小説『昴』を読んだ

このパーティーでいただいた小説『昴』を読んだ。

この小説を読みながらいくつものシンクロニシティを感じた、「マカリイ」に関してはこちらに書いたが、ほかにも「太一」「諸葛孔明」「月震」などに僕は響いた。

「太一」については先日読んだ吉野裕子女史の本に登場する。「諸葛孔明」というのはひさしぶりにあるイベントの内覧会で大島京子さんに会ったら、諸葛孔明がしていたという占術に話しが及び、そのことをいろいろと教わっていたのだ。「月震」は月が中空になっていて、表面で大きな振動を与えると、鐘のように響き続けるという話しだ。これはかつてその研究をするためにNASAから機材発注を受けた会社の人から話を聞いた。

どの話も僕個人に起きたことで、すべての人に関係あるわけではないが、小説『昴』はそのようなゆるい関係性を信じる人のために書かれた小説だと思う。ハリウッド映画のように観ている者、読んでいる者を結末に追い込む作品ではなく、縁(えにし)の妙を楽しむことができる人に許される仕掛けが凝らされている。

たとえば小説『昴』には紅白二本のスリップ(しおりのための細い紐)がついている。小説に二本のスリップは珍しい。しかも紅白だ。なぜだろうと思いながら読んでいると、小説の中にそのヒントのような話しが登場する。しかし、その話しもこの本の装丁とどう関係あるのか、具体的には明かされない。ニュアンスの網の目に読者は誘(いざな)われる。

谷村氏は作詞をするのでニュアンスにとてもこだわるのだろう。一言一言はごくありふれた言葉だが、いくつかの要素に支えられてある言葉が登場すると、その言葉はもとの言葉以上の意味を持つ。なので読み始めたときには面白さがよくわからなかったが、読み進めるうちにいろんなことが見えてきた。

『昴』 谷村新司著 KKベストセラーズ

LOVE NOTESリーダーからの返信

『昴』の出版記念祝賀会の書き込みの疑問、「昴=プレアデス=マカリイ」はなぜ心の時代のキーワードとしてつながるのですか?」とLOVE NOTESのリーダーヒロ川島さんにメールで質問しました。以下がその返信です。

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どうも。元気ですか?

 

暫く会わないでいると1年があっという間に過ぎてしまいますね。

反省!・・9月9日はお誕生日おめでとう!!遅いか!!ごめん。

 

で、久しぶりにメールが来たと思ったらプレアデスの話ですかい・・。

 

・・・何故にプレアデスが「心の時代」のキーワードなのか?

 

実は最近、僕はあまり所詮「理屈」でこういう事を定義づけを

あえてしないようにしてるんですが・・・それよりも演ろうと・・・。

ただ、まあ屁理屈大好きのぼくとしてはですね(笑)・・・

最初に断っておきますがこれは全くの個人的な持論ですよ。

 

創世期に地球人の創造に関わったアヌンナキ(神々の会合)

と呼ばれる意識体はもともと星座の周波数で言うとプレアデス

と共鳴していました。

(まあそれを「プレアデス星人」と呼ぶ人もいますが、僕は物理

世界での理屈は距離感とか重量感とか質量とか、イメージ的に

限界があるので周波数とか、波動の法則は例えば音楽の様に

「見えない実在」として考えるようにしています)

 

さて、そのアヌンナキの目的は地球上に自分達の集合意識の

「端末」として人類を生み出し「生命の繰り返し=進化のエンジン」

としての有限な機能である肉体を持った人間が、代を重ねて

進化・成長することで「美」という人間の普遍的て固有な感覚を自ら

エネルギー化してゆく役割を与えた。というお話です。

 

したがって、「美」の真の価値を人類が見つけるために、

そのアジェンダとしてバイオ・スフィア→テクノ・スフィア、そして

ヌースフィア(精神圏)さらに→???といった進化過程も彼ら

アヌンナキ即ちプレアデスと共鳴する意識によるものなので、

人類の大きな流れ上でヌースフィアに至るプロセス=「心の時代」も、

ま、同様に彼らプレアデスの目論見である。ということでしょうか。

 

実際のところ、昴・プレアデス・マカリイ・・・きっと他にもたくさん

呼び名があるのでしょうが、地球のどこから見ても、あの可憐で

カラフルな6つの星が放つ光の美しさは人の心の周波数をしなやかに

上昇させるのでしょうね。

 

そういった意味では「心の時代」のワンネスという課題を誘導

するのは、他ならぬ「美」であって、そこに皆が意識を集中

する事によってチューニングが統一されて、全てが共鳴できる、

という事に繋がるのかもしれません。

 

今、TVでちょうどイスラム世界の問題を取り上げた番組をやって

ました。するとある人がこう言っていました「同じ言葉を話せばいい

のさ。そうすれば奴らの気持ちも判るだろう」と。

 

ところで最近、実は新しいウクレレを開発したんですが、僕はその名を

「Cocolo=ココロ」と名づけました。廃材を使ったウクレレです。

別にココロの時代を意識したわわけではなく、コロコロと良く鳴るので

「コロコロ→ココロ」としました。そのココロは「チューニングしろ!」です。

とてもよく出来た楽器なので、日本やハワイだけじゃつまらない。

「世界平和楽器」として世界中にも広げたい!!と念じたら、早速

イギリスのファッションデザイナーのPaul Smithさんが気にいってくれて、

コラボすることになりました。http://www.lovenotesjoy.com/hiro/

 

それともうひとつ、BS日テレの年始特番で「ラブノーツ・イン・ハワイ」

という僕らの番組が放映されることになりました。1月1日の午前1時 から1時間です。今、編集作業でスタジオに缶詰状態です。

http://www.lovenotesjoy.com

いやーーまた語ってしまったよ。近々会いましょう。ではでは。Hiro

CosMos

世の中にはわからないことがたくさんある。それをどうにか理論づけて体系立てていくのが科学だ。科学は世の中を説明するための言葉でありながら、時々逆立ちする。理論で事実を説明しようとすることだ。

もとはと言えば事実を体系立てるために作った理論で、事実すべてを説明しようとする。すると時々説明できない事実が現れる。理論を一生懸命追ってきた人はそのとき理論を優先し、事実を見なくなる。裸の王様を笑った子どものように、事実と理論が違うことを指摘すると、理論を大切にしてきた人たちは「事実が間違いだ」と言い出す。

よくやり玉に挙げられることのひとつが「水の結晶」だ。江本勝さんが「水からの伝言」という本にまとめたこと。水の入った器に言葉を書いたり、言葉の書かれた紙の上に水を置いておくと、言葉の質や内容によって、冷凍してできる結晶の形が異なるという内容だ。これが事実か否か、僕にはよくわからない。普通に考えれば、あり得ない話しだ。だけど実際に実験して確かめたわけでもないのでなんとも言えない。本当なら面白いし、嘘なら馬鹿げたことするなと思うし、ファンタジーなら素敵な想像力を持っているなということだ。今回その実験を見せてもらえることになった。しかも、世界賢人会議「ブダペストクラブ」の創設者、アーヴィン・ラズロ博士と一緒に。 ラズロ博士に会うために最近出版されたばかりの「CosMos」を読んでいった。

その席に招いてくださったのが七田チャイルドアカデミーで知り合った飛谷ユミ子さんだ。おかげさまで水の結晶写真を撮影するブースも見せていただいた。

オフィスでお目にかかった江本さんは、世界中で水の結晶について講演している。すると、海外の研究者のなかには追実験をしてくれる人もいるそうだ。江本氏は言った。

「日本の科学者は何も調べないで嘘だというんだよ。困っちゃってさ」

その場にイタリアから来ていたチトロ博士も同席なさった。チトロ博士はドーパミンの波動を水に転写して、その水でパーキンソン病を治癒したそうで、転写された水を結晶にするとどうなるかを調べに来ていた。そう説明されても僕には意味がわからなかったが、あとで丁寧に説明してもらった。

しばらくしてラズロ博士がいらした。ラズロ博士はシャギ博士というヒーラーを連れてきた。シャギ博士はダウジングを使って人の状態を診る。「誰かからだの調子の悪い人はいませんか?」と言われ、「最近糖尿病だと言われ、薬を飲んでます」と答えたら、診てくれることになった。シャギ博士は僕の背中や頭に手をかざしてダウジングの振れを見る。するとその状態を見て僕の左手の人差し指の先と、小指の付け根に何か印のような物を書いてくれた。ダウジングの振り子の振れ方で印が決まるそうだ。ホワイトボードに右下の写真のように図を描いた。振り子が左右に振れるときは横に一本の線、右回りに平たく振れるときは二本の線、右回りに円のように振れるときは三本の線、縦長に右回りの楕円を描くときには四本の線を描くのだそうだ。

さらに今度は「水を調整する」という。紙に名前の頭文字を書くように言われたので書いた。シャギ博士はしばらくダウジングして、その結果をその紙に書いていった。

「この紙の上に、文字や印が書かれていないコップに水を入れて、3分39秒間置き、その後その水を飲みなさい。毎日就寝前に23日間おこなえば完治します」

その場でその紙の上に水を3分39秒置いて飲んだ。シャギ博士がもう一度ダウジングすると、もう肝臓はよくなり、膵臓もさきほどよりはよくなったという。正直言って「まさか」と思った。そんなことで病気が良くなるはずはないと思った。よくなる理由が何もないと思った。

左の写真は書いてもらった紙。

しかし、理屈がわからなくても現実は受け止めなければならない。これで本当に僕の糖尿病が治れば、理屈はどうであろうと効くと言うことだ。もし江戸時代に生きていた人が、現代のコンピューターを見たらまやかしだと思うだろう。同様にその理屈が僕にわからなくても、現実的に治癒すれば文句は言えない。

言われたことが事実かどうか調べようとしたが、残念なことに僕はある晩、水を飲まずに寝てしまった。23日間は続けられなかった。