2021年1月13日の夢

今朝、また不思議な夢を見た。内容はこんなことだ。
しかし、この話は正確ではない。ある程度の僕の解釈が含まれている。
僕の解釈を差し挟まないと、現実世界では意味をなさなくなるから。
読む人には変なことのように思える箇所があるだろうけど、夢だから仕方ない。

僕はある企業経営者Mに会った。彼の本を作るために。しかし、彼はとても苦しんでいる。なぜなら、彼のことを正しく理解してくれる人がいないから。そこでなぜか僕が呼ばれた。彼の話を聞く。

彼は幼い頃は貧乏で苦労した。しかし、勉強を続け、留学し、大企業に勤務して独立し、自分の会社を作った。

小さな会社は苦労の連続だ。いつ淘汰されるかわからない、そういう会社でも、彼の創造力によって次第に大きな会社になっていった。だけど、ここに問題が生まれた。大きな会社になればなるほど、理不尽な依頼が来るようになる。

“2021年1月13日の夢” の続きを読む

紅龍さんの大愛瞑想

伊勢神宮の月次祭にはじめて参列したのは、2008年6月だった。そのときの様子はこちらに書いた。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p36/
神嘗祭にも行った。そのときの様子はこちら。
https://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p2982/#more-631
どちらのお祭りも紅龍さんにお導きいただき参列した。
紅龍さんは当時開運カウンセラーとして働いていた。
『開運ハッピーステップ』という本を出版なさっている。
10年ほど前、主婦の友社から出ていた『全開運!しあわせ』という雑誌に連載させてもらったことがあるが、紅龍さんから編集長をご紹介いただき、連載することになった。そのときのpdfがこちらにある。
http://www.healingwriting.com/pdf/iyashinojikan.pdf

紅龍さんは2012年頃から國學院大學に入学され、神道の研究を本格的に始めた。首席で卒業して神職にもなった。ところが、次に何をしようかと考えていたとき、大愛が降りてきた。大愛とは、ある心の状態。そのことについていろんな人にお話ししていくうちに、大愛瞑想という形にして、瞑想ワークショップをするようになった。それは瞬く間に広がり、全国で開催され、紅龍さんは大忙しになっていった。

2018年からレゾナンスCafeで一緒に初詣に行くことにしていた。2019年の初詣も、紅龍さんと一緒に行くはずだったが、体調が悪いということで、欠席なさった。
「なんのことはない、大丈夫」とのことだったが、それから数ヶ月、大愛瞑想はおこなわれていなかったし、連絡も取りにくいので、ある日会いに行った。とても具合が悪そうだった。

それからまた一月後くらいに会いに行った。とてもやせていて、歩くのも大変のようだった。それから何度かお見舞いに行ったが、なかなか良くはならなかった。

すっかりやせて、彼女も死を覚悟した頃、「大愛瞑想を本にして」と頼まれた。

紅龍さんは2019年9月27日、永眠なさった。

約束の本はできたが、出版社が決まらなかった。亡くなって一年がたっても決まらない。あまり先延ばしにするのはよくないなと判断して、できた本をepubにして、大愛瞑想に参加していた人たちを中心に配布することにした。

紅龍さんがこの世に遺していったプレゼントです。ぜひお読み下さい。
https://www.tsunabuchi.com/epub/biglovemeditation.epub

これを読むためにはepub用のリーダーアプリケーションを入手してください。

pdfで読みたい方はこちらです。
https://www.tsunabuchi.com/pdf/biglovemeditation.pdf

10月9日の夢

10月9日の早朝、夢を見ました。そのことをFBに書きました。
それの転載です。
僕は村上春樹氏に会ったことはありません。

今朝もまた、不思議な夢を見ました。
僕が村上春樹氏とバーで飲んでました。
村上氏がこう言いました。
「僕が猫を棄てたのか、僕が猫に捨てられたのか、それはわからないことだろう」
それで目が覚めました。
なんかいろいろと夢で見たのですが、はっきりと覚えているのはその言葉だけでした。
去年、文藝春秋に掲載されていた「猫を棄てる」を読んでいました。
でも、内容はうろ覚えです。
夢の内容もよくは覚えてないけど、こんなことを話したというのは書けました。それをなぜ書けるのかがうまく説明できない。これから読んでもらうようなことを夢の中で村上氏から聞いた訳ではないのです。でも何かを夢の中で受け取った。受け取った内容を言語化するのに、村上氏が語ったこととして書くと書けるのです。まあ、僕が感じたことを夢で見せられたと考えればいいのでしょうけど、それともちょっと違う気がします。でも、違うと思っているだけかもしれません。
ややっこしいですね。笑
こんな夢でした。以下、村上氏の語りということで表現します。

僕がノーベル文学賞を取れないのは理由がある。僕はその理由を知っているような気がする。
与える者は与えられる者に何かを教える。それが正しい方向であり、与えられる者が与える者に何かを教えてはならないと考える人が多い。
だけど、それは正しくはない。
人はどんなに偉大な人間でも、この宇宙のすべてを知り尽くしている訳ではない。与えられる者にしか理解していないことが必ずある。群盲象を評すのことわざの通り、人間はいつも実際の存在の一部しか理解ができないもの。だから与えられる者にしか理解していないことを、もし与える者がきちんと知ったら、与える者の目はさらに大きく開かれることになる。
“10月9日の夢” の続きを読む