仕事がないのはいいことだ

「仕事がないのはいいことだ」なんて書くと、求職中の人やフリーターは怒るかもしれないが、がまんして最後まで読んで欲しい。人間はずっと、仕事をせずに済むためにはどうしたらいいかを考えてきたのだから。問題は仕事がないことなのではない。せっかくたくさんの仕事をしなくても世の中が回るようになってきたのに、仕事をしない限り生活するための糧を得られなくなっていることが問題なのだ。

僕が幼い頃、三種の神器というものがあった。「テレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」だ。どの家庭もそれらを買おうと、父親は(当時は共働きは珍しかった)仕事に頑張った。三種の神器を買うことで生活の質が良くなるからだ。「洗濯機」があれば主婦の仕事のうち二時間ほどが別のことに費やせる。「冷蔵庫」があれば、毎日夕方に買い物に行かなくても、二、三日に一度で済むようになる。「テレビ」があれば、世界の状況がつぶさにわかる。そうやって家庭は現代化された。現代化はつまり、手間をかけなくても生きていけるという暗黙の教育だった。効率化されていることがいい。効率化されてないものはたとえ家庭だといえどもいいものではないという教育だ。

かつて流通業界では問屋というものがたくさんあった。どこの街にもお菓子問屋があり、そこに行けばお菓子を安く売っているが、そこでは店舗相手にしか商売をしなかった。時々一般の客も相手にしている問屋があり、わざわざそんな問屋に遠く訪ねたりもしたものだ。ところがいまは問屋というものはほとんどなくなった。流通の仕組みが簡素化されたからだ。同様に、いろんな業界でいろんな効率化がされた。その結果、かつては必要だった仕事がいまではかなりなくなった。口に出しては言わないが「淘汰されるビジネスはダメなビジネス。淘汰されずに繁栄するビジネスこそいいビジネス」と思ってしまう。淘汰される仕事をしていた人たちは、口を噤んで表舞台からは去っていく。

効率化されることによって働く人ひとりひとりの責任が重くなる。効率があまりにもいいために、何かひとつ要素が欠けると効率の悪さがゆがみとしてどこかに表れる。それを人は恐れてしまう。それをなくすために休むことすらままならない。

このようにして何が起こるかというと、仕事をしている人はたくさんの仕事を抱え、お金はあるけど楽しくなくなる。仕事をしてない人は収入がないので人生を楽しめない。多くの人が苦しむ状況に置かれてしまう。

そこで考えられたのはワークシェアリングという考えだ。しかし、これはあまりうまくいってないように思う。なぜなら、これをやると明らかに効率が落ちるからだ。

では、どうすればいいのか。

どんなに忙しくてもお金を儲け、たくさんのサービスを受けられる人になるか、さほど忙しくはないが余暇の多い人生を送り、サービスはほどほどでも我慢するという人生を送るか、選べるようにすることだろう。これを日本で実現するためには、日本人全員の頭の切り替えが必要になる。日本はかつてあらゆる分野でめざましい発展を遂げた。同じようなめざましい発展はあきらめる必要がある。国民総生産が世界で二位なんてことに誇りを持つのではなく、日本の文化が世界でとてもユニークなものであることに誇りを持つようになるべきだろう。

余暇の多い人のうち、何もしない人はささやかに生きていく中で喜びを見つけていく。余暇の多い人のうち、芸術やボランティア活動に身を挺する人には、もしかしたらささやかな、ときには素敵なご褒美がうまれるかもしれない。このような考え方を身につけていくことが必要だ。このような考え方を身につけることで、一年で何万人もの自殺者が生まれずに済むようになるだろう。

そして、できれば世界で一番幸福な国民であると胸の張れる状況を生み出していきたい。そのノウハウをほかの国に提供していくというのが日本のビジョンになればもっといいだろう。そのために何が必要なのか、余暇の多い人がいろいろと考えて発信していくのが良いと思う。もちろん忙しい人たちも、そのアイデアを提供してもらい、いろんなところで同等に議論ができる状況が大切になるだろう。

忙しく働き過ごす人生も、マイペースに働きユニークなものを生み出していくことも、そして、ささやかに社会と関わり、静かな人生を送ることも、それぞれに大切なことであると思える状況が必要になってくるだろう。

侘び、寂びの価値を尊ぶことのできた日本人ならそれが可能だと思う。

この議論は、もちろん穴だらけなのを知っている。多くの人がその穴をふさげるように、いろんな意見が、ネットやマスコミで議論の対象になるような時を待っている。

ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ(The Cove)」について

僕はイルカやクジラが好きだ。御蔵島やハワイで一緒に泳いだことがある。とても楽しかった。イルカがこちらに興味を持ってくれたときのなんとも言えぬ感動は、なんとも言えないのでとても書きにくい。スピリチュアルな雰囲気で書けば「癒される」みたいな感じ。(笑) 犬がしっぽを振って寄ってきてくれたときの感じに似ていた。自分のことを好きになってくれた犬が、自分のことを見つけてしっぽを振りながら全速力で走ってきて、ハッハと息を吹きかけながら顔のまわりをなめまわされるときの、あの勢いと犬の「うれしいぞ」というエネルギー、あの感じだ。

もちろんイルカとはたいてい初対面なのだけど、御蔵島には何回か行ったので、僕には認識できなかったが、イルカは認識していたかもしれない。確か三回目くらいに行ったとき、二頭のイルカにはさまれてしばらく泳いだ。たいていイルカは一緒に泳いでも人間が息継ぎをするときに離れてしまうものだが、そのときはなぜか一緒に二、三回息継ぎをしてくれた。二頭にはさまれて深く潜り、僕の息が続かなくなると一緒に海面に上がってきてくれて息継ぎするのだ。このときの感動はきっと死ぬまで忘れないだろう。

クジラもハワイに何度か見に行った。あの巨体がノッソリといるだけで、なんかニマニマとしてしまう。息をブーッと吹くだけで歓声を上げてしまう。尻尾を持ち上げて海に沈んでいく瞬間なんか、WBCで日本が優勝したときのようにガッツポーズを取ってしまう。まだブリーチングを見たことがないのだが、そのときにはいったい自分がどうなってしまうか心配なほどだ。

そんなにイルカやクジラが好きなものだから時々人に「じゃあクジラは食べられないんですか?」と聞かれる。そんなことはない。おいしいものはペロリと食べてしまう。それが日本の文化だから。

ソウルオリンピックの一週間後、僕はソウルに行った。当時韓国では目抜き通りにあった犬肉鍋屋さんを見えないところに移転させたと話題になっていた。幸運にも見つけられたら食べてみようと思っていたが、あまり熱心でもなかったので食べる機会には巡り合えなかった。犬は好きだが食べるか食べないかは別問題だ。それが人間だと思う。

何ヶ月か前、ドキュメンタリー映画「The Cove」の予告編を見た。またやってるなぁと思った。和歌山県太地町のイルカ漁についての映画だった。そのときに見たのとほとんど同じものがここにある。(この映像は現在削除されています)

これを見たときにはまったく気がつかなかったが、もし下のトレーラーを見せられていたら、きっと驚いただろう。リチャード・オバリーが登場するからだ。

(ここには動画がありましたが、YouTubeから削除されたので消しました)

リチャード・オバリーはかつて「わんばくフリッパー」という、イルカが主人公のテレビドラマに調教師スタッフとして参加した。使ったイルカは何頭か彼が捕獲したものだった。テレビドラマが終わり、イルカたちはあちこちに引き取られていく。しかし、もともと引き取られることなど考えずに撮影のために捕まえたイルカたちだったので、ひどい扱いを受けて次々と死んでいく。リチャード・オバリーが捕まえた一頭のイルカはオバリーが訪ねていったときに彼の腕の中で死んだ。それ以来オバリーはイルカの解放運動を始める。このときのいきさつについては「イルカがほほ笑む日」という本に詳しく書いてある。彼の運動は過激で、入り江に囲ってあるような場所では囲いを切って逃がしてしまう。それがもとで逮捕され、ニュースになり、アメリカでは英雄扱いされた。アメリカ海軍を相手に訴訟を起こし、兵器として育てたイルカを引き取りリハビリして海に返そうともした。そんな頃、1995年前後に僕は彼をシュガーローフに訪ねた。マイアミからキーウェストに向かう途中にある。そこのリゾート施設のオーナーに許可を取り、海軍から引き受けたイルカのリハビリをしていた。

リチャード・オバリー(以下リックと略す)とは寿司も食べたし、ビールも飲んだ。リックはとても繊細で、普通に会っているとあんな過激なことをするようには思えない。暇なときは自分のアトリエでイルカの絵を描いている。可愛いイルカの絵を描いて売るのだそうだ。そんな彼だから、日本人がクジラを食べることについて、僕の前でははっきりとした態度は取らなかった。その話をすると困った顔をしていた。しかし、彼の側にいたボランティアは違った。シュガーキーリゾートのカウンターでビールを飲みながら二、三人のボランティアと談笑していたのだが、「日本人はイルカを食うんだよな」と言われた。たぶん僕がイルカの保護に興味を持っているので「イルカを食うなんて飛んでもない」という同意を求めるつもりでそう言ったのだと思う。しかし、僕はこう答えた。

「イルカは食べたことないけど、クジラならあるよ」

その場の雰囲気が固まった。そのあとのやりとりはよく覚えてないが、最後にこういった。

「君たちは牛を食べるだろう。なぜ牛はいいのにクジラはダメなんだい?」

すると期待していた答えが返ってきた。

「イルカは知性があるからよ。人間並みの頭脳があるからダメなの」

酔いも手伝って僕はこう答えた。

「じゃあ、君たちは頭のいい人間は生かすけど、頭の悪い人間は殺すのかい?」

雰囲気が険悪になったのはいうまでもない。それ以来ボランティアの人たちとはうまく会話ができなくなった。

ボランティアは誰も話をしてくれないので、イルカのいる入り江の端に座って黙ってイルカを見つめていたときリックがやってきた。

「どうかしたの?」と言うので、「Fine.」と答えた。たぶんリックはボランティアと僕が言い争ったことを聞いたのだろう。僕の肩に手を置いて「It’s OK」と言って去っていった。

そんな彼だから、日本人の心情は重々承知しているのだと思う。それでもなお「イルカを自由にしろ」が彼の主張だ。

かつて農業系の雑誌に書いていたとき、牛を飼育している農家に取材したことがある。そこは肉牛を育てていた。一泊して翌日、ちょうど牛を市場に送り出す日だった。市場に送られる日には牛は普段とは違う声を出すという。どうやら牛たちは何かを感づいているらしい。農家の人に「情が移ったりしないのですか?」と聞いてみた。すると「情が移らないように番号で呼ぶんだ」と言っていた。その声を聞いて「情が移らない訳はないな」と感じた。それが人間の感情だ。

しかし、人間は動物を食べる。食べないではいられない。動物でも魚でも草でも木の実でも食べるから人間になったのだと思う。もし人間が雑食にならなかったら、いまのような人間にはなれなかっただろう。それが人間だ。

「イルカを食べるな」という運動はそのうち加速して「動物を食べるな」「命を食べるな」「人工のものだけ食え」なんて、ならなければいいのだが。

写真は二枚とも僕が撮影しました。

このエントリーの続き「The COVEへの反論」

風の馬

チベットのお祭りはとてもカラフルだ。その理由の一つは『ルンタ』があること。実物は一昨年のチベットスピリチュアルフェスティバルで見た。実際にチベットには行ったことがないが、きっと遠くから見たらきれいだろう。

この書き込みのタイトルである『風の馬』は『ルンタ』のことを意味している。今度四月から『風の馬』という映画が上映されるのだ。

この映画がとても楽しみなのはその撮影方法にある。この映画はチベット解放を訴える映画でありながら、チベットとネパールで撮影された。もし中国政府やネパール政府に見つかったら、撮影中止を余儀なくされたであろう映画なのだそうだ。

北京オリンピックの時にYou Tubeでチベットから脱出しようとする人たちを銃殺していた映像が流されたが、そこに寄せられていたコメントは僕の気持ちになじまないものだった。確かにあの映像が本物なら非難されるべきだが、だからと言って中国の人すべてが悪いわけではない。あのようなシステムになっているシステムが問題なのである。中国国内の人もそのシステムに苦しめられているかもしれない。ところがそれを「中国はダメだ」とばっさりと切り、「あのような国とは戦うしかない」という短絡的な答えを導いてしまってはならないと思う。

『風の馬』が楽しみなのは、チベットの人たちがどんなことに苦しんでいるのか、それを一部かもしれないが伝えてくれる試みだからだ。

中国には中国の悩みがあり、チベットにはチベットの悩みがある。それがわかっているからダライラマはあえて戦おうとはしないのだと思う。煽動するのは簡単だ。歴史はそれを何度も繰り返してきた。それ以外の方法でなんとかしていくためには何が必要なのか。それを話し合うことが大切だろう。そして、それは簡単なことではないだろう。『風の馬』はささやかかもしれないが、煽動ではない方法での解決へと導く可能性の一つかもしれないと僕は思う。

中国の人たちがこの映画を観たらどう感じるのだろう?

中国の人たちを責めるのではなく、この事実にどう対面するのか、その気持ちを聞いてみたい。その上で、何かの対話が生まれたら、素敵なことだと思う。そして、もしも可能であれば、なぜ中国はあのような体勢をとり続けなければならないのか聞いてみたい。

映画『風の馬』

同時上映の「雪の下の炎」のサイトはこちらです。これも見てみたいですね。

 映画『雪ノ下の炎』

ところで、ダライ・ラマ日本代表部代表だったチョペ・ペルジョル・チェリン氏の自伝「万物の本質」には、チベットの一般の人たちにとって中国の侵攻がどのようにおこなわれ、どのように見えたかが詳しく書かれています。