チャロー!インディア〜インド美術の新時代

行こう行こうと思いつつ、なかなか行けなかった『チャロー!インディア』に行ってきた。予想通り「過剰なる混沌」が繰り広げられていた。デジタル・コラージュあり、参加を求められる作品ありで、しっかりと現代美術として楽しめた。

僕がインドに行ったのはもう15年も前のことだ。ケニアに行くのにボンベイ(現ムンバイ)でトランジットした。着いた翌日に発つはずだったのだが、ホテルで一泊し翌日空港に行き、飛行機に乗り込み、ずっと待ったのだが、故障だと言われ、さらに一日待って発つことになった。まる一日飛行機の中で待っていたので僕が知っているインドは空港とホテルのあいだのわずかな景色だ。空港からホテルまでの道すがら、白いテントがどこまでも切々と続いていた。それが貧しい人たちの住居だった。空港で貧しい人にお金などをあげないで下さいとインストラクションされるのだが、信号などでバスが停まると、赤ん坊を抱えた女性が寄ってきてお金をくれと手を差し出す。あげると面倒なことになるからあげるなと言われたのであげなかったが、後味が悪い。

ケニア行きの飛行機の中でもインド人に会った。もちろん飛行機に乗るのだから裕福な人だ。ケニアで事業をしているという。貧富の差が大きいのだ。2000年前後からインドではIT長者が増えたと聞いた。さらに格差に拍車がかかったのではないかと思う。僕がどう思おうと実際にはみんなが豊かになっていればいいのだが、今回の美術展を見る限り、現在でも貧富の差が問題であることは確かなようだ。いくつかの作品にそれが読み取れた。まずはヴィヴァン・スンダラムの作品。ゴミを並べてジオラマのようにして街を俯瞰できるような作品を作っていた。つまり街はゴミだらけであることを、またはゴミのようなもので作られていることを示唆されたようだ。「マリアン・フサインの僅かな上昇」という映像作品では、ゴミの山の上から少年が空に飛んでいった。IT長者のおかげでゴミの山からでも飛び立てるようになったということだろうか? ジティシュ・カラットの作品「格差の死」では、大きな1ルピー硬貨の前に英文が書かれた額が掲げられていて、そこには見る角度を変えると読める二種類の文章が書かれていた。ひとつは「1ルピーで電話がかけられるようになった」という明るい文章が書かれており、角度を変えると「たった1ルピーの給食費が払えなくて自殺した女の子」の話が読めた。

今回の展示で僕がいいなと思ったのは、グラームモハンマド・シェイクの「カーヴァド:旅する聖堂」と、その上に掲げられていた「マッパ・ムンディ」という作品。様々な価値観がいくつかの作品に入り交じり、それらが狭い門のように組み立てられていた。ヨーロッパの中世絵画的手法でイスラム教、キリスト教、ヒンドゥー教などの聖者たちが描かれている。小さくだが戦車や爆撃機も描かれていた。パッと見ただけでは中世ヨーロッパの絵画のように見えるが、よく見るとアジアが紛れ込んでいた。そのゴチャ混ぜ感が現代的である。その作品の中を通って「チャロー!インディア」に入っていく。

あと面白かったのはトゥシャール・ジョーグの「ユニセル公共事業団」。こちらはネット上のプロジェクト。こちらにある。電車の混雑に対しての皮肉をアートにしていた。混んだ電車の中でどのようなステップを踏むべきか、床にダンスのステップ図のように描いていた。

プシュパマラNは澤田知子やタニシKを思い出させてくれた。2003年に東京オペラシティーアートギャラリーの「Girl!Girl!Girl!」という展覧会で知ったのだが、澤田知子はいろんな扮装をしてお見合い写真を撮りまくる。このなかの「お見合い」に写真がある。http://www.e-sawa.com/index.html タニシKはスチュワーデス(キャビンアテンダント)のコスチュームでいきなり電車や展覧会会場でいろんなサービスを始めるというパフォーマンスをしていた。こちらやこちらに説明がある。澤田もタニシもアートとしてやっているようだが、プシュパマラNは単にアートのためだけにやっているのではない。インドで女性がどのような枠にはめられているかを表現するために作品を作ったそうだ。かつてイギリスに支配されていたとき、インドの人たちがどのような扱いを受けたかとか、どんなイメージでとらえられていたかがわかるような写真を撮っている。言ってみればインドの女性解放運動だ。

インダス文明からほぼ5,000年。インドの文化は歴史が長い。そこに住む人たちの血の中に受け継がれた芸術の種は、いつでも機会さえあれば芽吹いてくるものなのだろう。いつかインドにも時間を取って行ってみたい。それまでに「インド神話」「カーマ・スートラ」なんかを読み直しておこう。

森美術館「チャロー!インディア」

風の馬

チベットのお祭りはとてもカラフルだ。その理由の一つは『ルンタ』があること。実物は一昨年のチベットスピリチュアルフェスティバルで見た。実際にチベットには行ったことがないが、きっと遠くから見たらきれいだろう。

この書き込みのタイトルである『風の馬』は『ルンタ』のことを意味している。今度四月から『風の馬』という映画が上映されるのだ。

この映画がとても楽しみなのはその撮影方法にある。この映画はチベット解放を訴える映画でありながら、チベットとネパールで撮影された。もし中国政府やネパール政府に見つかったら、撮影中止を余儀なくされたであろう映画なのだそうだ。

北京オリンピックの時にYou Tubeでチベットから脱出しようとする人たちを銃殺していた映像が流されたが、そこに寄せられていたコメントは僕の気持ちになじまないものだった。確かにあの映像が本物なら非難されるべきだが、だからと言って中国の人すべてが悪いわけではない。あのようなシステムになっているシステムが問題なのである。中国国内の人もそのシステムに苦しめられているかもしれない。ところがそれを「中国はダメだ」とばっさりと切り、「あのような国とは戦うしかない」という短絡的な答えを導いてしまってはならないと思う。

『風の馬』が楽しみなのは、チベットの人たちがどんなことに苦しんでいるのか、それを一部かもしれないが伝えてくれる試みだからだ。

中国には中国の悩みがあり、チベットにはチベットの悩みがある。それがわかっているからダライラマはあえて戦おうとはしないのだと思う。煽動するのは簡単だ。歴史はそれを何度も繰り返してきた。それ以外の方法でなんとかしていくためには何が必要なのか。それを話し合うことが大切だろう。そして、それは簡単なことではないだろう。『風の馬』はささやかかもしれないが、煽動ではない方法での解決へと導く可能性の一つかもしれないと僕は思う。

中国の人たちがこの映画を観たらどう感じるのだろう?

中国の人たちを責めるのではなく、この事実にどう対面するのか、その気持ちを聞いてみたい。その上で、何かの対話が生まれたら、素敵なことだと思う。そして、もしも可能であれば、なぜ中国はあのような体勢をとり続けなければならないのか聞いてみたい。

映画『風の馬』

同時上映の「雪の下の炎」のサイトはこちらです。これも見てみたいですね。

 映画『雪ノ下の炎』

ところで、ダライ・ラマ日本代表部代表だったチョペ・ペルジョル・チェリン氏の自伝「万物の本質」には、チベットの一般の人たちにとって中国の侵攻がどのようにおこなわれ、どのように見えたかが詳しく書かれています。

ガムランの音階

前の書き込みをしていて、以前にガムランの音階について聞いたことを思い出しました。ここに書いておきます。聞いたのはアナック・アグン・グデ・ラーマ・ダレムさんからです。プリカレラン家の王様です。祖父のマンダラさんはティルタ・サリやグヌン・サリのリーダーでした。

バリ島は地方によって意味体系が違うようなので、これがバリ島全体の音階の意味と同じかどうかは確かめていません。

ガムランは五音階です。ドレミのようなものは

NAng,NIng,NUng,NEng,NOng

というのだそうです。面白いのは日本の「な行」と同じだと言うことです。さらに、音階にはそれぞれ独特の意味があるそうです。

NAng はじまりの音。リラックスを呼び起こす。

NIng お清めの音。もっときれいにする。

NUng イメージをもたらす音。何かを思い起こさせる。

NEng 何もしない音。(人界の最後の音)

NOng 絶対的な無。(人智の及ばない世界のこと)

だから、ガムランの曲はどの音で始まるかを聞けば、その曲の大雑把な意味がわかるそうです。

ラーマさんのお父様のお葬式でガンバンというガムラン演奏を聞いたのですが、それはNOngの音から始まっていたのだそうです。