特定秘密保護法案が2013年12月6日に成立し、同年同月13日に公布された。1年以内に施行されるはずだ。僕はこの法案について賛成か反対かとても微妙だ。この法案をどのように利用するかが大切だから。もし、日本人がみんな互いに信頼し合える間柄ならば、たいして問題にはならない。信頼し合えない間柄なら大変問題だと言うことだ。さて、どちらの立場に立つのか? このことに関して考えるために、少し別のことを考えてから、この問題に戻ってこようと思う。
20年近く前、僕はケニアに行った。一頭の象に会うために。その象の名前はエレナ。ドキュメンタリー映画『地球交響曲(ガイヤシンフォニー)第一番』に登場する象だ。僕はこの象を育てたシェルドリック動物孤児院を舞台として、『ひとりぼっちのケティ』という少女マンガの原作を作った。ストーリーの概要は、動物孤児院の存在を知った日本の女の子キッコが、子象の養い親となり、その子象ケティに会いに行く。そこで密猟の現実に巻き込まれながら、動物を愛するとはどういうことかを学んでいく。このとき、現地の象の密猟について詳しく調べた。そこで僕自身がとても大切なことを学ぶことになった。それは歴史というものの成り立ちだ。
僕たちにメディアから伝えられることは、『アフリカでは象の密猟が横行している。象を保護するために密猟者を取り締まらなければならない』というようなことだ。ところがきちんと調べると、これには深い背景がある。その背景についてはあまり語られない。その背景とは何か? アフリカの人びとはかつて猟をしながら平和に暮らしていたということだ。まあきっと、それは当たり前だと思う人がほとんどだろう。ところが問題は『猟をしながら平和に暮らしていた』ときから『象の密猟が横行している』状態になるまでに何があったかが、ほとんど語られないと言うことだ。この間に何があったのか、概略をとても簡単に書く。こんなに簡単にしてもいいのかと歴史家には言われるだろうが、理解しやすくするためだ。
1.アフリカの人たちは猟をしながら暮らしていた。
2.西欧諸国の人たちがやって来てスポーツのようにして猟を始める。
3.動物が激減する。
4.動物激減を食い止めるためにと、猟を制限するために法律を作り、処罰を決める。
5.伝統的猟を続けようとした狩猟民族は犯罪者ということにされてしまう。
6.狩猟民族は仕方なく農耕民族にされてしまう。
動物保護を訴える人たちには「動物たちが保護されるようになってよかったね」としか思えないかもしれないが、現地の人たちにとってはどんな思いが生まれるだろうか? 最近とても似た現象が日本でも起きた。『The Cove』という映画が公開されたときの日本人の反応だ。それと同じことがアフリカにも起きる。そんなことにも『ひとりぼっちのケティ』のなかでは触れたかったが、三回連載と言うことで、泣く泣く削除した。密猟団のボスは現地の人から白人に差し替えた。
つまり歴史は、どんどん勝者の側からの理論にすり替えられることで、本当に大切な何事かが抜け落ちていく。少し前まではそのスパンが『歴史』のスパンだったが、メディアが発達することで、そのスパンがとても短くなっている。そのことに僕たちが意識的でないとならない。ちょうどそのことを意識するためのいい出来事が最近あった。
編集した最新刊『癌告知。生き方をガラッと変えて僕は生還した!』
著者中山栄基さんは、労働省(現厚生労働省)の外郭団体、日本バイオアッセイ研究センターで、化学物質の毒性について研究していた。そこで忸怩たる思いを抱える。端的に言えばつまり「いくらこの仕事をしていても、誰も幸せになれない」ということだ。なぜか? 中山さんの仕事は、新たに生まれてくる化学物質を調べ、それがどの程度の害毒を人間に与えてしまうかを調べることだ。とても大切な仕事だ。しかし、それは調べた化学物質が厳格に扱われてはじめて意味が生まれる。ところが、せっかくどんなに調べても、それを運用側が安易に使えばなんにも意味がない。実際にそのような場面にたくさん出くわして中山さんはその職場を辞める。多くの化学物質に抵抗し、人が健康に暮らすためにはどうすればいいのかを研究するために。
中山さんは酸化還元反応に着目する。多くの薬物はからだを酸化していく。ならば還元作用を持つサプリメントを開発すればいいのではないかと。紆余曲折ののち、中山さんは『植物マグマ』を開発する。このサプリメントは驚くべき効果を発揮する。様々な疾患を治癒したり、軽減したりしていったのだ。しかし、ここまではよくある話だ。驚くべきはこの話のあと。『植物マグマ』は癌にも効くことがわかり、何人かの医師はこれを処方するようになる。ところが、中山さん自身が癌になってしまうのだ。さて中山さんはどうするのか? ここがこの本の読みどころなので、興味のある人は本を買って読んでね。(笑)
話がかなり脱線してしまってごめんなさい。つい僕が、本を売りたいばっかりに。f(^-^;
さて言いたいのは、化学の世界でも曖昧な約束事が、効果的な作業を無駄にしていることだ。どんな薬でもある限界を超えて使われれば毒になる。だから、使う量を厳格に守らなければならない。ところが実態は違う。しかも、その使う量というのは、ある環境下でどの量まで使ってもいいのかについて、あまりやかましくは言われない。ひとり一人には厳格に使用量が守られたとしても、ある地域での濃度が高くなってしまえば、ひとり一人の使用量はあまり意味がなくなる。その環境下にすでにある濃度で存在するのだから。いまの社会はこのことに無頓着だ。それがはっきりわかったのが、今回の放射性物質の扱いと言うことだ。大騒ぎになっている放射性物質の扱いは、実際には化学物質の扱いに関しての曖昧な態度を浮き彫りにしたと言うことだ。
人間は高度な技術を手にしている。しかし、それはとても危険な技術でもある。それらを運用するためには厳格な基準が必要となる。それを守られる準備をしない限り、僕たちはそれを安易に扱ってはならない。そのことについて『癌告知。生き方をガラッと変えて僕は生還した!』は深く考えるための本となっている。
化学物質の扱いと同様、特定秘密保護法案は運用側はもちろん、それにかかわる人たちがすべて慎重に扱わなければならない。だれかがエゴイスティックに使ったらとんでもないことになる。それをどう抑制するのか、その約束を作ることが必要だ。