FNSチャリティ・ライブ09 谷村新司&押尾コータロー

フジテレビの方にチケットを譲っていただいたので「FNSチャリティライブ09 ココロの学校」に行ってきました。谷村新司さんととゲストの押尾コータローさんのお話しと歌を楽しみました。

いろんな話をうかがったのですが、そのなかで「ドレミファソラシド」の意味について谷村さんがお話なさっていました。

「ソはもともとイタリア語のsol、つまり太陽から来ています。ソの上ラは太陽の上ですから宇宙という意味です」

なんか神秘主義的な解釈だなぁと思いました。solはそのままですが、ラが宇宙というのはエジプト神話の太陽神のことを言っているのかなと思いました。

「ドは土、レは火、ミは水、ファは風」

これは五行説のようですね。

「シは死です。そして死のあとにドとなって土に帰る」

谷村さん独特の解釈なのでしょうか。僕自身は楽しく聞きました。なーるほどと。

しかし、そのあとでそれら音階が体の部分に対応すると聞き、ああと思いました。

「ドは股の付け根、レは丹田、ミは子宮、ファはみぞおち、ソは心臓、ラは声の出るところ、シは松果体、そして最後のドは頭から上に13cmほどの天使の輪」

チャクラに対応させているようですね。

しかし、これは本当に一般的な話として通じるものなのだろうかとネット上を調べてみました。するとドレミの意味はこうだと見つけました。

 

ドレミ~と歌うのは正式には階名唱法(ソルミゼイション=solmization=「ソやミにすること」が原義) というのだそうですが,これを作り出したのは西暦100年ごろのイタリアのベネディクト教会に活躍していたベネディクト教団の僧侶のグイド・アレティヌス(別名グイド・ダレッツォ=アレッツォ出身のグイド)。グイドはラテン語の聖ヨハネ賛歌からドレミという言葉を作り出しました。

Ut queant laxis resonare fibris  しもべ達が声帯ものびやかに

mira gestorum famuli tuorum,  汝の奇蹟の数々を歌えるように

solve polluti labii reatum,  けがれたる唇の罪を免じたまえ

Sancte Iohannes.  聖者ヨハネよ この賛美歌の以下の部分がそれです。

ut ~するために → のちに歌いづらいので do に変える。

resonare 響かせる → レ

mira すばらしい (mirus) → ミ

famuli しもべ達 (famulus) → ファ

solve  免ずる → ソル

labii  唇 → ラ

si 聖ヨハネのイニシャル → グイド・ダレッツォは「ラ」までの音階しか作らなかったので後世付け足された。

上のラテン語を見るとドとシ以外が現代の英語の単語の中に形を変えて見られることがわかります。

resound 「反響する」 ← resonare

admire 「賞賛する」 ← mira

family 「家族」 ← famulus

solve 「解決する」 ← solve

lip 「唇」 ← labii

       http://www.eigo21.com/etc/kimagure/039.htm  より引用。

 

「 正しいこと」としてはこちらの解釈を取るべきなのでしょうけど、谷村さんの解釈も素敵だなと思います。人はそれぞれの物語の中で生きるものですから。音大の試験に谷村さんの答えを書いてはいけないけれど、誰かとお酒を飲んだときに仲良くなった人だけにこっそりと教える解釈として、こんなドレミの解釈をしたら粋ですよね。

トークライブではアンコールで押尾さんとのデュオで「チャンピオン」をやっていました。中学生の頃から憧れだったという谷村さんとの競演に押尾さんはかなり喜び、緊張していました。

ところで、以前この記事を書いたので、よくこのサイトに来る方が「マカリイ」に登場する「ヨーソロー」の意味を知りたいと問い合わせるので、以下に書いておきます。

ようそろ 宜候または良候
舟人のかけ声。操船の際、舵を切る必要がなく、そのまま進めという意味。

流しの歌とダメな僕

新宿のゴールデン街にひとつ行きつけの店がある。そこは人気の店なので、行けばお客さんで一杯だ。カウンターにいるMさんがとても魅力的なのだ。

その店に必ず来る流しのおじさんがいる。ギターをかついでやってくるのだけど、とても下手くそだ。コードは適当、歌もうまくない。はっきり言って聞いていると苦痛になる。だけどそのおじさん、下手だと言うことをまったく意に介さずに歌い続ける。たいていその店がいっぱいだと、なんとなくみんな聞きたくないものだから無視してしまう。僕も困ったなぁと思いながら無視をしていた。無視されて出て行くときのおじさんの背中を直視することはできなかった。

ある日、僕と友達とふたりで行ったら、お客さんが誰もいなかった。Mさんと三人で飲んでいると、そこに流しのおじさんが来た。Mさんは「なんか歌ってよ」と言う。おじさんはよろこんで一曲歌った。そこで僕ははじめてリクエストしてみた。見事に下手なその歌を歌ってくれた。苦痛を通り越して笑ってしまうようなその歌。千円渡してありがとうと言ったら喜んでくれた。

世の中では、みんな自分の仕事の技術を高めて報酬を得ることに汲々としている。僕もそうだ。技術が高くないと報酬が得られない世界で生きている。しかし、ゴールデン街の流しのおじさんは、その対極にいる。下手だけど、それでもいいという存在の仕方をしている。それで商売をしている。なんかそういうことにすごく引かれた。なんかいいなぁと思った。

きっと「芸は高めなければいけない」と思っている人たちから見れば、そういう人に引かれる僕ってダメな人間なんだろうな。

過去からの贈り物

雨に打たれ 風に吹かれ

日にさらされた石柱よ

緑に包まれ優しく眠れ

 

季節が変わり 風が変わり

時代が移り変わっても

動かぬあなたを僕は見つめる

 

何千年もの昔から

月を愛でるあなたから

僕の心に手紙が届く

 

「命の編み目はさらに尊し」

 

僕の父の母の父の母の父の父の母

そのまた母の父の母の母の父の父の父

ずっと続いた先祖の父が

この石柱を きっと作った

 

無限に続いた父と母の編み目の中で

たった一カ所ほころんでいたら

今の僕はここにいない

 

何千年もの昔から 時を旅する石柱よ

僕らを見守れ

どこまでも続く命の編み目に

いつまでも絶えることのない

祝福の歌を奏でよ

 

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この詩はかつて「Aka-chic」というA4版で作ったプロモートマガジンの創刊号に掲載したものです。「Aka-chic」には田口ランディさん、テラウチマサトさん、谷崎テトラさんなどに寄稿していただきました。

アイルランドに行き、スライゴーでイェイツの墓参りをし、カウロウモア巨石遺跡群を見た晩に書きました。すらすらと詩ができたので「言葉が降りる」というのはこういうことなんだなと思いました。