことがわかる。つまり明治となり国家神道が生まれ、廃仏毀釈がおこなわれ、鉄道省は神社参拝を推し進める。
本のはじめにある「例言」にこう書かれている。
一、内容は大正八年六月発行にかゝる「神まうで」を修正増補し、新に神社附近の名所回遊の記事を加記した。
ここでよくわからないのは、大正八年六月に発行された「神まうで」はどこが出版したかだ。普通であれば、同じ鉄道省が出版したと考えるのが筋であろうが、鉄道省ができたのは大正九年五月十五日なので、おそらく前進の鉄道管理局が出版していたのだろう。どちらにせよこの本は大日本帝国政府の一部署が作ったことには間違いないだろう。つまり、書くまでもないことだが、大日本帝国政府は宗教の在り方に関して介入していた。いまでこそ政教分離といわれるが、大日本帝国では宗教が政治の大切な部分となっていた。初詣は伝統行事と思わされているが、実際には明治以降大日本帝国政府が作った比較的新しい文化であることがわかる。では明治以前、初詣しないとすると何をしていたのか? 家長は神社に年籠り。家族は家でひっそりとしていたようだ。門松が歳神様の依代であるかどうかをかつて調べた。俗説では門松に歳神様がやってくるのだが、典籍にあたるとそのようには書かれていなかった。その後、歳神様の依代であるという本を何冊か見つけたので、のちほどそれらを紹介しようと思っている。しかし、それらはどれも明治以降に書かれたものである。