感情ってなんだ? Prayers studio「卒塔婆小町」を見て

意識とは何かという問いはいまだ答えが出ていない。意識とはこういうものという定義に従って判断する人や、意識とは意識だと開き直る人はいるが、本当に意識とはどういうものかを誰も反論させず納得のいく形で説明した人はまだいない。同様に感情が何かをすべての人に対して説得できる人もいない。

感情とは何かをどれだけ説明されても、きっと感情は動かない。だけど感情に動かされてしまった人の声は、他人に伝わる。電車の中で必死に何かを訴えている子ども。母親が無視したり「いい加減にしなさい」と怒っていたりすると、子どもの感情が乗った声はそばにいる人の感情を逆撫でしてしまう。

Prayers studioのドラマトライアル「卒塔婆小町」を見て、俳優にとって「声」は、演技よりももしかしたら大切なものかもしれないと思うようになった。なぜなら、そこには感情はもちろん、年齢や立場まで表現されていたから。

「卒塔婆小町」は三島由紀夫の「近代能楽集」に収められている。能の「卒都婆小町」からインスパイアされてできた作品。能の「卒都婆小町」の概要はこうだ。

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チェット・ベイカー没後30年

ジム・ホールと共演した『アランフェス協奏曲』をときどき聞いたが、チェット・ベイカーのことはほとんど知らなかった。ファンになったのはヒロ川島と出会ってから。川島さんはチェットと1986年の初来日の際に知り合いとなり、不思議な縁を結ぶ。

昨日、5月13日はチェットの命日。
毎年この日にはヒロ川島が「CHET BAKER MEMORIAL NIGHT」をおこなう。没後30年という節目にその音を聞きに行った。川島さんはただチェットのファンだからとMEMORIAL NIGHTをおこなっている訳ではない。

彼はチェットの楽器を譲り受けたのだ。

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バワルカールのドゥルパド

北インドの古典音楽ドゥルパドをはじめて生で聞いた。場所は杉並公会堂の小ホール。きっかけは2016年に一緒にニュピに行った亜矢子さんからのお誘い。バリ島でドゥルパドの話をした。

「どんな歌を習っているの?」
「インドの古典音楽」
「どんな音楽なの?」
「うまく言葉では言えない」

バリ島から帰ってきてしばらくしたらメールが来て、そこにYouTubeへのリンクがあった。それが僕のドゥルパド初体験。倍音声明に似ているなと思った。後日知ったのは、ドゥルパドがヨーガの際におこなった瞑想から発達したものだということ。それが次第に人気を得て、宗教儀式などに取り入れられ、次第に音楽へと独立していったのだとか。一時期衰退したが、昨今のスピリチュアルブームで再発見され復活してきたそうだ。

ここにその送ってもらった映像がある。

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