地湧社のテキストマガジン「ひとつ」で連載を始めます。
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前世について書いてみる
前世というものがあるのかないのか、僕にはよくわからない。あるといえばあるし、ないといえばない。どのような立場から考えるかによってあったりなかったりする。
あるという立場からしばらく書いてみたいと思う。
僕のまわりの人には何度も話したが、僕はこんなことを思っている。
母が死んだ2004年、1月に母が亡くなり、3月にバリ島に行った。そこではじめてンガベンを見た。バリのお葬式である。壮麗な儀式だった。帰ってきてその年の旅を文章にまとめようと思い、さて何を書こうかと考えた。当時氷川台駅のそばにモスバーガーがあった。夕方、そのテラスに座り、モスバーガーにかぶりつきながら目の前の中古車屋さんと民家の隙間にある小さな空から夕焼けを眺めていた。すると、僕の内面で何かがスルスルとつながっていった。一度に全部がつながり、「わかった」と思った。このときの体験は不思議なもので、わかった瞬間に何がわかったのかはよくわからなかった。ところがわかったことだけわかったのだ。
何がわかったのか。
前世というものが、どういうものかの一面がわかった。
繰り返すこと
毎朝『日刊 気持ちいいもの』を書いている。するといろいろと気づくことがある。そのひとつをここに書こう。
夢に何か気持ちいいことが登場すると、それを『日刊 気持ちいいもの』に書くことができるが、そうではない場合、たいてい最初に思いつくのは前日に書いたことだ。「まあそうだろう」とそのことを特に気に留めていなかったが、これって人間の、または脳を持つ生命の特徴なのかもしれないなと思ったとき、思い出したことがあった。
それは子供が言語を獲得していくとき、何度も同じようなことを語る。しかも、頻度が高いのは、同じことの中にある些細な違いについて語ることだと言語学の本で読んだ。
だとすると、僕のような大人でも、実は脳のある領域では絶えず子供と同じことをしているのではないかと考えた。しかし一方で同じことを繰り返し反芻することは「意味がない」と教え込まれた結果、教育された大人は、それを無視するようになった。
なぜ同じようなことを繰り返し考えてはいけないのだろう?
人間には学ぶことがたくさんある。それらを学ぶためには、理解したことはすぐに大きく発展させるか、もっと別なことを学ぶかするように教え込まれたからではないか?