当たり年
去年12月10日の皆既月食に続き、今年は様々な天体ショーが観測されます。まさに当たり年。マヤ歴で2012年が世界の終わりの年とされたのがうなずけるほどいろんなことが起きますね。
3月26日には金星と木星のあいだに月が見られました。トップの写真がそれです。
これからの予定は5月21日の金環食。次は6月4日の部分月食。そして6月6日の金星日面通過。7月15日には木星食。8月14日に金星食。すごいです。
金環食はあちこちで噂になっているので詳しく書く必要はないと思いますが、東京では173年ぶりで、つまりは前に起きたのは東京がまだ江戸の頃。次に起きるのは300年後だそうです。そのときに「東京」はまだ東京なのでしょうか?
5/21は朝からこれを見る準備をして、しっかり観察するつもりです。そのために太陽観察用のグラスと写真撮影用のフィルターを用意しました。あとは晴れてくれるのを待つばかり。ドリカムのファンが今回の金環食を強く待ち望んでいるそうですね。「時間旅行」という歌に今回の金環食が登場するのです。懐かしい。
6月4日の部分月食は1/3程度が欠けるとのこと。月食はまあたびたび見られますからね。そんなに珍しいことではない。
その二日後の金星日面通過が珍しい現象なんですね。前回は2004年6月8日に起きたので、たいして珍しいものではないように感じるかもしれませんが、金星日面通過はたいてい8年あいだをおいて二回、対のように起きる現象なのだそうです。だから、2004年から以前は1882年12月6日に起きたそうです。そのときにはマーチ王と呼ばれたスーザが「金星の日面通過」というマーチを作曲したそうです。どんなものか興味があったので探したら音声ファイルを見つけました。どんな式典で演奏されたのでしょう?
その8年前(1874年12月9日)には日本に欧米の観測隊がやってきて観測したそうです。そのときの記念碑が神奈川県横浜市西区の紅葉坂と長崎県金比羅山にあります。
クック船長の探検は金星日面通過がきっかけで始まった
僕が金星日面通過に興味を持ったきっかけは、クック船長の航海日誌に見つけたからです。1769年6月3日、クック船長がタヒチで金星日面通過を観測しているのです。クック船長の太平洋探検は、イギリスが通商関係と領土の拡大のためにおこなったと言われていますが、きっかけはこの天体観測だったのです。ハレー彗星で有名なエドモンド・ハレーが、1716年に次の金星日面通過を利用して、太陽と地球の距離を測ろうと王立協会で発表しました。イギリスと、そこから遠く離れた地点で金星日面通過を観測することで、三角測量のようにして太陽と地球の距離を算出しようとしたのです。ハレー自身はその日を迎える前に亡くなってしまうのですが、その呼びかけに基づき1761年と1769年に計測しようと王立協会の人たちは準備します。しかし、1761年は七年戦争の最中であり、準備が遅れ、失敗しました。そこで1769年は失敗しないようにと準備を開始するのですが、それでもそのための第一回会合が開かれたのが1767年11月で、19ヶ月ですべてを準備しなければなりませんでした。王立協会には遠く離れた地に観測者を送るほど資力がなかったのでイギリス王室に頼って準備します。イギリスにとっては新領土獲得のため太平洋を調べるいい口実になりました。なので、タヒチで金星日面通過を観測した後、クックはニュー・ジーランド(ニュージーランド)、ニュー・ホランド(オーストラリア)、ジャワ(インドネシア)などをまわって帰国します。
もとの目的が金星日面通過の観測であることは『クック太平洋探検』第一巻のトップにある「訓令」で明らかです。そして、のちの太平洋探検についてはクックも天体観測が終わるまで知らなかったことになっています。少なくとも文書上はそういうことになっています。でも、クックの生い立ちを調べると、きっとイギリス政府の意図を知らされていたんだろうなと思います。この頃は各国の関係が微妙で、イギリスが勝手に領土開拓のための探検をしているとは思われたくなかったのです。
グレイト・ブリテン海軍卿の職務執行のための委員会委員による
訓令
われらは、国王の御命令に従い、貴官を司令官とする陛下の三檣帆船(バーク)(さんしょうはんせん)エンデヴァ号が、1769年6月3日太陽円盤状の遊星ヴィナス(金星)通過を観測するのに王立協会がもっとも適したと判断する人材を受け入れ、その人々を右の現象を観測するに適切な赤道の南の地方に派遣するため、同船にふさわしい装備をなさしめた。また、王立協会の評議会は、貴官とともにチャールズ・グリーン氏を右の現象の観測員に任命し、同観測が、近年国王陛下の船ドルフィン号のウォリス船長によって発見されたキング・ジョージ島(タヒティ島)のポート・ロイヤル港においてなさるべきことを希望する旨、われわれに伝えてきた。同地は、観測のため適切と思われる範囲内の他のいかなる地より事情が明らかにされているばかりでなく、立地条件もよく、その他あらゆる点でもっとも好都合である。これにより、貴官は、右のチャールズ・グリーン氏を、その従者、器材、荷物とともに上記帆船に受け入れ、以下の訓令に従って行動を開始するよう指示、命令する。
(中略)
この任務が完了したとき、貴官は時を移さず出帆し、封印された同封の封筒にある追加の訓令を実行せよ。
しかしながら、貴官が、貴官にたいするわれわれのこれら訓令を実行することが不可能になった場合には、同訓令書および上記追加の訓令書は、席次において貴官につぐ士官の手に渡るよう慎重に配慮し、その際には同士官が全力をつくして訓令を実行するよう指示、命令する。
1768年7月30日署名
E・ホーク
ピアシ・ブレット
C・スペンサー
在ギャリオンズ・リーチ
国王陛下の三檣帆船エンデヴァ号指揮官
ジェイムズ・クック海尉殿
閣下方の御命令により
フィリップス・スティヴンズ
訓令書の趣旨が金星日面通過の観測であるにも関わらず、クックの航海日誌はその記載がとても簡素です。きっと別にレポートがあるのでしょうけど、こんな簡単でいいのかなと思ってしまいます。
6月3日 土曜日
今日は、われわれの目的にとって願ってもない日となった。一日じゅう雲がなく、空気も完全に澄み切って、金星が太陽の円盤の上を通過するさまを観測するには、望みうるかぎりの好条件が得られた。円い惑星のまわりの空気や暗い影がひじょうにはっきりと見えたが、それがとくに(太陽と金星が)内接するとき、大変な妨害になった。ソランダー博士、グリーン氏および私がおのおの観測したが、接触の時間の測定において、予期していた以上にお互いの間に差が出た。グリーン氏と私の望遠鏡は同じ倍率であったが、博士のは拡大率が大きかった。ほとんど一日じゅう、風は凪いで、正午には、これまでにない(119度の)温度にまで上った。
このとき、15日後にクック船長は皆既月食も観測しています。
6月18日 日曜日
変風で快晴。夜皆既月食を観測した。
これしか書かれてないんです。(笑)
これが第一回の航海で、このあとさらに二回、計三回の航海をクック船長はします。三回目の航海でハワイ諸島を発見して、そこで殺されてしまいます。
金星日面通過は裸眼では見えない地味な現象ですが、こういうふうに歴史的な意味のある現象なのです。
木星食と金星食
木星食と金星食はそれぞれの星が月の裏側に行き、しばらくして出てくる現象です。木星食は7月15日(日)の午後1時前からはじまり、午後2時過ぎに終わります。昼間ですので天体望遠鏡がないと見えません。よほど倍率を高くしないと写真にも写らないでしょうね。
いっぽう金星食は8月14日(火)の早朝、午前2時44分頃から隠れ始め、3時30分頃に出てきます。木星食も金星食も東京周辺での時間ですので他の地方のかたはそれぞれ調べてみて下さい。
こんな年に生きていられたのはとてもラッキーなことです。