2021年1月13日の夢

今朝、また不思議な夢を見た。内容はこんなことだ。
しかし、この話は正確ではない。ある程度の僕の解釈が含まれている。
僕の解釈を差し挟まないと、現実世界では意味をなさなくなるから。
読む人には変なことのように思える箇所があるだろうけど、夢だから仕方ない。

僕はある企業経営者Mに会った。彼の本を作るために。しかし、彼はとても苦しんでいる。なぜなら、彼のことを正しく理解してくれる人がいないから。そこでなぜか僕が呼ばれた。彼の話を聞く。

彼は幼い頃は貧乏で苦労した。しかし、勉強を続け、留学し、大企業に勤務して独立し、自分の会社を作った。

小さな会社は苦労の連続だ。いつ淘汰されるかわからない、そういう会社でも、彼の創造力によって次第に大きな会社になっていった。だけど、ここに問題が生まれた。大きな会社になればなるほど、理不尽な依頼が来るようになる。

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10月9日の夢

10月9日の早朝、夢を見ました。そのことをFBに書きました。
それの転載です。
僕は村上春樹氏に会ったことはありません。

今朝もまた、不思議な夢を見ました。
僕が村上春樹氏とバーで飲んでました。
村上氏がこう言いました。
「僕が猫を棄てたのか、僕が猫に捨てられたのか、それはわからないことだろう」
それで目が覚めました。
なんかいろいろと夢で見たのですが、はっきりと覚えているのはその言葉だけでした。
去年、文藝春秋に掲載されていた「猫を棄てる」を読んでいました。
でも、内容はうろ覚えです。
夢の内容もよくは覚えてないけど、こんなことを話したというのは書けました。それをなぜ書けるのかがうまく説明できない。これから読んでもらうようなことを夢の中で村上氏から聞いた訳ではないのです。でも何かを夢の中で受け取った。受け取った内容を言語化するのに、村上氏が語ったこととして書くと書けるのです。まあ、僕が感じたことを夢で見せられたと考えればいいのでしょうけど、それともちょっと違う気がします。でも、違うと思っているだけかもしれません。
ややっこしいですね。笑
こんな夢でした。以下、村上氏の語りということで表現します。

僕がノーベル文学賞を取れないのは理由がある。僕はその理由を知っているような気がする。
与える者は与えられる者に何かを教える。それが正しい方向であり、与えられる者が与える者に何かを教えてはならないと考える人が多い。
だけど、それは正しくはない。
人はどんなに偉大な人間でも、この宇宙のすべてを知り尽くしている訳ではない。与えられる者にしか理解していないことが必ずある。群盲象を評すのことわざの通り、人間はいつも実際の存在の一部しか理解ができないもの。だから与えられる者にしか理解していないことを、もし与える者がきちんと知ったら、与える者の目はさらに大きく開かれることになる。
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忘れられない夢の話

先日なんとも不思議な夢を見た。

アフリカと思える荒涼とした大地に立っていた。草がおおい茂っているわけではない。大地と同じく黄色く枯れかけたような草が少々生えていた。木もあまりない。葉を落としたような枯れかけの木が何本か見える程度。そんな大地に一本の道が通っている。その道は土が踏みしめられただけのもので、舗装はされてない。

道の左側にはたくさんの動植物が集まってきた。植物までもが移動するのだ。見たことのあるようなものもいれば、見たこともない空想の産物としか思えない動植物もいる。それが道の右手をじっと注意深く見ていた。

しばらくすると動植物が注意深く見ていた方向遠くから、何かが迫ってくる。それは空気の層のようなものだった。

それから逃げようとして走ったが無駄だった。空気の層が通り過ぎると、まわりの色彩が濃くなった。動植物がみんな元気になった。枯れかけの草も緑になった。なぜか自分はうれしくなった。

夢はたいてい目が覚めると忘れる。覚えていても半日程度だ。ところがこの夢はなかなか僕の頭から離れない。