PKSへの問いかけ

イスラエルとパレスチナの紛争が激化しています。そんななか、ピース・キッズ・サッカー(PKS)の活動がどれだけ役に立っているのか正しく評価はできませんが、たとえささやかな影響でも与え続けられればと願ってやみません。PKSの詳細についてはこちらをご覧下さい。

去年の11月23日にPKSカフェが開催されました。そこで学生ボランティアをしていた大木幸司さんが、かつてイスラエルに留学した体験を踏まえ講演をしてくれました。そのときに「現地で得られたPKSへの問いかけ」と「大木幸司さんが2006年に抱えたPKSへの問いかけ」を発表してくれました。ご本人の了解の上、それらをここで公開します。

現地で得られたPKSへの問いかけ

→「圧倒的な力の差がある状況で、果たして対等に和解などできるのか」

→「日本で互いに仲良くなった所で、帰国後の現実に目を背けることができない側が逆に余計な絶望を生み出すのではないか」

→「個人間で両者が仲良くなれるのはインティファーダ以前の状況からすでに明らかであり、問題は如何に状況の変化と社会間の和解を進めるかではないか」

→「これだけ構造化・日常化した状況に対して、たった一度日本でプログラムを行なうだけでは無責任ではないか」

帰国報告会での大木からPKSへの問いかけ

・PKSのゴールは、「平和」か「場の提供」か?

・「対話」か,「理解」か、「和解」か?

・個人レベルの変化か、社会的な変化か?

・個人レベルでの信頼形成はすでに明らか。

・プログラムに参加する時点で分かる立場。

・難民・保守派の状況に対する参加者へのケアは?

(ネガティブインパクト)

・圧倒的な経済的・軍事的な力の差がある中での和解は可能か?

・子どもを対象とする活動での継続性のなさ。

・費用対効果

・イスラエル人、パレスチナ人、それぞれの「平和」と多様性がある中で、PKSのPeaceって何ですか?

これらの問いに対してPKSはひとつひとつ答えていかなければならないと思いますが、PKSも組織であるため、なかなか統一された見解を示すことが難しいのが現状です。PKSに参加する多くのボランティアが自分なりに考え、どのように見解を統一していくのか、そのステップがこれから必要となってくるでしょう。

以下には僕の私見を述べさせてもらいます。ぜひ、ご意見のある方はご自分のBlogに書くなり、こちらのコメント欄にコメントを寄せてください。

現地で得られたPKSへの問いかけ

→「圧倒的な力の差がある状況で、果たして対等に和解などできるのか」

対等の和解は目指すべきではありますが、何が対等であるかの基準が統一されてない状況でそのことを話題にしてもあまり実りはないでしょう。互いに飲める和解であるかどうかに焦点を絞るしかないと思います。

→「日本で互いに仲良くなった所で、帰国後の現実に目を背けることができない側が逆に余計な絶望を生み出すのではないか」

確かに絶望は一時的に大きくなるかもしれませんが、その絶望に目をつぶっていては先に進めないと思います。

→「個人間で両者が仲良くなれるのはインティファーダ以前の状況からすでに明らかであり、問題は如何に状況の変化と社会間の和解を進めるかではないか」

社会間の和解は、各個人が和解できる素地を持っていない限りすぐに元に戻るものです。PKSは各個人が和解できる素地を持つことへのお手伝いをしていると僕は考えています。

→「これだけ構造化・日常化した状況に対して、たった一度日本でプログラムを行なうだけでは無責任ではないか」

特に明確にノウハウもなく、素人集団としてのPKSがたとえ一度だけでもプログラムをおこなうことは並大抵の努力でできるものではありません。いまはまだたった一度でもプログラムをおこない、ノウハウをたくわえ、それを実行できる人材を蓄積し、次第に効果的な行動が可能になるようトライ&エラーを繰り返すしかありません。もしそのトライ&エラーを無駄なものだというなら、PKSの活動は不可能なものになるでしょう。たとえ無責任だと言われても、できることをし続けることが現状では最善のことだと考えています。

帰国報告会での大木さんからPKSへの問いかけ

・PKSのゴールは、「平和」か「場の提供」か?

イスラエルやパレスチナに他国の人間が「平和」を与えることはできません。イスラエルやパレスチナの人々が自らの手で「平和」を獲得するためのお手伝いしか他国の人間にはできないと思います。そういう意味でPKSのすべきことは「場の提供」にしか過ぎないでしょう。しかし、その活動が終わりを迎えるのはイスラエルとパレスチナが「平和」を実現したときです。ですから、ゴールという言葉が何を意味するのかで答えは変わります。

なにをもってゴールと宣言するのか、その基準は「イスラエルとパレスチナの平和」でしょう。しかし、実際にPKSがおこなっていくのは「場の提供」であると考えます。

・「対話」か,「理解」か、「和解」か?

これだけでは何に答えて良いのかわかりませんね。PKSが目指すものは「対話」か,「理解」か、「和解」か?という質問であれば、「対話」,「理解」、「和解」というステップを踏んでイスラエル・パレスチナが「平和」を獲得するサポートをすることだと思います。

・個人レベルの変化か、社会的な変化か?

双方が必要でしょう。しかし、現状PKSが提供できるのは個人レベルの変化です。社会的な変化があえられるようになるためにはまだ越えるべき課題がたくさんあります。それを可能にするために多くの人からの支援をPKSは必要としています。

・個人レベルでの信頼形成はすでに明らか。

これも何に答えるべきか不明確ですが「イスラエルとパレスチナの人たちは個人レベルでは信頼を形成できることはすでに明らかなのに、なぜわざわざPKSがあいだに入ってそれを促進させようとするのか」という問いであれば、このように答えられるでしょう。

「やればできる」と知っている状態から「やってできた」状態に移行する手伝いをしている。試験勉強も「やればできる」状態と「やっていい点を取った」状態では大きな違いがありますね。

・プログラムに参加する時点で分かる立場。

これも何に答えるべきか不明確ですね。「立場がわかれば何もすることがないのでは?」という問いであるとするなら、立場が理解できている状況と、相手の立場に共感している状況では大きな違いがあると指摘しておきましょう。「あの人たちは大変ね」と理解しているのと、「あの人たちは大変だから何かしてあげたいね」と思っている状態には大きな差があります。

・難民・保守派の状況に対する参加者へのケアは?

これはこれからの課題として取り組むべきでしょうね。しかし、現状では参加者のケアは連絡を取り合う程度しかできません。

(ネガティブインパクト)

・圧倒的な経済的・軍事的な力の差がある中での和解は可能か?

可能にするためにはどうしたらいいのかを考え、サポートしていかなければならないでしょう。

・子どもを対象とする活動での継続性のなさ。

現在PKSの活動は点のようにポツポツとおこなっているだけですね。それをつなげて線のようにし、いつかは面にし、立体的な状況が生まれるまで継続していく他はないと思います。それを可能にするための多くの人のサポートが必要です。ボランティアの援助、金銭的資材的援助、ノウハウの援助、そして多くの人たちにこの活動への興味を持ち続けていただくよう告知、広報、さらに考え方を深く知っていただくためにボランティアと触れ合えるようなイベント活動などが必須です。

・費用対効果

平和活動に対しての費用対効果とは何を指しているのでしょうか? どんなにお金をかけても無駄だとも言えるし、お金をかけなくても効果的な方法はあるかもしれません。費用対効果だけを考えても解決はないと思います。費用対効果は考えるべき要素ではありますが、それを優先させるかどうかは時と場合に寄ります。

・イスラエル人、パレスチナ人、それぞれの「平和」と多様性がある中で、PKSのPeaceって何ですか?

あくまでも私見ですが、まずは戦争をやめることです。公に殺し合うことがまかり通る状況を止めることです。そののちに人権についての質を上げていくことでしょう。

このような問いかけはPKSの活動を前進させ、ひいては日本人のイスラエル・パレスチナへの理解や興味を深め、世界的な平和へのたとえ小さくても大切な礎のひとつとなっていくでしょう。そういう意味で大木幸司さんのPKSへの貢献は非常に大きく、彼のような学生(現在は社会人)がこれからも現れてくることをPKSの顧問として切に願っています。

大木幸司さん、ありがとうございました。そして、PKSカフェを実現させたボランティアの皆さん、組織運営維持に関わるすべてのみなさん、ありがとうございます。みなさんの貢献がPKSを維持発展させています。

小説『昴』を読んだ

このパーティーでいただいた小説『昴』を読んだ。

この小説を読みながらいくつものシンクロニシティを感じた、「マカリイ」に関してはこちらに書いたが、ほかにも「太一」「諸葛孔明」「月震」などに僕は響いた。

「太一」については先日読んだ吉野裕子女史の本に登場する。「諸葛孔明」というのはひさしぶりにあるイベントの内覧会で大島京子さんに会ったら、諸葛孔明がしていたという占術に話しが及び、そのことをいろいろと教わっていたのだ。「月震」は月が中空になっていて、表面で大きな振動を与えると、鐘のように響き続けるという話しだ。これはかつてその研究をするためにNASAから機材発注を受けた会社の人から話を聞いた。

どの話も僕個人に起きたことで、すべての人に関係あるわけではないが、小説『昴』はそのようなゆるい関係性を信じる人のために書かれた小説だと思う。ハリウッド映画のように観ている者、読んでいる者を結末に追い込む作品ではなく、縁(えにし)の妙を楽しむことができる人に許される仕掛けが凝らされている。

たとえば小説『昴』には紅白二本のスリップ(しおりのための細い紐)がついている。小説に二本のスリップは珍しい。しかも紅白だ。なぜだろうと思いながら読んでいると、小説の中にそのヒントのような話しが登場する。しかし、その話しもこの本の装丁とどう関係あるのか、具体的には明かされない。ニュアンスの網の目に読者は誘(いざな)われる。

谷村氏は作詞をするのでニュアンスにとてもこだわるのだろう。一言一言はごくありふれた言葉だが、いくつかの要素に支えられてある言葉が登場すると、その言葉はもとの言葉以上の意味を持つ。なので読み始めたときには面白さがよくわからなかったが、読み進めるうちにいろんなことが見えてきた。

『昴』 谷村新司著 KKベストセラーズ

LOVE NOTESリーダーからの返信

『昴』の出版記念祝賀会の書き込みの疑問、「昴=プレアデス=マカリイ」はなぜ心の時代のキーワードとしてつながるのですか?」とLOVE NOTESのリーダーヒロ川島さんにメールで質問しました。以下がその返信です。

———–

どうも。元気ですか?

 

暫く会わないでいると1年があっという間に過ぎてしまいますね。

反省!・・9月9日はお誕生日おめでとう!!遅いか!!ごめん。

 

で、久しぶりにメールが来たと思ったらプレアデスの話ですかい・・。

 

・・・何故にプレアデスが「心の時代」のキーワードなのか?

 

実は最近、僕はあまり所詮「理屈」でこういう事を定義づけを

あえてしないようにしてるんですが・・・それよりも演ろうと・・・。

ただ、まあ屁理屈大好きのぼくとしてはですね(笑)・・・

最初に断っておきますがこれは全くの個人的な持論ですよ。

 

創世期に地球人の創造に関わったアヌンナキ(神々の会合)

と呼ばれる意識体はもともと星座の周波数で言うとプレアデス

と共鳴していました。

(まあそれを「プレアデス星人」と呼ぶ人もいますが、僕は物理

世界での理屈は距離感とか重量感とか質量とか、イメージ的に

限界があるので周波数とか、波動の法則は例えば音楽の様に

「見えない実在」として考えるようにしています)

 

さて、そのアヌンナキの目的は地球上に自分達の集合意識の

「端末」として人類を生み出し「生命の繰り返し=進化のエンジン」

としての有限な機能である肉体を持った人間が、代を重ねて

進化・成長することで「美」という人間の普遍的て固有な感覚を自ら

エネルギー化してゆく役割を与えた。というお話です。

 

したがって、「美」の真の価値を人類が見つけるために、

そのアジェンダとしてバイオ・スフィア→テクノ・スフィア、そして

ヌースフィア(精神圏)さらに→???といった進化過程も彼ら

アヌンナキ即ちプレアデスと共鳴する意識によるものなので、

人類の大きな流れ上でヌースフィアに至るプロセス=「心の時代」も、

ま、同様に彼らプレアデスの目論見である。ということでしょうか。

 

実際のところ、昴・プレアデス・マカリイ・・・きっと他にもたくさん

呼び名があるのでしょうが、地球のどこから見ても、あの可憐で

カラフルな6つの星が放つ光の美しさは人の心の周波数をしなやかに

上昇させるのでしょうね。

 

そういった意味では「心の時代」のワンネスという課題を誘導

するのは、他ならぬ「美」であって、そこに皆が意識を集中

する事によってチューニングが統一されて、全てが共鳴できる、

という事に繋がるのかもしれません。

 

今、TVでちょうどイスラム世界の問題を取り上げた番組をやって

ました。するとある人がこう言っていました「同じ言葉を話せばいい

のさ。そうすれば奴らの気持ちも判るだろう」と。

 

ところで最近、実は新しいウクレレを開発したんですが、僕はその名を

「Cocolo=ココロ」と名づけました。廃材を使ったウクレレです。

別にココロの時代を意識したわわけではなく、コロコロと良く鳴るので

「コロコロ→ココロ」としました。そのココロは「チューニングしろ!」です。

とてもよく出来た楽器なので、日本やハワイだけじゃつまらない。

「世界平和楽器」として世界中にも広げたい!!と念じたら、早速

イギリスのファッションデザイナーのPaul Smithさんが気にいってくれて、

コラボすることになりました。http://www.lovenotesjoy.com/hiro/

 

それともうひとつ、BS日テレの年始特番で「ラブノーツ・イン・ハワイ」

という僕らの番組が放映されることになりました。1月1日の午前1時 から1時間です。今、編集作業でスタジオに缶詰状態です。

http://www.lovenotesjoy.com

いやーーまた語ってしまったよ。近々会いましょう。ではでは。Hiro