ガケ書房

京都のガケ書房に行きました。基本的には本屋さんなのですが、ただの本屋さんではありません。その逸脱ぶりはお店のデザインにも表れています。

ガケ書房

なぜこんなところから軽乗用車が突き出しているのか、まったく理解不能ですが、この車、どうやら何ヶ月に一度か、ペイントが変わるようです。

なかに入ると完全に本のセレクトショップです。きっと店主の気に入ったものしか置いてないのでしょう。それでどうして本屋という商売が成り立つのか、理解できません。たとえば、あまり有名ではない作家の本がきれいにそろっていたり、ある作家の本は一切置いてなかったり、たくさんの作品がある作家でも、数冊しか置かれてなかったりしてました。

たまたま本を見ていたら耳に入ってきたのですが、どこかの書店のオーナーがガケ書房に来て、どうしてこれで成立するのか一生懸命聞いてました。

「うちでも本当にいいなと思う作品だけ選んで並べたりするんですけど、そういうのって全然売れないんですよ。どうしたらこれだけ趣味的な棚揃えでやっていけるんですか?」

思わず僕の耳もピクピクッと立ってしまったのですが、店主と思われる男性は「いやぁ」とか「ううん」とかしか言いません。(笑)

この本屋で面白かったのは、古本屋への貸し棚があったこと。どこかの古本屋さんが棚を借りて、ガケ書房で古本を売っているのです。それから、個人でも同じことができて、ある棚では自分が気に入って売りたいと思った本を仕入れてきて売れる棚があるのです。もう発想がまったく普通の本屋とは違う。入口脇には小さなスペースがあって「もぐスペ(もぐらスペース)」と名付けられ、日単位で貸してもらえます。そこではお金さえ払えば何してもいいようで、タロット占いとか誰かのカフェとかが開かれるようです。なんとアナーキーな本屋でしょう。うっとりしてしまいます。

僕の印象では、ガケ書房は「本を売る」のが目的ではなく、「本好きと一緒に何かやる」のが中心的考え方のように思えました。きっとその楽しさが客を呼ぶのでしょう。僕もそれに吸い寄せられてしまった。地方には時々チェーン展開されている大きな本屋がありますが、そういうところは売れ筋の本をたくさん仕入れるために少部数しか出ないような本はほとんど置かないところがあります。そういう本屋のアンチテーゼのようでした。

あと気づいたのは、本が大切にされていること。本を商品として置いているのではなく、大切に扱うべきものとして置かれている感じがしました。大切に扱われている本からはその雰囲気が伝わってくるので買って帰りたくなる。そう感じたのは僕が知っている範囲では、ガケ書房以外にはブッククラブ回だけです。その点でも地方巨大チェーン書店のアンチテーゼだな。おかげで六冊も買ってしまった。またいつか覗きに行きたい本屋です。

最後の晩餐

(気分を害されるかもしません。繊細な方は読まないでください)

開高健の『最後の晩餐』を読んだ。このところ仕事の関係で死に関わる本を何冊か読んだのだが、口直しに食べ物の本でも読もうと思い、適当にまだ読んでない本から一冊選んだら、ひどい目にあった。

本の始めに人肉嗜食について書くよと宣言されているのだが、開高氏の文章は一度読みだすと蟻地獄に引き込まれる蟻のようにズブズブと引き込まれていく。老舎の話から始まり食べ物の話へ持って行かれるが、その頃にはもう途中で止める訳にはいかなくなった。

終章までのあいだにいろいろな料理の味や、作家の食欲などについて読まされ、ズイズイとなんでも食べられるような気にさせられていく。特に中華料理に関する記述が豊富で、「四本の足を持つものなら椅子と机以外は何でも食べる」と教化され、動物の臓物はどのように旨いかと催眠にかけられ、人間の排泄物を食料にする研究などという話に慣らされ、ついに『最後の晩餐』となる。

ここで取り上げられたのは『生存者』という本に書かれた話しだ。有名な話なのでご存じの方も多いと思うが、1972年にアンデス山中にプロペラ機が不時着する。救助隊がなかなか来ず、生存者たちは雪の山の中でどんどん飢えていく。そしてついに亡くなった方の死体を食べるという話だ。僕はその本が出版された頃、小学五年生くらいで、うちの本棚にその『生存者』の本が置いてあったのを覚えている。うちの本棚にあった本で何冊か妙に覚えている本があり、それらは後年少しずつ読んでいるのだが、『生存者』はまだ読んでいない。引っ越しの時にどこかで見かけたのでうちにまだあると思うが、この文章を書くのに探してみたが見つからなかった。見つけたら読んでみたい。

『最後の晩餐』の最後には、谷崎潤一郎の『美食倶楽部』のように味の探求を続けていくと「ついには喫人をやってみたいということになるのであろう」と書かれているが、それは嫌だなと僕は思う。しかし、食人習慣に対しての興味があることは否定できない。食べたいとは思わないが、食べる人たちはなぜそうするのかに興味がある。

僕の親父が書いた『斬』という小説の冒頭に人丹の話が登場する。『斬』は幕末の物語だ。首切り役人山田浅右衛門一族の没落を書いている。江戸時代には山田家は首を切った罪人の肝をいただく権利があり、それを丸薬として売っていたのだそうだ。その効果の程はわからないが、江戸庶民にとってその丸薬の効果は鮮やかなものであったようで、明治時代になっても「浅右衛門丸」という丸薬があったそうだ。明治になれば人の肝を使うことは禁止され、「熊胆」のように動物の肝を使っていたのではないかと推測しているが、「浅右衛門丸」という名前に価値があったことから、その丸薬の人気が推測されるとのことだ。もともとその処方は中国の漢方から来たのであろうということだから、中国では人間の肝を薬に使う習慣があり、それが日本にも渡来したと考えられている。

ついでながら漢方には「木乃伊」を使ったものがある。「木乃伊」と漢字で書かれているとわからないが、カタカナで書くと「ミイラ」である。シルクロードで運ばれたとか。

話を戻そう。

そんなことで、僕には食人という行為に関しての興味がある。

何年か前に買ったマルタン・モネスティエの『食人全書』を書庫から引っ張り出した。この作家は『死刑全書』『自殺全書』『奇形全書』『児童虐待全書』などという飛んでもない本ばかりを書いている。いつか読もうとは思っていたが、全然読む気になれず、埃をかぶっていたのを引っ張り出した。開高氏の文章で免疫ができただろうからこの際読んでしまえと思いページを開いたが、やはりすべては読めなかった。斜めに読んでほうほうと思うのが精一杯だ。

20世紀、食人はどこでおこなわれ、こんな状態だったと写真まで出てくる。当然のように佐川一政氏の事件も登場する。そして、このBlogの「自死という生き方」のところで書いた「ソイレントグリーン」の話が登場する。『食人全書』の結語はこうだ。

食人がやがて現実になることは予想済みであり、見識者の目にはすでに食人計画のはっきりとした形が見えている。(中略)食人は人類を救うものである。食人は二十一世紀の中頃、あるいは終わりまでに、当然のものとして認識された食事の基本要素にならなければならない。(中略)人間の枠を超えた次元でなされる食人は、経済的には不可欠で、政治的には魅力的、科学的には可能で、宗教的には容認できるものである。しかもそれは、世界観ではなく、人類の生き残りにかかわる問題だ。偉大なるディオゲネスはある日公衆の面前でマスターベーションを行って、こう言ったではないか。「自分の腹を優しく撫でるだけで、飢えが癒されたならどんなにいいだろう!」 

『食人全書』 マルタン・モネスティエ著 原書房刊

飛んでもない話だ。「こんなことにならないように注意しましょう」と言うのは簡単だが、飢餓状態になったら粗暴な人たちが何をするかわからない。自分の食欲の火を消す術を覚えておくべきか。しかし、自分がどんなに静かにしていても、それだけで問題が解決されるわけではない。せめて日本の食糧自給率を上げたい。

近年、センスのいい人たちのあいだでは小さな農場を持つことが流行っている。いい傾向だと思う。

パピヨン

『パピヨン』と言えば僕にとってはスティーブ・マックイーンが主演した映画だった。原作者のアンリ・シャリエールの半生記を映画化した作品だ。主人公は胸に蝶の入れ墨をしているためにパピヨンと呼ばれた。彼は濡れ衣を着せられて監獄に送られ、それに反発して脱獄を繰り返し、次第に厳重な監獄へと環境が厳しくなっていくが、最後に脱獄に成功して自由を得るという物語だ。確か13回脱走を試みる。最後にパピヨンは自由へと羽ばたいた。パピヨンは自由への象徴だった。

昨日田口ランディさんの新作『パピヨン』を買い、あっという間に読んでしまった。あまりにも面白かった。この作品ではパピヨンは死の世界へと旅立つ象徴として扱われる。小説作品のデビュー作として『コンセント』を書いたとき、ランディさんはお兄さんの死について作品に取り込んでいた。しかし、小説全体としてはフィクションになっていた。今回はお父様の死とエリザベス・キューブラー・ロスのルポを重ね合わせたノンフィクションとして書いている。

『パピヨン』を読んでいて何度か思い出した写真がある。それはカウアイ島に行ったときに撮った写真だ。高いところを蝶が飛んでいたので撮影した。青い空を背景に飛んでいるオレンジ色の蝶の写真が撮れた。それを思い出したときには意識していなかったが、しばらくするとその写真は僕の父が死んで一ヶ月ほどのちの旅行で撮っていたものだと思い出す。頭のどこかでランディさんのお父様の死と、僕の父の死と、死の象徴である蝶がつながったのだろう。

そう言えば、アンリ・シャリエールは映画『パピヨン』の撮影が決まってスティーブ・マックイーンと会い、しかし完成を見ずに死んでいた。

もうひとつ不思議な偶然があった。2004年1月20日、婦人公論の副編をしていらした三木さん(現在は編集長)に「お母様はお元気ですか?」と質問され、三日ほど前に電話で話したにもかかわらず「どうしてるかな?」と心配になった。母はその時間前後にぽっくりと死んでいた。『パピヨン』を読み終わりメールを開くと、三木さんから二年ぶりくらいにメールが来ていた。

『パピヨン』のプロモーション映像