水中出産

「書く冒険.jp」の「Photographs & Text」に次はどんな写真を掲載しようかと、古いファイルを開いていたら、ベルギーのオステンドにある水中出産施設の写真が出てきたので掲載した。その写真がどのようにして撮られたのかここに説明しよう。

1996年、僕はベルギーのブリュッセルで「国際イルカクジラ会議」に出席した。会議の中でベルギーの産婦人科医が講演をする予定だったが来なかった。その日、たまたま入院していた妊婦が出産し、来られなくなったのだという。そこで講演を聞きながら見る予定だった映像を見せてもらった。それは水中出産についての説明ビデオだった。

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自称皇帝

1859年から1880年まで、サンフランシスコに『合衆国皇帝にしてメキシコの庇護者ノートン1世』と自称する変わり者がいた。1858年に事業に失敗し、破産を宣告されおかしくなったようだが、当時のサンフランシスコの人びとの多くは、その彼を非常に愛していたようだ。なぜなら1880年の彼の葬儀に3万の人びとが垣をなし、棺に続く葬列は2マイルにたっしたというのだから。

たまたまウィキペディアでその変わり者ジョシュア・エイブラハム・ノートンの記事を見つけた。とても興味を持った。精神疾患を患っていたようであるが、時々勅令をサンフランシスコの新聞に掲載していたという。ベイブリッジの建設を指示したり、国際連盟の設立を指示したりしている。もちろん、彼の指示では事は動かなかったが、後年実現していく。つまり、ノートンは社会が必要としていたことをきちんと知っていたと言うことになるだろう。

そんな彼はあまりにも人気があったため、最高級のレストランには「合衆国皇帝ノートン1世陛下御用達」と刻んだプレートが掲げられたそうだ。どうも彼はただで食事をしていたようだ。仕事がないので非常な貧乏だったという。あるとき食堂車で食事をしたら、料金を請求されたので、皇帝は勅令として営業停止命令を出したという。すると多くの市民が皇帝を支持したため、鉄道会社はあわてて終身無料パスを発行し、許しを請うたという。

少額の負債のために独自に紙幣を発行したりしたが、それはサンフランシスコ界隈では実際に流通し、50セントから5ドルという紙幣だったが、今ではオークションで1000ドルの価値がつくという。サンフランシスコ市は当時、皇帝の服が古くなると敬意を表し新調したそうだ。

この人に関する本があるなら読んでみたい。ほかにもたくさんの逸話があるので、興味のある方はウィキペディア「ジョシュア・ノートン」の項目を読んでみてください。

ウィキペディア「ジョシュア・ノートン」

サクラハドコデスカ

六本木に行くために大江戸線に乗ろうと新江古田駅のホームに降り立った。いつも乗る位置にふたりの若い白人が立っていた。一人はとても背が高い。190cmはあるだろう。もうひとりは180cm程度か。

ホームに電車が入ってきて、二人は車内に入っていく。椅子があいていたが、背の高い方はドアの脇に立ち、背の低い眼鏡の男は椅子に座った。

不自然に感じた。友達なら一緒に立つか、一緒に座るだろう。少し離れた位置で一人は座り、ひとりは立つ。僕は背の高い男のそばに立った。椅子がまだあいていたので座ろうかなと思ったとき、背の高い男が「アノ」と話しかけてきた。なかなかの美男子で瞳が青い。

「何か?」

「サクラハドコデスカ?」

桜が咲き、そろそろ散ろうとしている時だった。いま盛りなのはどこだろうと考えた。

「シンジュクハ?」

「ああ、新宿御苑がいいかもしれないね」

「タクサンサイテル?」

「たぶん咲いてる。でもそろそろ散っているかもしれないし、ちょっとわからない」

「モウスグ、ワタシカエル」

「ああ、国に帰るのね。どこ?」

「アメリカ」

「アメリカのどこ?」

「ユタ。ユタシッテル?」

「知ってるよ。岩山が多い所ね」

「ナゼシッテル?」

「なぜ? 日本じゃアメリカのことは有名だよ」

「ソウ? シラナイヒトオオイ。アメリカイッタコトアル?」

「あるよ」

「どこ?」

「サンフランシスコ、ニューヨーク、ハワイ」

「ハワイイイ。イキタイ」

「ユタは行ったことないけどね」

「ウン、ヘイキ。アナタユタノコトシッテル、メズラシイ。アナタシンエコダノソバニスンデイル?」

「そうだよ」

「ワタシモソバニスンデイル」

「そう」

このとき、座った眼鏡の男も隣に座っていた人に話しかけていた。

「アナタセイショヨンダリシマスカ?」

「読んだことはあるよ。でも信者じゃない。仏教の本も読むし」

「キョウカイニハ イッタコトアリマス?」

「昔、子どもの頃にね。友達に誘われて通っていたことがあるよ。クリスマスに劇をやったな」

「オオ、スゴイ。デハマタキョウカイニキマセンカ?」

「いや、別に行こうとは思わない」

「コンシュウマツニ ヨゲンシャガ、サテライトのホウソウでオハナシシマス」

「衛星放送で話すの?」

「そう、エイセイホウソウデハナシマス」

「予言者って誰?」

青い瞳は鞄から一枚の紙を出してきた。そこには三十名ほどの顔が描かれていた。上の方は絵だったが、下に降りると白黒写真になり、一番下はカラー写真だった。

「コレガスベテヨゲンシャ」

「なんの予言者?」

「モルモンキョウ、シッテル?」

ユタ州と言われたときに気がつけば良かった。彼はモルモン教の布教のために来ているのだ。一番上に描かれていたのはジョセフ・スミスというモルモン教の開祖だった。それ以来、代々預言者が受け継がれているという。

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