食べ物は記憶で味が変わる

先ほど、NEWS ZEROで、未来の食をテーマにいくつかの未来食についてレポートしていた。そのうちのひとつにバーチャル・リアリティを利用して食べ物の制限をする話があった。

レポーターの目の前にはご飯が置かれている。それをヘッドセットを通して見ると、カレーがかかったカレーライスに見えるようになっている。スプーンでご飯をすくうと、ヘッドセットからはカレーのかかったご飯をすくいあげているように見え、そのまま食べると、実際にはご飯しか食べてないのだが、視覚的にはカレーライスを食べているように見えるというもの。このときレポーターが不思議な反応をする。実際にはカレーを食べた訳ではないのに「カレーの香りを感じた」というのだ。

まさかと思う一方で、「やっぱり」とも思った。似たような体験を以前していた。それは「塩餡餅」だ。「しおあんびん」と読む。

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バリ島のエカダサ・ルドラ

バリ島のアグン山が噴火しそうで、八万人の人たちが避難しているという。いったい何が起きたのだろう?と思ってしまう。なぜなら、何度もバリ島に通っていろんな話を聞いた中に、こんな不思議な話しがあった。それは1963年のアグン山の噴火にまつわる話だ。

聞いた話を正確に書くこうだ。

昔、100年に一度おこなわれるエカダサ・ルドラというお祭りの日程を、当時の大統領が勝手に決めてしまった。バリ島の祭の日程は高位の僧侶が決めるものだった。なので僧侶たちは非常に怒った。すると神様も怒り出し、アグン山が噴火してしまった。

本当かな?と思った。しかし、教えてくれた人は本当だという。調べると、1963年にアグン山は噴火していて、そのときの大統領はスカルノ大統領だった。そのときちょうどスカルノ大統領は「ナサコム(NASAKOM)」という運動を展開していた。wikipediaによればそれは、

「ナショナリズム(Nasionalisme)、宗教(Agama)、共産主義(Komunisme)」から造語されたものであり、宗教やイデオロギーを背景にしたインドネシア国内のさまざまな対立勢力の団結を訴え、スカルノがその調停者としてふるまうためのスローガンとして期間中くりかえしスカルノによって叫ばれ続けた。

という。エカダサ・ルドラの日程をスカルノが決めても不思議ではなさそうだ。

後日、1979年にエカダサ・ルドラはおこなわれたらしい。そのときに録音されたお祭りの音が存在するのを見つけた。

今度バリ島に行ったら、そのときの資料を探してみようと思う。アグン山の怒りが収まってから。

トップの写真は、ブサキ寺院から眺めたアグン山。ブサキ寺院でエカダサ・ルドラがおこなわれる。

※エカダサ・ルドラ
約100年に一度ブサキ寺院で行われる祓魔儀礼。最大のチャル(供物)が与えられる。悪神ルドラに供犠することでルドラを最高神シヴァに転換させる。

前世について書いてみる

前世というものがあるのかないのか、僕にはよくわからない。あるといえばあるし、ないといえばない。どのような立場から考えるかによってあったりなかったりする。
あるという立場からしばらく書いてみたいと思う。

僕のまわりの人には何度も話したが、僕はこんなことを思っている。

母が死んだ2004年、1月に母が亡くなり、3月にバリ島に行った。そこではじめてンガベンを見た。バリのお葬式である。壮麗な儀式だった。帰ってきてその年の旅を文章にまとめようと思い、さて何を書こうかと考えた。当時氷川台駅のそばにモスバーガーがあった。夕方、そのテラスに座り、モスバーガーにかぶりつきながら目の前の中古車屋さんと民家の隙間にある小さな空から夕焼けを眺めていた。すると、僕の内面で何かがスルスルとつながっていった。一度に全部がつながり、「わかった」と思った。このときの体験は不思議なもので、わかった瞬間に何がわかったのかはよくわからなかった。ところがわかったことだけわかったのだ。

何がわかったのか。
前世というものが、どういうものかの一面がわかった。

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