『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んで

村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ。

今回の小説はいきなり主題の提示で始まる。あまりにもすぐに本題が始まるので「どうしたことか?」と思ったのだが、しばらく読むとその理由が読み取れた。『1Q84』で『シンフォニエッタ』を使ったように、この小説ではリスト作曲の『巡礼の年 第一年〈スイス〉』から「ル・マル・デュ・ペイ」という曲が主題として使われているが、その曲の形式を小説で追っているのだ。

こちらに書いたが、村上春樹の小説はたいてい、シンフォニエッタのようにすべての音があってはじめてその素晴らしさがわかるような、物語の複雑な絡まり方が面白さを生み出しているのだが、今回はその面白さは比較的単純に表現されている。だから、今回の作品に限って言えば、ストーリーを手短にまとめても面白さが伝えられるような物語になっている。

『1Q84』という物語は、主人公の行動だけをまとめただけでは、いったい何が面白いのかよくわからない。主題に絡む様々な細かな話が全体の面白さを生み出していた。それは『シンフォニエッタ』という作品にとても似ていた。『シンフォニエッタ』はそのメロディーだけ抽出して単音で演奏しても、何がどういい曲なのかよくわからない。単純でかつ面白味のないメロディーだ。ところが、メロディーに付随する音がすべて演奏されたとき、その音楽の豊饒さが見えてくる。それは『1Q84』の面白さに呼応していた。

今回の作品に登場する「ル・マル・デュ・ペイ」は主題の提示にはじまり、その主題できちんと終わる形式になっている。今回の小説は、まさにその音楽の形式を踏襲したような作りになっている。音楽は最初に単音で主題が提示され、また最後に主題が和音を加えて繰り返される。小説では最初に提示される謎が、最後にも登場するが、そこでは主人公が見るべき方向が定まり、可能性に向き合うことで終わる。

物語は過去に仲良しだった五人組から主人公が仲間はずれにされ、十年以上経ってから主人公がその理由を追っていく。今回の小説は『1Q84』より多くの人の心をつかむような気がする。似たような過去がきっとあるだろうから。

僕も読んでいて「ああ」と思い出した過去がたくさんあった。その過去を追想しながら物語を追っていく。つらくて触れたくないような過去を引き出すきっかけになるような記述が多かった。タイトルにある「色彩を持たない」や「巡礼の年」は、この小説のなかでいろんな意味となって登場する。同じ言葉がキラキラと様々な意味を発する。それは同時に過去の解釈がプリズムのように変わっていくことに対応している。

P.S.

きっと今回もリストの『巡礼の年』がいままでにない売れ方をするんでしょうね。しかも演奏者まで書かれているのでなおさらです。

僕はiTune Storeで探して同じ曲を見つけましたけど、「ル・マル・デュ・ペイ」は「ノスタルジー」とか「郷愁」などと訳されています。小説に登場する演奏者のものは見つけられませんでした。でも、アマゾンにはありました。ラザール・ベルマンの旧版はマーケットプレイスにありましたが高かったので買いませんでした。いまみたら、もうそれは売れてしまったようです。

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