灯せ!希望の灯りを被災地に 経過報告

「灯せ!希望の灯りを被災地に」の僧侶たちは順調に歩き続け、現在山梨県を歩いています。

長野ではテレビニュースに取り上げられ、歩道の人たちから声援を受けるほどになりましたが、山梨に入ったら、まだニュースがながれていないせいか、ぴったりと声援は止み、食事をしていると「あんたたちなにしているの?」と質問されたのだとか。昨日の晩に山梨でもニュースが流れ、状況が変わったはずなので、これから電話して報告を聞くのが楽しみです。

2/5から2/14までの様子が映像にまとめられています。こちらをご覧下さい。

GO近所で流している原稿の一部をここに置きます。読んでみてください。興味のある方は、GO近所を立ち上げてこれから以降の状況を読んでください。

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灯せ!希望の灯りを被災地に with GO近所

真言宗の僧侶たちが東日本大震災の鎮魂のため、神戸からはるばる福島まで「1・17希望の灯り」を背負って歩いて行きます。

阪神淡路大震災から17年目の2012年1月17日、阪神淡路大震災慰霊・復興の象徴であり、神戸市東遊園地内で輝き続ける「1・17希望の灯り」の分灯式をおこないました。その炎とともに福島へと向かうのです。

2月5日兵庫県西宮市東光寺を出発し、はるばる福島まで歩き続け、3月10日にいわき市内で御逮夜、3月11日にはいわき市内の各津波被災地で一周忌法要をおこないます。

福島に取材に行ったとき、この話しを法海寺の副住職である楠 法雄さんから聞き感動しました。そこで何かお手伝いができないかと思い、いろいろと考え、この徒歩練行の状況をGO近所で発信することを思いつきました。

GO近所はiPhone&iPadおよびアンドロイドのアプリです。立ち上げると位置情報を読み込み、半径200m以内に登録されている情報を表示します。発信者側が受けとる人の位置を指定し、受信者側はその位置にいると情報が得られるのです。なのでこの徒歩練行の概要をまずは全国に発信し、徒歩練行が始まる前後から、その徒歩コースの近辺の人へ向けて、いつそのあたりを通るのか発信していくのです。コース上にいる人は徒歩練行が通る数日前にGO近所でそれを知ることになります。

まずは2/1から、徒歩練行が出発する兵庫県西宮市東光寺周辺にてGO近所による告知を開始し、適宜次の目的地予定がどこであるか告知していく予定です。興味のあるかたは、2/1以降東光寺近辺でGO近所を立ち上げてください。次にめざしている場所がわかるようになっています。ただし、天候などでスケジュールが狂うなど、アクシデントも起きるでしょうから、その際はできる限り正しい情報を入手して発信できるようにしていきます。しかし、現地に担当者が同行するわけではなく、あくまでも徒歩練行している僧侶をサポートしているかたからの情報によるものなので、多少の狂いが生じる可能性があります。

そこで「もし徒歩練行の僧侶たちを見かけたら、何月何日の何時頃どこで見かけたのか、その情報を送って下さい」とGO近所の利用者にはお願いをします。情報の送り先はtwitterの@TWS_PR。URLは https://twitter.com/TWS_PR です。これでいただいた情報によって、より正しい位置の把握が期待できるのです。写真撮影もできたらそれを添付することをお願いしています。予告情報は場所を限って発信しますが、いただいた情報を追跡することでどこを通ったか、どんな状況だったかなど、把握することができたら「GO近所」に広域アップロードする予定です。

こちらでは真言宗智山派ふくいち青年会の僧侶によって徒歩練行の詳細がつぶやかれています。

https://twitter.com/fukuichiseinen

この徒歩練行には僧侶であれば宗派を越えて同行してもらうことができるそうです。ただし、あまり多人数になると問題が生じる可能性があると言うことで、前もって申し込んでいただく必要があるそうです。その詳細についてはこちらにアップされる予定だそうです。

http://www.chiseiren.jp/

『ヒマラヤの叡智が未来を拓く』に参加して その3 なぜヨグマタジやパイロットババジがヒマラヤから降りてきたのか

バリ島にニュピというお祭りがある。その祭は世界的にも珍しく、何もしない祭だ。その日、バリ島の人々はすべて外出を禁止され、家の中に籠もる。だから車は走らないし飛行機も飛ばない。船も出入港を制限される。その話を聞いたとき、お正月の三が日を思い出した。僕が幼い頃の三が日は商店などがすべてお休みの静かな日だった。そのときの感覚を思い出すことができるかもしれないと、1999年から何度もニュピに通った。幸運にも僕はウブドのプリアタン村のプリカレラン王家にホームステイさせてもらった。そこでニュピを過ごす。はじめのうちはニュピの意味もわからず、とにかくその雰囲気に浸りたいから行っていたに過ぎないが、次第にニュピの意味が見えてきた。そのときのことはこちらに少し書いた。

 

これからも度々書くだろうし、すでに本一冊以上の文章量になっているのでいつか出版するつもりだ。ニュピについての詳細はそれらを読んでいただくことにして、そこで知った様々なことがいま失われつつある。

 

ニュピの日、バリ人はみんな断食したというのだが、いまではそれを厳格に守っている人はあまりいない。ニュピの翌日はゲンバッグウニという日で、かつて商店などほとんど営業していなかったのだが、いまでは24時間営業の店舗が多数営業している。それらに対してバリ島の僧侶たちはたしなめるが、なかなか聞き入れてもらえなくなってきているようだ。何しろ多くの人にとって便利で儲かるのが一番だから。近年では近隣の島からバリ島へ、観光客目当てで働きに来る人が多くなった。そのような人たちはバリ島の僧侶に耳など貸さない。バリ島民もそのような人たちに少しずつ影響されてしまう。神に礼拝もせず、祭礼のしきたりを無視している人たちが幸せそうにそばで生きているのだから。

 

似たことがインドにも起きているのだろうと思う。

 

インドではIT産業の興隆などによって裕福な人が増えた。裕福な人が増えたことで多くの人の価値観は宗教的なことからもっと別なところへと移っていくだろう。宗教的な価値観を維持したい人にとってはあまりいい時代とは言えない。しかしいっぽうで別の見方をすると、そのような人たちにとっていまは大きなチャンスの時代でもある。なぜなら、そのような人たちは昔ある地域に縛られていた。物理的に移動する手段がなかったから、ある地域に生き、その価値観を根付かせ、文化として花開かせる必要があった。ところがこのグローバルな時代になると地域に縛られる必要は薄くなる。その教えを守って維持してくれる人を探して世界中を旅したり、メディアを通じて教えを伝えることができるのだから。

 

ヒマラヤの聖者たちはインドや世界の変化を察知した。なにしろインドから遠く離れた日本から、ひとりの女性が教えを乞いにヒマラヤの奥地にまで入って来たのだ。しかも、直接の教えを施さなくてもあるレベルに達していた。ヒマラヤ近郊でなくても、ヒマラヤの教えに興味を持つ人たちが現れ、高いレベルでその教えを受け入れていることを知った。その結果として相川圭子はヨグマタとなった。

 

ヨグマタジとパイロットババジはヒマラヤの教えをきちんと存続させるため、ヒマラヤに籠もっているより世界に出て行って、教えを伝えるべき相手を探すことを選択した。これはヒマラヤから遠く離れた人にとってはいいことだ。以前では得ることのできなかった崇高な教えに直接接する機会が生まれたのだから。

 

かつてチベット仏教はラマ教などと呼ばれ、かなり特殊な仏教の亜種と考えられていたことがある。しかし、ダライ・ラマ法王が中国を追われ、インドに亡命すると、その教えが徐々にメディアを通して世界に流通するようになり、結果としてチベット仏教の本当の意味をチベットやインドから遠く離れた多くの人たちが知るようになる。ヒマラヤの教えもインドの奥地からヨグマダジやパイロットババジのおかげで日本やアメリカなどに伝わり、その本当の意味に目覚める人が現れるのだろう。

 

ヒマラヤの教えについては、まだあまり知見が深くないので推測の域を出ないのだが、チベット仏教に近いものを感じる。儀式の形態は明らかに違うが、考え方の根本に多くの存在を包み込む共通した概念があるように感じる。言葉が違ったり、儀式が違ったり、人間の尺度から見て違うことがいくつかあると、僕たちはそれらを違う物と判断せざるを得ないが、もっと大きな存在から見れば共通した何かがそこにはあるように感じる。

 

二度目のインタビューのとき、パイロットババジはこんなことを言った。

 

「ヒマラヤの教えを正しく受け取れる可能性が高いのは日本人だと思う。欧米人はあらゆる価値をお金に換算してしまう。日本人は尊いものがお金に換算できないことを知っているし、そのことを行動に示してくれる。特に今回の震災で日本人は世界に、我欲では行動しないという規範を示してくれた」

 

いまはきっと時代の転換点なのだろう。深い叡智の伝承も、かつての方法とは変えなければならないのかもしれない。

 

ヨグマタジはヒマラヤに行き、比較的短い時間で悟りに達した。その理由としてヨグマタジは、悟りに達するために積み重ねなければならない多くの体験と学びを若い頃からのヨガの修行と「相川圭子総合ヨガ健康協会」を運営することですでに積んでいたのだろう。僕たちはいま、メディアでつながり、世界中の尊い教えを享受できるようになった。最後の最高点に達するためにはメディアでは伝えられない部分を習得・体験する必要があるだろう。しかし言い方を変えれば、メディアのおかげで遙か遠くの聖者に会わずとも、ある程度まではそこに近づくことができるということではないか。そのことをヨグマタジは身をもって示してくれたのだと思う。

 

『ヒマラヤの叡智が未来を拓く』に参加して その1 静寂から生まれ静寂へと消える はこちら。