都議のヤジで知ったこと

都議会議員のヤジの件があちこちで話題になっていますね。先日、その話をきっかけにある女性からこんな話を聞きました。

彼女のことを仮にAさんと呼びましょう。Aさんはある有名な大手会社に勤務しています。そこでとても悔しい思いをしているとのこと。どんな悔しい思いをしているのか。

「産休を取った人の仕事が全部わたしのところにやってくる」

そこで上司に文句を言うと、「それはマタハラだよ」と言って取り合ってもらえない。

どういうことかわかりますか?

「マタハラ」は「マタニティ・ハラスメント」。たとえば産休を取ろうとする人に「この忙しいのに休みを取る気か」などと言ってしまうことを指します。これは明らかに問題です。そんなことを言われてしまうと産休が取れなくなります。会社によってはひどいマタハラで、妊娠するとやめなければならないところもあるそうです。だから「マタハラ」はいけないことだとされています。Aさんが悔しいのは、「マタハラ」とは関係ないことを主張しているのに、「マタハラ」にされてしまうことです。

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「おとなのかがく」を見た

映画「おとなのかがく」を見た。感想を書こうと思っていたのだが、なぜか書けない。面白かったのである。しかし感心した点は永岡昌光の技術でもなく、技術流出の事実でもなく、いったい何なんだろう?と思っていた。もちろん永岡昌光の技術に驚いたし、技術流出に心を痛めた。だけど僕のツボはそこではなかった。でも、どこがツボなのかはっきりわからなかった。何かが心に響いたのだが、何が響いたのかわからない。はて?

監督の忠地裕子さんと出会ったのは、小さなバーだった。その片隅で忠地さんは酒を飲みながら不機嫌でいた。美大は出たが有名なアーティストになるわけでもなく、好き勝手に生きているようだったが、満たされてはいなかった。何か作品を作りたいと思っていたようだが、作ったとして何になろうか? 余程インパクトのある作品を作らない限り、それは消費されるだけだ。無名のライターである僕にとってその痛さは自分の痛さでもあった。その彼女がドキュメンタリー映画の監督としてデビューした。

切々と撮影された映像は、冒頭のテオ・ヤンセンのストランド・ビーストのシーン以外はとても地味なモノばかりだ。細かい作業をする手先。狭い部屋での作業。台湾や中国の工場。それを見ているときは侘びしいとか寂しいとか思わなかった。だけど心のどこかにその種が宿った。その種はホコリのように小さくて、心の表面をようく撫でないと見つけられなかった。ようく撫でて見つけたざらざらは、しばらくなんのざらざらなのかわからなかった。そして、そこにあるのはささやかだけど、豊かさだと知った。

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櫻山八幡宮の式年大祭

2011年5月1日と2日に、水無神社の例祭に行ったことはこちらに書いた。そこで、土地の古老に30年に一度のお祭りが櫻山八幡宮でおこなわれると聞き、2日で帰るつもりだったが、一日延ばしてそのお祭りを見ることにした。なにしろ30年に一度のお祭りだ。そのことを当時書こうと思っていたのだが、忙しさにまぎれて書き忘れていた。3年も経ってしまったが、そのときの概略をここに記しておく。

2日に高山駅と櫻山八幡宮のあいだを流れる川沿いにある宿を取った。そこは宿主のよれば森村誠一氏の定宿なのだそうだ。まずは2日のうちに近辺を探索。

翌日から始まる祭の準備がいろいろとなされていました。まずは参道に奉納灯籠が並んでいました。

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