BUCHAN通信 No.00088 99.06.01 ドグラ・マグラの解放治療

ドグラ・マグラは1935年に夢野久作によって書かれた小説だ。この小説は主題として胎児の夢が扱われているというので読んでみた。そのなかに登場する心理療法が解放治療という。当時の精神病院はどこも監獄のようなところだったが、ドグラ・マグラに登場する精神科医は精神に平衡感覚を持たせるためには監獄に入れてはならないと広い土地に患者を放して自由にさせる。かつて患者が心にため込んだ鬱屈したものを吐き出すためには自由が何よりだという。しかも、全ての人間が実は地球上で自分の前世や胎児のときの恐怖の記憶を克服するために、自分の人生を生きることを通して自分を治癒しているのだという。これが60年以上前に書かれていたとはすごい。

ところで、前世や来世はきっとあるんだろうなぁとは思うが、まだ僕は確信には至っていない。しかし、仏教で説かれている前世や来世は因果応報の考え方に基づいているので、現在の生き方が現在や未来の自分、特に家族関係や人間関係に大きな影響を与えるものだとは考えている。

来世のために何かをするということは、とりもなおさず「自分」の利益にいつかなることを表現している。来世を良くするために現在の自分を高めるように諭している教えは、実は現在や近い未来の自分自身に大きな影響を与えることをわかりやすく表現したものなのではないだろうか。自暴自棄になっている人間はなかなか現在の自分のために徳を積むことができない。そこで、その自暴自棄があたかも永遠に続くことになるよと諭すことによって、自暴自棄からの脱出を教えようとするものなのではないだろうか。さらに他人のために何かするということも現在の自分だけを中心に教えるのは不可能に近い。「なぜ他人のために何かしなきゃならないのか」と考えている人に、巡り巡ってその方があなた自身に良いことになるよとは、なかなか納得させられない。そこで前世や来世という方便を使うのだ。

自分の例で書こう。僕の母はお姑さんにいじめられたと僕が幼い頃から言い続けてきた。同じ墓にも入りたくないと言う。結婚したばかりの頃、両親は姑と同居していた。その後、母は姑と別居してから僕を産んだ。まだ幼い僕を連れ、姑の家、つまり僕にとってはおばあちゃんの家に泊まったことがある。その何日か後に母が姑の悪口を言った。それを聞いて僕は泣きだしたのを今でも覚えている。僕にとっては悪いおばあちゃんには思えなかったのだ。

それから何十年もたち、僕や僕の兄は嫁さんをもらうとき、絶対自分の嫁さんがお姑さん、つまり僕の母とは暮らすまいと考える。ところが母は、絶対同居でなければ嫌だと譲らない。母は自分がお姑さんに苦労したから私は苦労かけないと言い張るのだが、息子からはそうは思えない。つまり、かつての母の姑への怒りが因果応報として息子と母の関係に現れているのだ。短く書くとあまりにも単純でへぇってなもんだが、本人にとってはかなり深刻だ。母の心の底には、かつて自分が姑に持った嫌悪感を息子の嫁に持たれないようにしているのかもしれない。しかし「嫌悪感を持たれまい」とすればするほど相手には嫌悪感を抱かせてしまう。

母に限らず人は、「自分はこうだった」という思いこみから行動したりものを言ったりせざるを得ない。だから母はこう考える。かつての私に比べれば今の嫁さんは幸せよと。ところが当の嫁さんにとってはそれがとても我慢のできないことだったりする。

相手に「ある考え」を受け入れろと言うのは簡単だ。しかし、なかなかそうはいかない。一番簡単にその問題を解決するのは自分が相手の考えを受け入れることである。その問題がふたりだけの関係ならばまだ話は簡単だが、それに関係する人が三人、四人と増えれば増えるほど、話は複雑になり、本人たちにはときほぐせない迷宮になってゆく。

現代の家族問題の発端はこんなところにもあるのだ。
僕は親子関係を通じて解放治療を受けているのだな。(ため息)

要約 現代の家族問題は前世と来世の問題である。 (笑)

“BUCHAN通信 No.00088 99.06.01 ドグラ・マグラの解放治療” の続きを読む

英国美術の現代史とラナーク

「美術」という言葉は「art」のいい訳語ではない。最近とみにそう思う。「美術」という言葉がどうしても「美しい」ものを思わせてしまうからだ。特に最近の「art」は美しさから離れていっている。

先日、森美術館でおこなわれている「英国美術の現代史〜ターナー賞の歩み」を見てきた。ちっとも美しくない。しかし、「art」である。技巧を凝らした人工物なのだ。 だから「美術」と言われると混乱する。「art」と言われると心の片隅がとても落ち着く。

それぞれの作品は自身ではもちろん何も語らないが、見ている者が語りたくなる。つまり、語らせる装置になっている。

ターナー賞の作品はその生い立ちからして「鑑賞者を語らせる装置」として存在しなければならなかったことをプログラムから知った。ターナー賞は1984年から始まり、1990年に一年だけおこなわれないが、1991年からテレビ局と提携して復活する。そのことについてプログラム中の原稿「英国美術の20年」(リジー・ケアリー/キャサリン・スタウト)にこう書かれている。

ターナー賞がテレビ局「チャンネル4」と提携したため、作品は以前にも増して広範な市民の目に触れ、大手マスコミから注目されるようになる。これらは重要な意味があった。それまでの作品の多くは主要新聞やタブロイド判の記者たちからさんざん嘲られたり、疑いの目を向けられたりしてきたが、この頃からそれを打ち消すようにサラ・ケント、リチャード・ドーメント、そしてリチャード・コークなどの評論家が腰を据えて擁護にまわった。ターナー賞は現代美術を認知させ、美術とは縁のなかった人々の関心を惹きつけるうえで大きな役割を果たした。この時期には若手アーティストの得意とする自己宣伝、メディアを利用した作品の売り込みなどの事業家精神がターナー賞の方針とも一致して、入場者数も新聞記事の量も毎年のように増えていった。またそれが人騒がせなもの、物議をかもすものを待望する気分を世間に植えつけることになり、今日までその影響が続いている。

だからこそ余計にこの展覧会は何か言いたくなるような作品が多いのだろう。つまりこの美術展の作品はみんなボケている。鑑賞者のツッコミどころ満載なのだ。僕もひとつひとつの作品にああだこうだいいたいのだが、ここではそれを脇に置いておこう。

同じ頃にアラスター・グレイという英国の作家が書いた『ラナーク〜四巻からなる伝記』という小説を読んだ。本屋で本を見て読みたくなった。その本はとにかく分厚い。700ページ以上ある煉瓦のような本だ。その帯にはこのようなことが書かれている。

ダンテ+カフカ+ジョイス+オーウェル+ブレイク+キャロル+α……

『重力の虹』『百年の孤独』にならぶ20世紀最重要世界文学、ついに刊行!

奇才アラスター・グレイによる 超弩級百科全書的ノヴェル。

「グレイは現代英国作家の中できわめて貴重な存在、本物の実験家である。”正しい”英語散文のしきたりを大胆勝想像力裕に破ってみせる」デイヴィッド・ロッジ

「よどみなく流れる文章、奔放な想像力、半ば幻想、半ばリアリズム……文句ないの傑作」ガーディアン

「『ラナーク』は愛に満ちた鮮烈な想像力の賜物、小説の宝箱である」タイムズ文芸付録

「これほど素晴らしいデビュー作を読んだのはひさしぶりだ。ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』のスコットランド版という名にもっともふさわしい作品」イヴニング・タイムズ

実際に読んでいくと謎だらけだ。はじめの数ページはあまりにも平凡で、帯に書かれている文句に釣られてしまったかと後悔しかけた。ところが少しずつ現実が破綻し始め、意味がわからないところが現れてきて、しかもその意味を求めて先を読んでしまう。ずぶずぶと罠にかかってしまった。

まず最初の謎が「第三巻」から始まることだ。スターウォーズがエピソード4から始まったようなものだ。この第三巻は現実なのかファンタジーなのか微妙な味付けで終わる。そして次の第一巻は主人公が変わる。その主人公と第三巻の主人公の関係は明かされない。第四巻も読み、ついに一巻に戻ってくる。ここですべての謎が明らかにされるのだろうと期待するのだが、明らかにされたかどうかもはぐらかされる。

いったいこの小説はなに?

と言いたいのだが、なぜか読んで満足してしまう。3,500円と税金分のお金をかけ、何時間もの時間を読書に費やし、わかりかけた謎はなぞのままに放置されて、なんでそれで満足するのか? まったくもって不思議な作品だ。なんでこれで評論家たちが文句を言わないのか、理解できなかった。ところが「英国美術の現代史」を見て少し分かった。この作品もツッコミどころ満載なのだ。

本を読む行為が好きな人にはお薦めの本だ。しかし、ハウツー本とか、人生をうまく生きる本だとかいうような本ばかり読んで満足する人にはお勧めできない。明確な答えが何もないから。この作品も英国の「art」なのだ。細部についてああだこうだと語りたくなる。

「英国美術の現代史〜ターナー賞の歩み」

伊勢神宮の月次祭

奉幣

6月15日から16日にかけて、伊勢神宮の月次祭(つきなみさい)に行ってきた。

月次祭は10月の神嘗祭、12月の月次祭とともに三節祭(さんせつさい)と呼ばれ、神宮で行われる年間の祭儀のうちでも特に由緒のあるお祭とされている。

15日午後6時から皇大神宮(内宮)で御卜(みうら)がおこなわれた。御卜は月次祭を行うに際して、神職が神の御心にかなうかどうかをうかがう儀式。内宮正宮のなかで神職たちがひとりひとり名を呼ばれ、そのたびに深くお辞儀をしているのがうかがえた。

その後、午後10時に豊受大神宮(外宮)にて由貴夕大御饌祭(ゆきのゆうべのおおみけさい)と、翌日午前2時に由貴朝大御饌祭(ゆきのあしたのおおみけさい)がおこなわれた。どちらも伊勢神宮に入れない時間なので一般の方は見ることができない。由貴とは「齋忌」(ゆき)すなわち最も清浄で立派な神饌という意味であり「三節祭」に限り供される神饌だそうだ。毎日供えられる神饌は日別朝夕大御饌(ひごとあさゆうおおみけ)と呼ばれる。

翌日16日正午は外宮で奉幣(ほうへい)の儀。奉幣とは天皇の命により幣帛(へいはく)を奉献すること。幣帛とは神に奉献する神饌以外のことをいうが、帛とは布のことであり、古代では布帛(ふはく)のことであったものが、いつからか神饌以外のものを幣帛と呼び、時には神饌も含むことがあるそうだ。927年に完成しその後40年間の改訂ののち施行された延喜式には幣帛の品目として「布帛、衣服、武具、神酒、神饌」などが記されている。神の献げ物であると同時に、神の依り代であるともされている。

上の写真はその奉幣の儀のために正宮に向かって行進している衛士と神職。赤い服をお召しなのは神宮祭主の池田厚子様。今上天皇のお姉様である。その前に担がれている櫃に幣帛が入っているのだと思われる。正宮に入ったあと、垣内の右手にあったお社で何か儀式があり、その後奥へと奉献された。担がれてきた櫃には何か別の物が入れられ、運び去られた。何が入れられたのかはよくわからない。ご存じの方がいらしたらぜひ教えてください。

このような祭がおこなわれていることに感謝。