西郷南洲遺訓

毎朝書いている『日刊 気持ちいいもの』を、昨日は休み、今日は昼過ぎに出した。こう書いた。

チャンス
特定秘密保護法が施行され、
集団的自衛権の行使容認がなされた。
武器の輸出も可能になってしまった。
もうすぐ戦争になってしまう。
何年後かは知らないが、
このまま物事が進んでいくと
いつか戦争に巻き込まれてしまう。
そのことを自覚して
いろんなことを学ばなければならない。
目を背けていると逃げられなくなる。
多くの人がそのことに気づけば、
そのときはじめて
自立した日本になれるかもしれない。
国家vs国家で物事を考えていると
ミスリードされる。
この好機に目覚める人が
増えることを念ずる。
垂れ流される情報を鵜呑みにするのではなく、
正しい情報を探し求めよ。

『日刊 気持ちいいもの』だから、気持ちいいものを書かなければならないが、あまり気持ちいい話とは思えないが、書くべきだなと思って書いた。
そして最後の一行を書いて、続いてどう正しい情報を得るべきかを書こうとしたが、やめた。
僕自身、正しい情報を得られているのかどうかはっきりしないから。
最近、ネット上では、いろんなことが書かれている。それらの内容は、まったくでたらめのものもあるし、ある側面では正しいものもある。どんなに正しく思える文章でも、すべてが正しいかどうかは僕自身判断できないものがある。そしてそれを起点にして物事を考えたりもする。
僕はあれを知っている、これを知っていると、正しいと思われることをここに書くが、どうあがいてもそれは真理の一面でしかない。誰でも自由に表現ができるのはとてもいいことだが、多くの場合、それは真理の全体を表現することはできないし、僕の文章もそのようなものでしかない。

たとえば、安倍総理がめちゃくちゃなことをしているとここに書いたとする。あんなことした、こんなことした、だからどうにかしろと。しかし、あまりそれには意味がない。書きたい欲望はあるのだが、我慢している。それも真理の一面でしかないと僕は思うから。

ここからしばらく空想を書く。なんの根拠もないことだ。ただ、こういう見方もできるということ。

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ピエール・テイヤール・ド・シャルダンについて

「しちだ」グループの右脳開発友の会が発行している『右脳開発』に三回にわたり原稿を掲載しました。こちらにその文章を転載いたします。

第一回 地球の進化について語った神父  2013年7月号掲載

『胎内記憶』を故七田眞先生の共著者として98年7月にダイヤモンド社から出版させていただきました。その際に七田先生に何度かお目にかかりお話しをうかがいました。

そのときの印象は一言ではとても言い表せないものですが、あえて言うなら聖人のようなかただなと思いました。たいていのことは「そうですね」と受け止めて下さいますが、少しでも意見が違うと「僕はこう思うんです」と言って、そのあと丁寧に話をして下さいました。その話は理解を促し、共感をも生み出すような話し方でした。そして最後に「違いますか?」と確認を求められる。自分の内側で固まっている常識やパラダイムを少しずつ解かしてもらうのは、このような話し方なのだろうと思いました。七田先生は、それまで強固にあった教育に関しての常識や思い込みを、年月をかけて新たなものにしようとし、実践してきたかたなのですから、当然と言えば当然なのかもしれませんが、話をうかがいながら何度も頭の下がる思いがしたものでした。

世界には七田先生と同様に、常識をくつがえした偉人が何人もいますが、この10年ほど僕が研究しているのはピエール・テイヤール・ド・シャルダン(1881〜1955)という人です。『現象としての人間』という本を書いたことで有名ですが、神父でありながら地層学者であり、古生物学者でもありました。テイヤールはカトリック神父のため、大きな矛盾にさいなまれます。自身は進化論を信じているが、神父という立場がそのことについての発言を邪魔します。凡庸な人物であればここであきらめ、神父をやめるか、科学者をやめるかしたでしょう。しかし、テイヤールは相いれないふたつの立場を保持しながら、それぞれの思想を深めていきます。そして、身の回りに生じる逆境を、次々と好機へと転換していくのです。

たとえば、ヨーロッパで彼の発言が問題になったとき、カトリックは根回しをしてテイヤールを北京に送ったようです。北京に行けば人の噂も静まるだろうと考えたのでしょう。ところがそこでテイヤールは次々と古生物学や地層学についての発見をし、ついには北京原人の頭骨の発見にまで関わります。その結果シトロエンがスポンサーとなり、車での中国大陸横断を果たし、それが映像にもなり、広い層の人たちに知られるようになってしまいます。このような状態になるとカトリックの神父といえども、進化について公で何度も話をする機会に恵まれます。当然その内容を出版することを望まれるのですが、カトリックが許してくれません。

シャルダンの著作は生前出版されることがなかったのですが、死後、彼の思想を大切に思った有志が集まり、テイヤール遺稿刊行委員会を結成し、そこが次々と出版し、欧米諸国ではベルクソンやアインシュタインと並び称されるほどの驚きをもってこの著作集は受け入れられました。

テイヤールがどのように当時の人々の常識をくつがえしていったのか、そして、そのことがどう右脳開発と関係があるのか、あと二回の原稿に簡単ではありますが書かせていただきます。

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共時性についてわからなかったこと

ユングの作った概念に共時性(シンクロニシティ)がある。その概念は東洋的思考から生まれることであることを「ビジョン・セミナー」という本で明かしている。

「ビジョン・セミナー」はユングがリヒャルト・ヴィルヘルムによって訳された道教の書物に出会い、『黄金の華の秘密』を出版した翌年からおこなったセミナーの講義録である。そのなかで共時性についてこんなことを語っている。
  ヴィルヘルムの住んでいた地方でひどい旱魃がありました。何か月もの間、雨は一滴も降らず、事態は逼迫してきました。旱魃の悪霊を脅して追い払うために、カトリック教徒は聖歌を歌って行進し、プロテスタントは祈りを捧げ、中国人は神像の前で線香を焚き鉄砲を撃ち鳴らしましたが、どうにもなりませんでした。しまいに中国人が言いました。雨乞い師を呼んでこよう、と。そして、別の州から、干からびた老人がやって来ました。彼が要求した唯一のものは、とある場所に静かな小屋でした。そこに彼は三日間こもったのです。四日目には雲が雲を呼び、雪が降ることなど考えられない季節に大変な吹雪となりました。尋常ならざる大雪です。町はその不思議な雨乞い師の噂でもちきりだったので、ヴィルヘルムはその男を訪ねて、いったいどういうふうにしたのか訊きました。まったくヨーロッパ式にこう言ったのです。「人々はあなたを雨作り(レインメーカー)と呼んでいます。どうやって雪を作ったのか教えていただけますか」。すると、小柄な中国人は言いました。「わしは雪を作ったりはせなんだ。わしのしたことじゃない」「ならば、この三日間、あなたは何をしておいででしたか」「ああ、それは説明できる。わしは、ものごとが秩序のなかにおさまっているよその土地から来た。ここでは、ものごとが秩序からはずれておる。天の定めによるしかるべきあり方になっておらぬ。つまり、この土地は全域、タオからはずれているのじゃ。わしも、秩序の乱れた土地にいるがために、ものごとの自然な秩序からはずれてしもうた。だから、わしは、自分がタオのなかに戻るまで、三日間待たねばならなんだ。すると、おのずから雨がきたんじゃよ」。