『日本の即身佛』(佐野文哉・内藤正敏共著 光風社書店刊 昭和44年発行)という本を読んでいる。とても面白いので覚書。少々残酷なのでそのような話が苦手な人は読まないこと。
ミイラというものは簡単にできるものだ。
ex.胎児のミイラ化現象がしばしば見られる。紙様胎児というものがある。双生児の一人が死亡し、水分が生児に吸い取られ、ついには組織まで吸収され押しつぶされ、一片の紙のごとくになって生児と一緒に排出される。
自然に出来るミイラは高温乾燥している場所で風通しの良い場合、または寒冷で乾燥した洞窟内などによくできる。
日本のような温暖多湿の国では自然にミイラはできにくい。しかし、明治以降でも数体の自然ミイラが発見されている。
ミイラとよく間違えられるのは屍蠟。屍体組織の化学変化によって出来る。屍体が水中、もしくは多湿な土中に置かれ、しかも空気の供給がほとんどないとできる。皮膚表面が蠟のように固まるので屍蠟と呼ばれる。
土中に埋葬されたものの、数十年、数百年して掘り出したら、皮膚もそのまま、内臓もそのまま、少しの腐敗もすることなく出てくることがたまにある。屍体が氷りづけにされるとそうなるが、それ以外にも起きる場合がある。これを軟体屍と呼ぶ。屍蠟でもなく、ミイラでもない永久保存屍体ということで法医学では「第三永久保存屍体」と呼ぶ。法医学の権威、古畑種基博士が命名した。
ミイラと言えばエジプトが有名だが、それ以外にも世界中にある。
1.古代インカのミイラ リマの考古博物館には400体以上が保存されている。
2.南米ヒバロ族の縮み首 戦士が殺した敵の首級から頭蓋骨をはずし、熱した小石や砂などを詰めて皮膚を収縮させ、生前の顔容をそのままに、生まれたての赤子の顔より小さく縮める。東京の国立科学博物館に三首、東大医学部に一首保存されている。
3.北米ブエブロ族の剥製ミイラ 屍体を解剖して皮膚を剥がし、肉と内臓を熱灰に埋めて乾燥、骨は再びもとの体形に組み立て、その上にはぎとった皮膚をかぶせ、皮膚と骨のあいだに乾燥させた肉・内臓および砂土・金属粉・宝石などを詰める。
4.サモア諸島マオリの干し首ミイラ 首狩りで得た人間の首級から頭蓋骨をはずし、髪付きの頭皮を乾燥させてのちふたたび頭蓋骨にかぶせて祀り、あるいは眼球を抜き取ったあとに犬の歯を並べ、鼻の部分を高く長く盛り上げて天狗の面のように作る。
5.ニューヘブリデス群島トマンの燻製ミイラ首 切り離した屍首を一週間にわたって煙でいぶし、内外面を年度で塗り固めてのちさらに煙でいぶす。
6.トレス海峡東部の島々の部族、およびオーストラリアのウンギ族、マラノア族、ナリンジェリ族、クルナイ族の燻製ミイラ 脇腹もしくは会陰部から内臓を剔出(てきしゅつ)し、立ったまま木の枠にしばりつけ、下からいぶして作る。
7.ニューギニア、クカクカ族のミイラ 肛門から竹を差し込み、腸内容を除去して、三ヶ月にわたり生木を燃して燻製としたものを、故人存命時の住地を見下ろせる岩棚に安置する。
8.マレー諸島ゾゴのミイラ 燻製ミイラを宙に吊し、風に任せて柱などにぶつかってくずれ、最後にのこされた首を祀る。
9.インド、アッサム地方ナヴ族 死屍を囲炉裏の上に吊して燻製とし、祭壇に祀る。
10.フランシスコ・ザビエル 中国広東湾付近の上川島で歿した際に、側近者が移葬のことをおもんばかって棺内に石灰を詰めたため、屍蠟となり、永久屍体となった。インド、ゴアのザビエル聖堂に安置されている。右腕だけは切断され、普段はローマ教会(ジェズ教会)に安置されているが、1949年、1999年には日本で展示された。(一部wikipediaから引用)
11.チベット、ラサのポタラ宮にあるダライ・ラマのミイラ 初世と第六世のダライ・ラマを除く歴代ダライ・ラマのミイラを収めるパゴダがある。初世はミイラづくりがされておらず、第六世は破教のためミイラにはされなかった。遺骸の口から氷の砕片、チベット紅花、水銀を注ぎ込んで体内汚物を排除し、生木の煙でいぶしては塩と香料を強くすり込む。これを繰り返して水分を抜き、ミイラにするといわれる。最後に全身に金泥をほどこしてパゴダに安置する。
12.中国の高僧ミイラ 金泥を塗り、あるいは漆、塑土などを全身に施す。
13.シシリー島パレルモのカプシン派教会地下墓所のミイラ およそ8,000体のミイラがある。一年余にわたって巨大な粘土管に遺骸を封じ込めて完全乾燥させたのち、正装させて地下墓所に安置する。
14.アリューシャン、アレウト族のミイラ 内蔵を除去したあとに乾し草をつめ、海棲動物の皮で作った防水マントを着せた上に、さらに死者が生前に使用した皮船の皮で包む。
15.岩手県平泉、中尊寺金色堂内に安置されている藤原氏四代の永久保存屍体 清衡、基衡、秀衡、忠衡。
以上はすべて人工ミイラである。死没したのち誰かがその屍体をミイラにする。
即身仏はこれらとは異なり、生きているあいだに意志を持ってミイラになっていく。これについては後日続きを書く。
屍体を保存する風習が世界中に存在するということは、何か人間の根源的な精神性に関わりがありそうですね。
三千年前の「心の発見」よりもこの習慣が古いとすれば、宗教という精神の枠組み(或いは魂魄の感得)の凄まじさに身震いします。
ペペさん、ようこそ。
先日、母親猿が死んだ赤ちゃん猿を手放さず、そのままミイラになってしまったという話をニュースでしていました。
亡骸をさっさと焼いてさっさと埋めるというのは理性的な判断で、情緒的には親しい人はいつまでもそばに置いておきたいと思うのでしょう。その結果、ミイラができることもあったかもしれませんね。