トリチウム水を飲むとどうなるの?

2019年9月10日、環境相退任前日に原田義昭前環境相は「思い切って(海洋に)放出するほかに選択はない」と語った。放射性物質トリチウムを含む処理水の海洋放出を主張した。
処理水は今も毎日170トンずつ増え、現在計116万トンがタンク約千基に保管されている。東京電力は2022年夏ごろには満杯になり、原発の廃炉作業にも支障が出る恐れがあるとしている。国は有識者でつくる小委員会を設置し、気体にして大気中に放つ「水蒸気放出」や「地層への注入」なども選択肢に処分方法を話し合っているが、答えは出ていない。
メディアは風評被害のひとつというように問題を矮小化しようとしているが、それは果たして本当か? もしトリチウム水を飲んでしまったら、どうなるのか?

○なぜ政府は安全だというのか。
そもそもトリチウム水は、仕方なく放流するものだった。
原発によって産まれてしまい、取り除くことができないから。
それを安全だという理由は大まかにいってふたつ。

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ニュアンスの狂い

6月12日(水)の夜に代々木で開催されるレゾナンスCafeでお話しをする。そのことを告知するメルマガに以下の原稿を掲載しました。

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タイトル ニュアンスの狂い

最近、ニュアンスの違いが問題になっていると感じる。その違いはときどきニュアンスが狂っていると思うときもある。それが先日はっきりした。

「死ぬなら一人で死ね」という言葉だ。川崎の殺傷事件で犯人に対して浴びせられた言葉が発端となっている。犯人に対して「死ぬなら一人で死ね」というのはわかる。何の罪もない子供や外務省官僚を殺して自殺したのだから。しかし、その言葉がネット上では前後関係が抜け落ちて一人歩きする。それに対して有名人などが「ネット上でそのような言葉は使わないでください」と発言して炎上した。

かつて、インターネットが一般化した98年前後、本当に文章のうまい人は、ネットに書く文章をどう書いていいのか悩んでいた。なぜなら、ネットは誰が読むかわからないからだ。文章はコミュニケーションのためのものだ。手紙を書くときは相手を知っている。その人に向けての言葉を書けばいい。雑誌もある程度の想定読者があった。10代後半の男の子とか、社会的地位を持ったお金持ちとか。ところがネットではまったく誰が読むのかわからないから、微妙なニュアンスというものをどう込めていいのかわからない。本はその多くが著者のことが好きで、その人の文章を読むために買うものだ。だから作家は自分の本を読む人に向けて書いた。しかし、ネットではそうは行かない。

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武甲山未来フォーラム 秩父の自然とローカリズム

2/24におこなわれた武甲山未来フォーラムに参加してきました。
内山節さんのお話しが素敵だったので、ここに要約を載せておきます。
いつものとおりメモ書きに頼っているので、お話しを完璧には再現できませんが、概要ということでご容赦を。

秩父の自然とローカリズム
50年近く前、群馬県の上野村に行きました。当時の十国峠は細くて狭くて大変な道でした。僕の車にはトランクにスコップを積んでいたから良かったですが、あれがなかったらきっと目的地には行けなかったでしょう。それ以来上野村が好きになり、そこに住むようになりました。東京との往復をするのに池袋から西武線で秩父まで来て、秩父に駐車場を借りてここから上野村までよく走っていったものです。

僕は哲学者ということですから、西洋哲学を研究してきたんですけど、西洋哲学は19世紀頃から限界を感じ始めて、東洋哲学を研究するようになるんです。それで20世紀には東洋哲学の内容は当たり前のようにみんな知っているんです。特に仏教。西洋哲学を学んでいるのでフランスにもよく行きました。フランスに行くと世阿弥の本を人文系の人たちは当然のように読んでいるんですね。日本で世阿弥を読んでいる人って、この中にもいらっしゃるでしょうけど、あまりたくさんの人は読んでいないと思います。そのくらい日本の考え方やものの見方がヨーロッパでは定着している。ところが日本ではどうか? 日本の伝統的な発想とは何かわかります?

日本では明治以降、ヨーロッパに追従するためにいろんなことやりましたけど、もうそれは時代遅れですね。何しろヨーロッパの人がそういう考え方を手放して、東洋や日本の考え方を学んでいます。人の気持ちや考え方が変わってきているのです。

かつてのヨーロッパの思想は、社会を人間が作ったものと捉えていました。だから人間が作り替えることができる。一方で日本が考えた社会というのは、人間と自然が織りなして作って行ったものと考えます。しかも、人間は生きている人間だけではない。死んだ人間も社会を作っていると考えたのです。つまり社会は「生きている人間」と「ご先祖様」と「自然」が作ったものだと考えたのです。だから、家を少しでも空けるときには仏壇に挨拶していったりしました。しかも昔は、自分のうちのご先祖様だけではなく、その地域のご先祖様のことを考えていた。うちの先祖という考え方が現れるのは江戸時代になってから。その江戸時代でもうちのご先祖様よりは地域のご先祖様の方が優先でした。それが明治時代になって本当に「うちのご先祖様」だけになった。柳田国男によれば先祖に個人名がついたのは明治以降だと言います。

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