走る - 2 - 太りすぎ

会社を辞めてフリーとなり、なんとか雑誌に書いたりして本も出版した。

しかし、ふと気がつくと38歳だった。体重は97kgになり、会社勤めしていた頃より12kg以上増えてしまった。さらに飛んでもないことに血糖値が高くて糖尿病だと言われた。とてもトライアスロンどころではない。数km走るのがきっとやっとだろう。医師からはジョギングも禁止された。薬を飲んで安静にしてなさいということだ。入院まで勧められた。しかし、それじゃあもう自分のからだがどうにもならなくなってしまうと思い、医師の話は無視してとにかくジョギングくらいはしてやろうと思った。

40歳にアイアンマンレースはどう考えても無理だ。そこで無理ではない程度に上方修正した。数年のうちにマラソン、50までにアイアンマン。

実現できるかどうかはわからない。とにかくやることにした。

ひさしぶりに走った日。4km走った。

中学生の頃は20分程度で楽々と走っていた。ところが、30分以上かかった。しかもへとへと。走り終わってシャワーを浴びようとした。バスルームで椅子に座るともう立ち上がれない。シャワーの蛇口をひねったが、シャワーヘッドが高いところにあるので、立ち上がれなくて手に取れない。頭の上から水に打たれるままにした。

それから週に一度か二度、4km走った。まったく運動してなかったのが運動するようになったので、あっという間に体重が落ちていった。一ヶ月で8kg落ちたので80kg台にはすぐになった。しかし、そのあとが続かない。88kgほどになったらそこから体重は全然落ちない。そこで同じコースを二周して8km走るようになった。時間はだいたい一時間弱だった。倍の距離を走っても体重はあまり変わらなかった。

ある日、いつものように走っていると、腿の裏あたりがピキッと言った。肉離れだ。痛みが引くまで二週間ほどかかった。運動しないとまたすぐに太りそうで怖かったが、あまり太りはしなかった。痛みが引いたらすぐに走ったのだが、2〜3km走ったところでまたピキッと言った。そこで今度は一ヶ月休んだ。痛みは二週間ほどで取れたが、それだけでは安心できない。あと二週間余計に休んだ。

一ヶ月後、ひさしぶりに走ったが、肉離れの恐怖が頭から離れない。またピキッと言ったら今度は二ヶ月休まなければ。二度も肉離れしたので、その直前の感触を覚えた。なので、その感触が足に現れるとすぐに走るのをやめた。しかし、これではいつまで経ってもマラソンには出られそうにない。なかなか4kmが走れない。時々肉離れ寸前の感触を感じて休むようになった。

休み休みでも一年走れば少しは筋肉がついたようだ。8km走ってもなんともなくなっていた。そこで今度は距離を12kmに伸ばす。もう肉離れはしなくなった。だけど別の問題が浮上してくる。膝の痛みだ。

膝は軟骨が痛くなるので筋肉より厄介だと思った。筋肉なら鍛えられるが軟骨は鍛えることができるのだろうか? そう簡単なことではないはず。中学生の頃にも膝が痛んだことがあった。そのときはどうしたかというと、踵を上げて走ったのだ。

踵を少し上げて走ると膝への負担が減る。踵が衝撃を吸収するからだ。中学生の頃は踵を軽く上げたまま4km程度なら走れた。それを試してみた。

ほんの数歩で挫折した。踵やふくらはぎが疲れてしまう。その状態で4kmは無理だと悟った。だいたい体重もその頃よりは20kgほど重くなっているし。

その頃までずっと古いテニスシューズで走っていたが、諦めてジョギングシューズを買うことにした。踵にエアクッションの入ったエアナイキだ。これは効果覿面だった。12kmも楽々走れるようになり、ついに16kmに挑戦することにした。

12km走れると、16kmはさほど難しいことではなかった。問題は同じコースを四回もまわると飽きるということくらいだった。

2001年の夏には友人から「16km走れるならマラソン出てもいいんじゃない」と言われ、ホノルルマラソンに参加しようと準備を始めた。さてそろそろ申し込もうかというとき、911(アメリカ同時多発テロ)が起きた。

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