ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ(The Cove)」について

僕はイルカやクジラが好きだ。御蔵島やハワイで一緒に泳いだことがある。とても楽しかった。イルカがこちらに興味を持ってくれたときのなんとも言えぬ感動は、なんとも言えないのでとても書きにくい。スピリチュアルな雰囲気で書けば「癒される」みたいな感じ。(笑) 犬がしっぽを振って寄ってきてくれたときの感じに似ていた。自分のことを好きになってくれた犬が、自分のことを見つけてしっぽを振りながら全速力で走ってきて、ハッハと息を吹きかけながら顔のまわりをなめまわされるときの、あの勢いと犬の「うれしいぞ」というエネルギー、あの感じだ。

もちろんイルカとはたいてい初対面なのだけど、御蔵島には何回か行ったので、僕には認識できなかったが、イルカは認識していたかもしれない。確か三回目くらいに行ったとき、二頭のイルカにはさまれてしばらく泳いだ。たいていイルカは一緒に泳いでも人間が息継ぎをするときに離れてしまうものだが、そのときはなぜか一緒に二、三回息継ぎをしてくれた。二頭にはさまれて深く潜り、僕の息が続かなくなると一緒に海面に上がってきてくれて息継ぎするのだ。このときの感動はきっと死ぬまで忘れないだろう。

クジラもハワイに何度か見に行った。あの巨体がノッソリといるだけで、なんかニマニマとしてしまう。息をブーッと吹くだけで歓声を上げてしまう。尻尾を持ち上げて海に沈んでいく瞬間なんか、WBCで日本が優勝したときのようにガッツポーズを取ってしまう。まだブリーチングを見たことがないのだが、そのときにはいったい自分がどうなってしまうか心配なほどだ。

そんなにイルカやクジラが好きなものだから時々人に「じゃあクジラは食べられないんですか?」と聞かれる。そんなことはない。おいしいものはペロリと食べてしまう。それが日本の文化だから。

ソウルオリンピックの一週間後、僕はソウルに行った。当時韓国では目抜き通りにあった犬肉鍋屋さんを見えないところに移転させたと話題になっていた。幸運にも見つけられたら食べてみようと思っていたが、あまり熱心でもなかったので食べる機会には巡り合えなかった。犬は好きだが食べるか食べないかは別問題だ。それが人間だと思う。

何ヶ月か前、ドキュメンタリー映画「The Cove」の予告編を見た。またやってるなぁと思った。和歌山県太地町のイルカ漁についての映画だった。そのときに見たのとほとんど同じものがここにある。(この映像は現在削除されています)

これを見たときにはまったく気がつかなかったが、もし下のトレーラーを見せられていたら、きっと驚いただろう。リチャード・オバリーが登場するからだ。

(ここには動画がありましたが、YouTubeから削除されたので消しました)

リチャード・オバリーはかつて「わんばくフリッパー」という、イルカが主人公のテレビドラマに調教師スタッフとして参加した。使ったイルカは何頭か彼が捕獲したものだった。テレビドラマが終わり、イルカたちはあちこちに引き取られていく。しかし、もともと引き取られることなど考えずに撮影のために捕まえたイルカたちだったので、ひどい扱いを受けて次々と死んでいく。リチャード・オバリーが捕まえた一頭のイルカはオバリーが訪ねていったときに彼の腕の中で死んだ。それ以来オバリーはイルカの解放運動を始める。このときのいきさつについては「イルカがほほ笑む日」という本に詳しく書いてある。彼の運動は過激で、入り江に囲ってあるような場所では囲いを切って逃がしてしまう。それがもとで逮捕され、ニュースになり、アメリカでは英雄扱いされた。アメリカ海軍を相手に訴訟を起こし、兵器として育てたイルカを引き取りリハビリして海に返そうともした。そんな頃、1995年前後に僕は彼をシュガーローフに訪ねた。マイアミからキーウェストに向かう途中にある。そこのリゾート施設のオーナーに許可を取り、海軍から引き受けたイルカのリハビリをしていた。

リチャード・オバリー(以下リックと略す)とは寿司も食べたし、ビールも飲んだ。リックはとても繊細で、普通に会っているとあんな過激なことをするようには思えない。暇なときは自分のアトリエでイルカの絵を描いている。可愛いイルカの絵を描いて売るのだそうだ。そんな彼だから、日本人がクジラを食べることについて、僕の前でははっきりとした態度は取らなかった。その話をすると困った顔をしていた。しかし、彼の側にいたボランティアは違った。シュガーキーリゾートのカウンターでビールを飲みながら二、三人のボランティアと談笑していたのだが、「日本人はイルカを食うんだよな」と言われた。たぶん僕がイルカの保護に興味を持っているので「イルカを食うなんて飛んでもない」という同意を求めるつもりでそう言ったのだと思う。しかし、僕はこう答えた。

「イルカは食べたことないけど、クジラならあるよ」

その場の雰囲気が固まった。そのあとのやりとりはよく覚えてないが、最後にこういった。

「君たちは牛を食べるだろう。なぜ牛はいいのにクジラはダメなんだい?」

すると期待していた答えが返ってきた。

「イルカは知性があるからよ。人間並みの頭脳があるからダメなの」

酔いも手伝って僕はこう答えた。

「じゃあ、君たちは頭のいい人間は生かすけど、頭の悪い人間は殺すのかい?」

雰囲気が険悪になったのはいうまでもない。それ以来ボランティアの人たちとはうまく会話ができなくなった。

ボランティアは誰も話をしてくれないので、イルカのいる入り江の端に座って黙ってイルカを見つめていたときリックがやってきた。

「どうかしたの?」と言うので、「Fine.」と答えた。たぶんリックはボランティアと僕が言い争ったことを聞いたのだろう。僕の肩に手を置いて「It’s OK」と言って去っていった。

そんな彼だから、日本人の心情は重々承知しているのだと思う。それでもなお「イルカを自由にしろ」が彼の主張だ。

かつて農業系の雑誌に書いていたとき、牛を飼育している農家に取材したことがある。そこは肉牛を育てていた。一泊して翌日、ちょうど牛を市場に送り出す日だった。市場に送られる日には牛は普段とは違う声を出すという。どうやら牛たちは何かを感づいているらしい。農家の人に「情が移ったりしないのですか?」と聞いてみた。すると「情が移らないように番号で呼ぶんだ」と言っていた。その声を聞いて「情が移らない訳はないな」と感じた。それが人間の感情だ。

しかし、人間は動物を食べる。食べないではいられない。動物でも魚でも草でも木の実でも食べるから人間になったのだと思う。もし人間が雑食にならなかったら、いまのような人間にはなれなかっただろう。それが人間だ。

「イルカを食べるな」という運動はそのうち加速して「動物を食べるな」「命を食べるな」「人工のものだけ食え」なんて、ならなければいいのだが。

写真は二枚とも僕が撮影しました。

このエントリーの続き「The COVEへの反論」

象のおかげで携帯電話普及? アフリカ

「ひとりぼっちのケティ」の原作を書いて以来、ずっと象に興味がある。たまたまあるBlogで見つけたのは、なんとアフリカの象を携帯電話のネットワークにつないでしまうという話し。

象は広大な草原がないと生きていけない。狭い場所に閉じこめると、その地域の草木を食べ尽くしてしまうからだ。だから象は広い地域を歩き回って生き続ける。そうすることで、草原の栄養を均一化することにもなるし、草木の種を移動させることにもなる。象は食べたものをあまり徹底的には消化しない。ケニアで時々みかけた象の糞は、泥に汚れた草の固まりのようだった。だから、種が運ばれ、痩せた土地には堆肥が運ばれることになる。象は広い草原に適応するように育ってきたのだ。

ところがこの50年の間にアフリカは近代化し、道路ができ、畑が増え、人々の生活域と象の生活域の区別がなくなってきた。当然象は目の前に食べ物があれば、畑でもどこでものしのし歩き回る。だからアフリカの農民は象が嫌いだ。象がいなくなるようにいろんなことをする。それは象の行動範囲を狭めることになる。行動範囲が狭くなれば、その地域の草木はどんどん食べ尽くされる。その地域の農民は象を駆除したくなり、象は数を減らす。

そこで象の保護団体が、象の首に発信器をセットし、携帯電話のネットワークにつなぎ、もし保護区から出たらすぐにわかるようにしたそうだ。象が保護区から出ると保護団体の職員が救助に向かう。

それが成功したおかげで、さらなる工夫が生まれた。携帯電話のネットワークはまだアフリカ全土を覆い尽くしているわけではない。発信基地同士を結ぶために電気やケーブルの工事には莫大なお金がかかる。そこで、ケーブルでつながなくても済むように、太陽熱や風力で発電させる独立した発信基地を作り始めたそうだ。

象のおかげでアフリカ全土で携帯電話が使えるようになるのかも。

 

 

キリン

アフリカで印象に残ったものはいろいろあるが、キリンの表情もそのひとつだ。

キリンは歩いて近づくと逃げていくが、車で近づくと逃げなかった。国立公園内では車で移動し、降りてはいけないのでキリンは車には慣れているのだろう。一方、動物孤児院で近づいてきたキリンに歩いて寄っていったら、30mほど距離をおいて離れていく。なんか可笑しかった。

車で近づき、ルーフを開けて見上げるとキリンと見つめ合えた。車だとキリンに触れることができるくらい近づけた。動物と近くで見つめ合うってあまり体験できない。いままで僕が体験したのは犬とイルカと象とキリンくらいだ。あと猫か。

キリンは高い木の上にある葉をムシャムシャと食べながら僕を見下ろした。幸せな一瞬だった。