走る - 1 - 体育の授業で

これから僕なりの走ることについてのエッセイを書いていく。まずは僕が走るきっかけとなったことから。

幼稚園児の頃、僕は痩せていた。兄にいつも「ガリガリ」とか「ヤセ」とか言われてからかわれていた。その反動か、小学生の高学年の頃から太り始めた。中学に入って放送委員になると「ブタさん」とあだ名されたほどだ。写真を見ると確かに太っている。中一の体育の授業で長距離走をさせられた。クラスでビリから何番目かだった。幼稚園の頃から徒競走はいつも一番ビリだったので、足が遅いことをあまり気にはしていなかったが、そのときはじめて悔しいと思った。

それ以来、ほぼ毎日のように夕方ジョギングした。当時はジョギングなんて言葉もなかった。マラソンというほどの距離を走るわけでもない。その行為をなんと呼べばいいのかわからなかった。時によって「マラソン」と言ったり、「ランニング」と言ったりしていたと思う。はじめのうちはいやいややっている感じだったが、いつの間にか走るのが嫌ではなくなっていた。一年経つと、からだは痩せ、体育の授業での長距離走では、前から何番目かになった。中学三年の運動会では200m走で野球部員と陸上部員を抜いて一等になった。

このときに走る喜びを覚えた。

しかし、高校に通うようになると走るのをやめてしまった。8kmの道のりを自転車で毎日通学したからだ。

大学受験に失敗し、浪人して鬱々していたときに再び走り始めた。走ると気が晴れた。エネルギーが湧いてくるような感じがした。それ以来、何か気分が鬱々すると走るようになった。大学で恥をかくと走り、失恋すると走り、テニスの試合に負けると走った。しかし、就職すると、一切走らなくなった。

広告会社に勤めていたとき、仕事で琵琶湖のアイアンマンレースを見に行った。そのイベントのスポンサーと一緒に看板やのぼりなどのチェックをしにいったのだ。そこでトライアスロン・アイアンマンレースを見た。すごく感動した。そのときまだマラソンすら走ったことがなかった。だけど、無鉄砲にもこれに40歳までには参加してやろうと心に誓った。水泳4km、自転車180km、マラソン42kmという、普通の人間にはとても完走はできそうもない代物だったが、とにかくやりたいと思った。

この続き「走る -2- 太りすぎ」はこちら。

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