9人の写真家が見た水俣

2022年7月4日から7月30日まで、丸の内フォトギャラリーでおこなわれている「9人の写真家が見た水俣」展を見て来た。

9人の写真家とは、桑原史成、塩田武史、宮本成美、アイリーン M・スミス、石川武志、北岡秀郎、小柴一良、芥川仁、田中史子であり、それぞれに水俣をテーマとして、個性的な作品を撮影している。彼らの作品の一部が一堂に会している。

この写真展には目的がある。それは、この9名の写真家たちの作品、総作品数にすると20万点以上になるそうだが、それら60年にもわたるアーカイブを作ること。各作品のテーマの根元にはもちろん水俣病がある。

塩田武史氏はすでに鬼籍に入られ、他の写真家もすでに高齢だ。9名の中で一番若い石川武志氏・アイリーン M・スミス氏でも70を越えている。

石川武志さんにお話しを聞いた。写真家はそれぞれ個性的なので、アーカイブを作るための意見の統一が難しいそうだ。たとえば、すでに発表した写真集がすべてで、それ以外の作品が表に出るのはよしとしない人、もし見てもらえるならどんな作品でも喜んで見てもらいたいという人、作品を観てもらうのにその前後にまつわる物語を発表したい人、または知られたくない人。これから、どのようなアーカイブにするのか、意見交換しながら実現していくそうだ。それぞれの写真家にとって、理想的なアーカイブを実現するためには、今が時期だということ。

この展覧会は熊本では6月におこなわれていた。そのときのニュースのアーカイブなどが検索すると出てくる。

チラシの裏面。おもてはトップに。

映画「MINAMATA」ってどう?

週刊金曜日の2021年9月17日号に「映画『MINAMATA』から消された人物が語るユージン・スミス」という記事を書きました。7ページの扱いです。

それを書くために映画『MINAMATA』の試写会に行き、ユージン・スミスの写真集『MINAMATA』を見て、インタビューした石川武志さんの作品集も見ました。すると、いろいろと映画『MINAMATA』の問題点がわかってきました。それぞれの写真集に添付されていた年表を丁寧に見ていくとそれがわかります。

これ以降はネタバレがありますので、嫌な方は読まないでください。

映画としてはよくできていると思います。ユージン・スミスの写真集『MINAMATA』を読み込んで映画を見ると、とても引き込まれます。写真集の作品が動画になっていたりします。この部分は写真集を前もって見ていない人にはわからないでしょう。ユージンの『MINAMATA』以外の写真集からも引用されているので、ユージンの写真をよく見てから映画を見ると、感動の度合いが違うと思います。

制作チームが訴えたいポイントもはっきり表現されていて、それはフィクションを見るという点では、いいことだと思います。しかし、この映画はノンフィクション的に作られていますので、映画で見せられたことがすべて事実かというと、かなり違う点があるので要注意です。

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武甲山未来フォーラム 秩父の自然とローカリズム

2/24におこなわれた武甲山未来フォーラムに参加してきました。
内山節さんのお話しが素敵だったので、ここに要約を載せておきます。
いつものとおりメモ書きに頼っているので、お話しを完璧には再現できませんが、概要ということでご容赦を。

秩父の自然とローカリズム
50年近く前、群馬県の上野村に行きました。当時の十国峠は細くて狭くて大変な道でした。僕の車にはトランクにスコップを積んでいたから良かったですが、あれがなかったらきっと目的地には行けなかったでしょう。それ以来上野村が好きになり、そこに住むようになりました。東京との往復をするのに池袋から西武線で秩父まで来て、秩父に駐車場を借りてここから上野村までよく走っていったものです。

僕は哲学者ということですから、西洋哲学を研究してきたんですけど、西洋哲学は19世紀頃から限界を感じ始めて、東洋哲学を研究するようになるんです。それで20世紀には東洋哲学の内容は当たり前のようにみんな知っているんです。特に仏教。西洋哲学を学んでいるのでフランスにもよく行きました。フランスに行くと世阿弥の本を人文系の人たちは当然のように読んでいるんですね。日本で世阿弥を読んでいる人って、この中にもいらっしゃるでしょうけど、あまりたくさんの人は読んでいないと思います。そのくらい日本の考え方やものの見方がヨーロッパでは定着している。ところが日本ではどうか? 日本の伝統的な発想とは何かわかります?

日本では明治以降、ヨーロッパに追従するためにいろんなことやりましたけど、もうそれは時代遅れですね。何しろヨーロッパの人がそういう考え方を手放して、東洋や日本の考え方を学んでいます。人の気持ちや考え方が変わってきているのです。

かつてのヨーロッパの思想は、社会を人間が作ったものと捉えていました。だから人間が作り替えることができる。一方で日本が考えた社会というのは、人間と自然が織りなして作って行ったものと考えます。しかも、人間は生きている人間だけではない。死んだ人間も社会を作っていると考えたのです。つまり社会は「生きている人間」と「ご先祖様」と「自然」が作ったものだと考えたのです。だから、家を少しでも空けるときには仏壇に挨拶していったりしました。しかも昔は、自分のうちのご先祖様だけではなく、その地域のご先祖様のことを考えていた。うちの先祖という考え方が現れるのは江戸時代になってから。その江戸時代でもうちのご先祖様よりは地域のご先祖様の方が優先でした。それが明治時代になって本当に「うちのご先祖様」だけになった。柳田国男によれば先祖に個人名がついたのは明治以降だと言います。

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