走る - 2 - 太りすぎ

会社を辞めてフリーとなり、なんとか雑誌に書いたりして本も出版した。

しかし、ふと気がつくと38歳だった。体重は97kgになり、会社勤めしていた頃より12kg以上増えてしまった。さらに飛んでもないことに血糖値が高くて糖尿病だと言われた。とてもトライアスロンどころではない。数km走るのがきっとやっとだろう。医師からはジョギングも禁止された。薬を飲んで安静にしてなさいということだ。入院まで勧められた。しかし、それじゃあもう自分のからだがどうにもならなくなってしまうと思い、医師の話は無視してとにかくジョギングくらいはしてやろうと思った。

40歳にアイアンマンレースはどう考えても無理だ。そこで無理ではない程度に上方修正した。数年のうちにマラソン、50までにアイアンマン。

実現できるかどうかはわからない。とにかくやることにした。

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走る - 1 - 体育の授業で

これから僕なりの走ることについてのエッセイを書いていく。まずは僕が走るきっかけとなったことから。

幼稚園児の頃、僕は痩せていた。兄にいつも「ガリガリ」とか「ヤセ」とか言われてからかわれていた。その反動か、小学生の高学年の頃から太り始めた。中学に入って放送委員になると「ブタさん」とあだ名されたほどだ。写真を見ると確かに太っている。中一の体育の授業で長距離走をさせられた。クラスでビリから何番目かだった。幼稚園の頃から徒競走はいつも一番ビリだったので、足が遅いことをあまり気にはしていなかったが、そのときはじめて悔しいと思った。

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水泳のとき感じることは

この半年ほど泳いでいるが、泳いでいて変化したことをもうひとつ見つけた。それは何を考えているか、または何を感じているかだ。

以前は泳ぎながら疲れを感じようとしていた。たとえば「肩が痛くなってきたな」とか「息が苦しい」とか、そんなことだ。考えれば考えるほど疲れてくるのかもしれない。感覚は繰り返し感じることを真実だと判断する。半年泳いでそれらのことを感じなくなったわけではない。だけど泳いでいる時間の多くは別のことを考えるようになった。それは「水の圧力」と「速度」だ。

ひと搔きするたびにからだのどこかに余分な圧力がかかってないか感じてみる。もし余分な圧力がかかっていたら、それはもしかしたら泳ぐための抵抗になっている。

水の圧力に注意するのは、特に平泳ぎをしているときだ。平泳ぎでは微妙な足の形や、手と足のタイミングで進む距離がかなり変わる。僕は25mを6〜8回搔くのだが、ぼんやりしているとすぐ8回搔くことになる。搔くときに足にかかる水の圧力に注意しないと、何か抵抗になってしまうらしい。搔いたときの足首の微妙な角度が抵抗になるようだ。だけど、その角度に注意しだすと今度はなかなかいい角度にならず、うまくいかない。しばらくやっていてわかってきたのは、搔き終わったら足首の力を抜くことだ。水流が足首の角度を決めてくれる。それに委ねること。思いつけば当たり前なのかもしれないが、「角度に注意する」と考えると罠にはまる。

手で搔くとき脚も曲げて同時に息を吸う。頭が水に入るとき、脚は搔いて手は伸ばす。このときに手の先に圧力がなるべくかからないようにする。ちょっとの違いで圧力を感じるものだ。頭は両腕の下に入るようにする。そして搔いたあと体を伸ばしてスーッと進む。

うまく足に余計な抵抗を感じずに、足と手のタイミングがバッチリと合って、手の先に圧力を感じず、さらに搔いで伸びきったときの格好がいいと6回搔けば25m泳げる。ときどきもうすぐ5回で到達できるときもあるが、なかなかいまの僕にはそこまでは伸ばせない

クロールの場合は搔いている力と速度の関係を感じてみる。圧力が感じられるのはかなり格好が悪くなったときだ。

たとえばクロールの場合は頭の位置が抵抗になる。それから、足が下がってきても抵抗になる。前方にひとがいなければ、頭は落とし、真下を見ていた方が楽に進む。足が下がったときはゆっくりとバタ足を大きくして足が上がるように注意する。このとき膝を伸ばして足の付け根から大きく搔くことを忘れない。あとは搔いている手を水に入れるときの角度がきっと関係あるのだが、まだどの角度がいいのかよくわからない。しばらくいろいろと試してみる。

こんなことを感じることで、疲れや苦痛を増幅させずに済む。だんだん水泳が楽しくなってきた。