前世について書いてみる

前世というものがあるのかないのか、僕にはよくわからない。あるといえばあるし、ないといえばない。どのような立場から考えるかによってあったりなかったりする。
あるという立場からしばらく書いてみたいと思う。

僕のまわりの人には何度も話したが、僕はこんなことを思っている。

母が死んだ2004年、1月に母が亡くなり、3月にバリ島に行った。そこではじめてンガベンを見た。バリのお葬式である。壮麗な儀式だった。帰ってきてその年の旅を文章にまとめようと思い、さて何を書こうかと考えた。当時氷川台駅のそばにモスバーガーがあった。夕方、そのテラスに座り、モスバーガーにかぶりつきながら目の前の中古車屋さんと民家の隙間にある小さな空から夕焼けを眺めていた。すると、僕の内面で何かがスルスルとつながっていった。一度に全部がつながり、「わかった」と思った。このときの体験は不思議なもので、わかった瞬間に何がわかったのかはよくわからなかった。ところがわかったことだけわかったのだ。

何がわかったのか。
前世というものが、どういうものかの一面がわかった。

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江島杉山神社

不思議なオジイさんに聞いた杉山真伝流の開祖、杉山和一が祀られている江島杉山神社に行き、お参りをした。7月25日だった。

なぜここに来たのかという理由は特にない。気になったからとしかいいようがない。不思議なオジイさんの話はこちら。

不思議なオジイさん その2

7月18日、目覚めの頃に夢を見た。
「知りようのないことの証拠をいくつか集めろ」と言われる。
誰に言われたのかよくわからない。
「そんなの無理」と思うのだが、しばらくしてひとつめの謎の証拠がひゅうっとやってくる。
ひえーっと思って目を覚ました。
「知りようのないことの証拠を集めるなんてそんな簡単なわけないじゃん」と思っている自分が「おかしいのかも」と思い、何か長い間謎だったことが簡単に謎でなくなったりしないかなぁと思う。
このところあちこちで「ホツマツタエ」に出会うので、『言霊 ほつま』という本をひさしぶりに開いてみた。
つらつらと読んでいくと、天道宮という神社がかつてあり、現在は消失してわからなくなっているという記述があった。なぜか知らないけど、これが怪しいなと思い、ネットで検索。
天道宮は再建されていた。
http://everkyoto.web.fc2.com/report1178.html
天道宮の何に僕はひっかかったんだろうと調べて行くと、その神社内に明治天皇の皇后、昭憲皇太后の御胞衣埋納所の碑があることを知る。
びっくり!
毎年バリ島に行っているが、そこの風習の一つに、赤ちゃんが生まれたとき、その後産、つまり胎盤を家の隅に埋めるというのがあるのだ。同じような風習が日本にもあったんですね。
あともうひとつ気になったのは、この神社に市杵島姫命が祀られていること。江島神社の祭神がここにも出てきた。
で、これが知りようのないことの証拠の一つだとしたら、あとは何を見つけていくんだろう?

 

この日の昼過ぎ、約束通りオジイさんに会った。
資料として『言霊 ホツマ』鳥居礼著を持っていった。それを見るとオジイさんは、「そこには○○○○のペンネームで僕のことが載っているはず」というので、まずは「はじめに」の部分を見ると、その終わりに、確かに○○○○という名が記されていた。
これですか?と名前を指さすと、「そう、それそれ」と言って嬉しそうにした。

 

なぜホツマツタエに出会ったのかを聞いた。
権田直助の和法の本『神遺方』に「ま、ほ、つ」という言葉が基本であるというふうに書かれていていたそうだ。そのときにはその意味がわからなかったが、どこかの古本屋さんに、松本善之助先生の「ホツマ入門」という本を見つけ、これだと思い読む。後日、松本先生を訪ねる。いまのような次第でホツマツタヱに出会ったと伝えたら、先生が「私も若い頃、権田直助先生の神遺方に出会ったことがある。よく来られた」と言われたそうだ。
それ以来、松本先生が和光市でおこなっていたホツマツタヱの研究会に通うようになる。ここに小笠原長清さんと鳥居礼さんが参加していた。この勉強会で富士山本宮浅間大社でおこなわれた言霊の祭典のことを知り参加する。そこで吾郷清彦先生に出会い、『春日言霊学』という著書をいただいた。そして須田麻紗子先生を紹介してもらう。須田麻紗子先生は『完訳 超古代史 秀真伝』という本を出版している。