2011年5月1日から2日の、飛騨一宮水無神社においておこなわれた例祭を見てきた。そのときの映像が下のリンクにある。
この映像は2日の朝、例祭がはじまるときの映像だ。これを見て僕はすごく感激した。よく社会生活を送りながら、これだけのことを一般の人たちがおこなえるものだと。しかし一方で別のことも思ってしまった。時々誰かが踊りや囃子を間違える。もっと完璧にやってもいいのにと。
前日の晩には試楽祭があった。このときに踊りの予行をし、どぶろくを飲む。お守りを売っていた神職に質問した。
「昔はどぶろく飲んで徹夜でもしたんですかね?」
「きっとそうだったと思いますよ。神様を降ろしてきて、一緒に過ごしたんではないかと思います」
「いまでは徹夜はしないんですか?」
「現代人ですからね、僕たちは」
試楽祭のときにたまたま土地の老人に話しかけてもらい、いろいろと話を聞くことができた。以前は試楽祭のほかにも、予行のための祭りがあったそうだ。その予行は、例祭で踊る人が舞うのではなく、これから舞を学ぶ人たちが舞うための祭りだったという。それをおこなうことで、例祭での踊りや囃子の質を高めたそうだ。しかし近年、若い人はそのような予行のための祭りをしたがらなくなったという。そんなことしなくても祭りは十分にできるということだ。確かに映像にあるもので十分だと思えるが、もし神様のためにやっていたら、もっと完璧なものになるだろうとも思った。僕の中に疑問がふつふつと湧いてきた。
そもそも祭りはなんのためにやるのか?
「神様のためにやるものでしょう」と答えるのが正しい答えだろうか? もし子供に質問されたら、きっと素直に「神様のためにやるものだよ」と答えるだろう。しかし、大人に質問されたらなんと答えるのか? 「神様のためにやるものだよ」と答えられる人はいい。しかし、多くの人は「神様のためにやる」などと、恥ずかしくてまじめには答えられないのではないだろうか。酔った勢いで言うくらいが関の山だと思う。
現代人である僕たちは何のために祭りをするのだろうか? これはとても難しい質問だ。神主や宮司であれば「神様のため」と断言できるだろうし、そう断言しても許される。しかし、一般人が大まじめにそう答えると、問題が生じることがある。そこで出てくる答えは「伝統を守る」とか「地域共同体の絆を作るため」などという答えになる。
もし神様がいないとしたなら、祭はその完全さを失っていくしかないと僕は思う。「伝統を守る」ことや「地域共同体の絆」を作るためのような、考えれば理解できる合理的な理由で祭をやるのであれば、もっと優先すべきことがあるからだ。そのことによって「少々の手抜きは許される」と思うようになるのが自然だろう。祭が本来の輝きを保つためには「神様のため」でなければならないと思う。そうでないなら祭は合理的になってしまう。そしてこのことが、じわじわと祭を蝕んでいるのではないか?
何年も祭を見にバリ島に通ったことがある。そこでは祭りがすべてに優先される。交通は祭のために遮断され、学校は休みになり、仕事もそこそこに祭の準備がおこなわれる。それは神という存在が絶対的だからだ。日本では、祭で交通を遮断したら大事だ。水無神社の行列も、大通りを渡るのに車が途切れるのを待っていた。バリ島と日本の違いがそこに露呈した。
伊勢神宮の祭が完璧に思えるのは、その祭を執り行う人がすべて神職だからだ。心から神を信じている人しかその祭には参加しない。しかし、多くの神社での祭はそれが難しくなっている。みんな神様のためにやっていると断言はできない合理的な人たちが祭をしているからだ。
「だから神を信じろ」といいたいのではない。僕にも答えがよくわからない。祭は「神のために」と集まった人々が、個人では到底できないことをやるところに要諦がある。祭のために集まった人が「伝統を守るため」とか、「共同体の絆」のために個人を超越していくというのは難しいだろう。その矛盾が、少しずつ祭の力をそいでいるのではないかと思う。一方で、それでも祭の質を保つためには、地域の人たちの絆がしっかりとしてなければ無理だろう。神のためではなく、地域の絆のためにこれをしているのだとしたら、それは相当の努力をしているはずだ。
絆との戦い
福島の原発事故で、いまだに30キロ圏内の人たちが避難しないことを都会の人たちは不思議がるが、それには理由がある。福島に実家がある知り合いがこんなことを言っていた。
「放射能の問題であの地域を離れた方がいいのは明らかだけど、離れられないのは地域の縛りがあるからなんだよ。もし勝手に別のところに移ったら、その人はもう二度とその地域には戻れないよ、きっと。あいつは裏切ったと後ろ指を指されてね」
都会に住んでいるとこんな感覚は理解できないが、水無神社でおこなわれるような手間ひまのかかる祭は、地域の結びつきがしっかりしてないと無理だろう。そしてその結びつきがいいことにも作用し、悪いことにも作用する。もし共同体のためではなく、神様のために祭をしていたら、さらにその地域から離れにくくなるだろう。深い絆は、いいことでもあり、悪いことでもある。田舎での居心地の良さは、その地域の人と人との結びつきが濃いからだ。しかし、都会の生活に慣れた僕のような人間が、数日ならいいが、何年もその縛りのなかで暮らすのは大変なことだろう。同じ問題が中越地震の際に山古志村にも起きていた。
先日、ミラツクというイベントに参加した。未来を作るためにいま何が必要か話し合うというイベントだ。そのなかで知り合った人が、数年前から奥多摩で暮らし始めた。暮らしのほとんどはとても快適だが、ただひとつ、消防団の活動だけは参加したくなくて、地域にとけ込むかどうか悩んでいると聞いた。その地域では若い男は消防団に属するもので、それなしには一人前と評価してもらえないそうだ。彼は消防団に属さないで済むなら、ほかのどんな苦労でもするからと嘆いていた。
これから僕たちはどう暮らせばいいのか。はっきり言ってその答えはわからない。もっともそれらしい答えは、ひとりひとりが自分の生活を選び取らなければならないということだ。いろんな人のいろんな価値観のなかで生きることで、結果として社会のバランスが取れる。そのためには他の価値観の人たちと共存したり、ときには論争したりしなければならないのだろう。生命多様性と同じに文化多様性のなかで生きるためには、動物が弱肉強食のなかで生きるように、文化の戦いのなかで生きるほかはないのかもしれない。
飛騨の人たちが文化の戦いに勝ち残り、祭を完璧に存続させるのはとても難しいことだ。それを継続していることに敬意を払いたい。