くらやみ祭
府中、大國魂神社の「くらやみ祭」を見に行きました。
5/5の午後6時頃に府中駅に着いたのですが、神社の前は人でいっぱいで、なかに入れません。遠くから「ズーン、ズーン」と異様な低い音が聞こえます。
旧甲州街道沿いの大鳥居の前で御輿などが出てくるのを待ちました。しばらくすると大きな太鼓が出てきました。低い音の正体はこの太鼓でした。この太鼓が何基も出てきました。まだ午後六時頃は明るかったのですが、恐らくこれほど照明がなかった昔には、まっくら闇の中をこの太鼓が遠くからやってくると、それだけで人びとは何か畏れのような感情を持ったことでしょう。太鼓の上に乗っている人が、太鼓の叩く面を提灯で一度照らし、提灯を引き上げるとバチを持った男が太鼓を叩くのです。それを何度も繰り返していきます。
祭にとって畏れという感情は大切なものだったと思います。かつては神は畏れるべき存在でした。だからこそそのお告げに従おうとし、人はまとめられていくのでした。多くの人びとに神の力が憑依することで、普通の人ではできないことをしてしまう、それを見るのが祭でした。見たことのない大きな太鼓を神の力で作られ、それを動かす人びとも神の力で集められ、一人や二人の力ではびくともしない大きな太鼓を何十、何百の人が集まることで淀みなく動かしてしまう。それが神の力と思われたのでしょう。つまり、「畏れる」という感情がとても大切なものだったのです。
そのことに僕が気がついたのはバリ島でした。1999年のニュピという祭に僕はウブドにいました。当時のバリ島はまだ照明がいまほどはついていませんでした。夜になると街路灯が街の中心地ではポツリポツリと点きましたが、100Wもない、恐らく30W程度の暗い電球でした。それがほんのいくつかある程度で、街の中心から離れるとほとんど真っ暗闇でした。そんなところを夜に歩くとなると、自分の脚すらはっきり見えないほどの暗黒です。そんななかでニュピの前夜祭オゴオゴがおこなわれていました。
オゴオゴは悪鬼を象った大きな像(高さ3mほどから、大きいものでも8m程度)を街中で引き回し、海に持っていって、燃やしてしまうと言うものです。最近ではもったいないせいか燃やすまではせず、使い終わったオゴオゴを街で飾ってあったりします。そのオゴオゴを真っ暗闇の中、引き回したのです。何十人もの男たちが暗闇の中を重いオゴオゴを引いて駆け回るのですから、そのときの雰囲気はとても恐ろしいものでした。何十人もの力強く踏ん張った足音が、真っ暗闇の中をこちらにやってくるのです。巻き込まれてはひとたまりもありませんから避けようとするのですが、真っ暗闇なのでどう避けたらいいのかもわかりません。そのうちゴワーッとやってきた人の波とオゴオゴの雰囲気と、人びとの動きにもみくちゃにされて、オゴオゴは去っていくのです。まるで本当に神のような偉大な力が吹き荒れてそこを過ぎていったような感じがしたものでした。
ところがそれから9年が経ち、同じウブドでオゴオゴを見ました。そのときには街は照明であふれていました。オゴオゴは完全にショーアップされたものとなりました。まずオゴオゴが登場するとスポットライトが当てられます。そしてDJがそのオゴオゴの説明をするのです。どこの地域の人たちが、どんなコンセプトでそのデザインをしたかが語られます。それはそれで楽しいのですが、かつての神を見るような恐ろしい感じはありません。はっきりすべてが見えるので、楽しくてウキウキして、笑顔になれるイベントでした。しかしそれは神を畏怖する神事とは思えません。
このくらやみ祭も、もし実際に真っ暗闇の中でやったら、もっと神事としての風格を備えるようになるだろうと思いました。
遠くから腹をえぐるような地響きとも思える太鼓の音がやってきて、目の前を通り過ぎていくのです。ゆっくりと提灯が上げ下げされ、そこに太いバチが振り下ろされる。その様を見ただけで気の弱い人は「神様お守り下さい」と思ったでしょう。だから、できるのであれば、このお祭りのときは府中一帯停電させて、祭を中心にすべてが運営されるくらいのことをしてもらえたらなと思います。それが無理でもせめて照明は落として欲しい。安全のためなのか女性のアナウンスが始終「それは危険だからやめてください」と叫んでいましたが、お祭りの興を削ぐものでしかありません。お祭りというものはもともと安全なものではないのです。それを安全に運営しようとすることにこそ、間違いがあるような気がします。
今年おこなわれた諏訪の御柱祭も、岸和田のだんじり祭も、命がけの部分があるからこそ盛り上がるのです。命を粗末にしろと言うつもりはありませんが、命の価値を知るべき祭では、過剰な安全対策はいらないのではないかと思うのです。祭に参加するひとり一人が安全への対策を十分に考え、覚悟して参加する、その姿勢にこそ尊い何かが生まれてくる気がします。
お祭りは太鼓が通ると次に御輿がやってきました。御輿はいくつもの御輿が競うように往来を行き来します。御輿と御輿がぶつかって、一触即発の雰囲気にもなりました。これでこそ、日本の祭です。
こちらのページを見るとわかるように、この祭には大変な準備がなされています。これらをずっとおこない続けている神社関係の皆様には感動せざるを得ません。
大國魂神社並びにその関連団体、府中の街の人びとはきっとこれを実現させるために、一般の人には見えないさまざまな努力を重ねていることと思います。これからも日本人が素晴らしい伝統を忘れることのないよう、この祭を存続していくことを願い、私などが言うべき事ではないとは思いますが、御礼申し上げたいと思います。
日本の即身佛 1
『日本の即身佛』(佐野文哉・内藤正敏共著 光風社書店刊 昭和44年発行)という本を読んでいる。とても面白いので覚書。少々残酷なのでそのような話が苦手な人は読まないこと。
ミイラというものは簡単にできるものだ。
ex.胎児のミイラ化現象がしばしば見られる。紙様胎児というものがある。双生児の一人が死亡し、水分が生児に吸い取られ、ついには組織まで吸収され押しつぶされ、一片の紙のごとくになって生児と一緒に排出される。
自然に出来るミイラは高温乾燥している場所で風通しの良い場合、または寒冷で乾燥した洞窟内などによくできる。
日本のような温暖多湿の国では自然にミイラはできにくい。しかし、明治以降でも数体の自然ミイラが発見されている。
ミイラとよく間違えられるのは屍蠟。屍体組織の化学変化によって出来る。屍体が水中、もしくは多湿な土中に置かれ、しかも空気の供給がほとんどないとできる。皮膚表面が蠟のように固まるので屍蠟と呼ばれる。
土中に埋葬されたものの、数十年、数百年して掘り出したら、皮膚もそのまま、内臓もそのまま、少しの腐敗もすることなく出てくることがたまにある。屍体が氷りづけにされるとそうなるが、それ以外にも起きる場合がある。これを軟体屍と呼ぶ。屍蠟でもなく、ミイラでもない永久保存屍体ということで法医学では「第三永久保存屍体」と呼ぶ。法医学の権威、古畑種基博士が命名した。
ミイラと言えばエジプトが有名だが、それ以外にも世界中にある。