今年もニュピにバリ島に行ってきました。今回印象に残ったことは三つありました。
まずひとつは、日が昇る前にブサキ寺院に行き、入口で日の出を待って入っていきました。とてもきれいでした。アグン山が朝日に輝き、神々しい感じがしました。しかもアグン山の全容が見えました。滅多にないことです。
僕たちの直感は水のきらめき ゆらめくように浮かんでは消え
今年もニュピにバリ島に行ってきました。今回印象に残ったことは三つありました。
まずひとつは、日が昇る前にブサキ寺院に行き、入口で日の出を待って入っていきました。とてもきれいでした。アグン山が朝日に輝き、神々しい感じがしました。しかもアグン山の全容が見えました。滅多にないことです。
前に門松の話を書いてからもう五年にもなる。早いものだ。門松に関して知ることで、いろんなことについて考えが深まった。
まずは柳田國男の説を読んでみよう。
門松は年神様の依代と言われるが、そもそも年神様がどのような神様かを柳田國男は『新たなる太陽』で説いている。その本で年神様の正体がいったい何であるか、いくつか説を提出しているのでそれを簡単に書いてみる。
1.田の神と同じものである。
2.年の初めに祭る神である。
3.2.が発展して歳徳(としとく)という神様になった。これはおそらく先祖霊であろう。
なぜ田の神と年神様が同じものなのか? そうだと言われればそうかもしれないが、現代の人間にはピンと来ない。昔はどこでも田んぼがあり、田の神もいてそれと混同されたのだろうと勝手に推測はできるが、果たしてそれが正しいかどうかの確証はない。柳田國男は「正月の行事の中には、稲作田植に伴なう信仰に拠らないと、説明しがたいものが幾つかある」という。そして、それが田の神と年神様との混同を招いたかのように書いてある。ただし明言はしていない。こんな表現になっていて、はっきり書いてよという気持ちになる。
今朝、たまたまSYNODOSを覗いたら、以下の記事が目に止まった。
初詣は新しい参詣スタイル!?――鉄道が生んだ伝統行事 平山昇 / 歴史学
上の記事の概要は、「初詣は鉄道の発達とともに生まれた比較的新しい参詣」であるとのこと。
これで思い出したのが、父の書斎から持ってきた古本に『神まうで』という古本があったこと。奥付を見ると印刷が昭和四年十二月二十日、発行が昭和五年一月一日となっている。発行したのは鉄道省。この本には全国の大きな神社が紹介されている。初詣が鉄道の発達とともに生まれたというよりは、鉄道の利用者が増えるようにと神社参拝自体が工夫されていたことがわかる。つまり明治となり国家神道が生まれ、廃仏毀釈がおこなわれ、鉄道省は神社参拝を推し進める。