貧乏な人とは、いくらあっても満足しない人

昨晩、Mr.サンデーというニュースショーでムヒカ元ウルグアイ大統領のインタビューが流れた。ムヒカ氏の存在に感激して泣けてしまった。2012年6月のリオ会議では素晴らしいスピーチをしていたことをネットで知った。なんでこんな素晴らしいスピーチがマスメディアに流れないのかと思っていたが、しばらくしたらぽつりぽつりと流れるようになった。

僕は知らなかったが、Mr.サンデーではすでに一度ムヒカ氏のことを取り上げていたそうだが、それは見ていなかった。今から見られるものなら見てみたい。

あのようなインタビューをわざわざウルグアイまで撮りに行った番組スタッフにお礼をいいたい。あの感動的な演説を成し遂げたムヒカ氏の心の片隅に、日本人の生活が刻まれていたそうだ。

『愛するということ』などで知られるエーリッヒ・フロムも、haveとbeの文化についての概念を生み出した際に例として考えたのは日本の俳句だったし、鈴木大拙の影響も受けていた。かつての日本の文化がどれだけ素晴らしかったのかがうかがえる。

なぜか僕はそのような、かつての日本の魂を引き継いでいるような話に心が震える。そしてそれは日本だけではなく、どこの世界にもかつてはあった話なのだろうと思う。

小学一年か二年の頃、母が絵本を買ってくれた。確か『小さな王様の大きな夢』というタイトルだった。僕はこの絵本をきっと、二、三回しか読んでいない。だけどはっきり覚えている。この本を読むと泣けてしまったのだ。二度読んでも三度読んでも泣けるので、もう読まなくなった。それでもその話をほとんど覚えている。この話が、ムヒカ元大統領の話とどこかでつながっている。こんな話だ。

ある小さな国がありました。そこの国の国民はみな幸せでした。みんな農夫や漁師でしたけど、楽しく暮らせました。税はほとんどなく、ただ順番に王様のところに収穫物を持っていくと、それを王様は調理させ、持って来た農夫やその家族たちと一緒に食べるのが常でした。国民は王様に呼ばれて一緒に夕食をともにする日を楽しみにしていました。だから国民はみんな王様のことが大好きでした。

王様の娘である王女はそんなふうに暮らしているお父様がとても好きでしたし尊敬していました。

そんなある日、ある大国の外務大臣が小さな国にやってきました。外務大臣はたくさんの家来と護衛のための兵士を連れてきました。そして言いました。

「なぜあなたは国王なのにそんなみすぼらしい格好をしているのだ?」

外務大臣は宝石のついたきらびやかなマントを着ていました。

「なぜあなたの国には兵士がいないのだ? よその国が攻めてきたらどうする? 外務大臣でさえこれだけの兵士をともなっている。国王となればさらに多いぞ」

兵士たちの列は一階建ての小さなお城から、港に停泊した軍艦まで続いていました。

「よく考えた方がいいですよ」

国王は外務大臣からいろいろと教えてもらいました。外務大臣は蛇のようにうねる兵士たちの列の先頭に立ち、帰っていきました。

国王は翌日から軍隊を作ることにしました。そのためには国民から税を取り立てることにしました。農夫たちは驚きましたが、国王の言うことには従いました。なにしろあれだけ素敵な国王なのですから。変なことはしないだろうと信じて。

ある程度お金が貯まると国王は軍隊を作りました。その軍隊で隣の国を攻めにいきました。隣の国はまさかあのおっとりとした小さな国の国王が攻めてくるなどとは考えていなかったので、すぐに負けてしまいました。

国王は隣の国を領土とすると、一階建ての小さなお城に二階を増築しました。窓からは国旗を飾る旗竿が突き出ていましたが、それが二本になりました。そして、みすぼらしいマントの上に少しだけ華やかなマントを重ね着しました。

隣の国を占領すると、兵士の数は二倍になります。少し大きな国を攻めにいきました。するとあっさりとその国も領土にできました。

国王は二階建ての小さなお城を三階建てにし、各階の窓からは国旗を飾る旗竿が突き出て三本になりました。そしてみすぼらしいマントの上に着た少しだけ華やかなマントの上に、もう少し華やかなマントを重ね着しました。

このようにして次々と他国を滅ぼし領土にして、そのたびに小さな城を一階増築し、旗竿を一本増やし、少しずつ華やかなマントを着つづけていくと、いつしかお城は風で揺れる細長いお城となり、各階の窓からは旗竿が突き出て風でひゅーひゅー鳴り、華やかなマントはいつの間にか宝石がたくさん縫い付けられたド派手で品のないものになっていきました。農民や漁師たちは重税に喘ぎ、誰も王様のことなど好きではなくなりました。

その様を見て王女は「お父様はいったいどうしたのかしら?」と心配するのでした。そのことを王様に告げても、王様は「いい暮らしができるのは兵隊のおかげだ。なぜ文句を言うのか」と取り合ってくれません。

風が吹けばふらふらと揺れる細長いお城は、いまや雲より高くなり、屋上に登ると地平線が丸く見えるほどの高さになっていました。そんなある日、王様は何十着も重ね着した重いマントを引きずりながら屋上にあがり、こう叫びました。

「見渡す限りすべてが俺様のものだぞー」

するとそのとき、一陣の風がひゅーと吹きました。何十着も着ていた王様は思わずよろけ、屋上から落ちてしまいます。幸運にも落ちた場所が旗竿の上でした。屋上からすぐ下の階の旗竿に引っかかり、一番上に着た宝石がたくさんついたド派手で品のないマントが脱がされ、旗竿に残されました。その下の階でも、次のマントが引っかかり、その下でもマントが引っかかり、次々とそれが繰り返されていきました。

王様は地面まで落ちました。しかし、旗竿のクッションのおかげで死ぬことはありませんでした。

警護の兵士たちは見たこともない太っちょの老人が倒れていることに見て見ぬ振りをしました。みすぼらしいシャツ一枚の老人を王様だとは誰も思いませんし、多くの兵士は王様の顔を直接見たこともありませんでした。

石畳の上で起き上がることもできない国王は、うめくように「助けてくれ」といいますが、誰も助けてくれません。

そこに偶然王女が通りかかりました。

「お父様、どうしたの?」

王女が抱き起こすと王様は「屋上から落ちてしまった。ところが誰も助けてはくれない」といいました。

王女が細長いお城を見上げると、各階の旗竿には王様が着ていたマントたちが一枚ずつかかり、風にたなびいていました。

「お父様、もうこんなことはやめましょう。私はみんなと一緒に楽しそうに食事していた頃のお父様の方が好きよ」

王女の目はどんなダイヤモンドより美しく輝いていました。

王様は「そうだな」と一言つぶやきました。

王様は翌日、占領した土地や金品を各国の王様に返し、軍隊を解散し、もとの生活に戻しました。だけどお城はそのままにしておきました。風が吹くと揺れ、旗竿がひゅーひゅーなるお城ですが、自分の愚かしさを思い出すための戒めとして。

この絵本はいったい誰が書いたものなのか、いまではもうわからないのですが、絵本に描かれていた絵の何枚かはいまでもはっきり覚えています。

なぜ僕は小学一年か二年でこんな話に泣いたのでしょう? いまでも理由はわかりません。小学二年でこんな話がきちんと理解できたのでしょうか? きっとできたのでしょう。そしてそれは、西郷隆盛が好きだった父の影響があるのだろうと思います。だけど、父はそういうような話を直接僕にしてくれた覚えはありません。親子というのは、そういうつながりのあるものなのだろうと思うのと同時に、親子以外でも、このような話に共感する人たちが世界にはたくさんいて、だからこそ、このような絵本も存在したのだろうとも思います。

ムヒカ元大統領のインタビューを聞きながら、『小さな王様の大きな夢』をすぐに思い出しました。根っこがどこかでつながっているような気がしました。その根っこが、どのようにつながっていたのか、具体的に昨晩のインタビューでわかったような気がしました。

ムヒカ氏が幼い頃、どうやってお金を稼げばいいのか悩んでいたときに、近所の日本人家族が花の栽培をしていて、その方法を習ったそうです。そのとき、小さな土地にどれだけ効率よく花を育てるかを習ったそうですが、それと同時に、きっと花を育てることの深い意味を教わったのではないでしょうか? この部分は僕の想像でしかありませんが、そう思えて仕方ないのです。

エーリッヒ・フロムの『生きるということ』に、こんな話が登場します。

持つ存在様式とある存在様式との間の違いを理解するための序論として、故鈴木大拙が「禅に関する講義」において言及した、類似の内容を持つ二つの詩を実例として用いたい。一つは日本の詩人芭蕉(1644-1694)の俳句であり、もう一つの詩は十九世紀のイギリスの詩人テニソンの作である。それぞれの詩人が類似の体験、すなわち散歩中に見た花に対して起こした反作用を記述している。テニソンの詩はこうである。

 ひび割れた壁に咲く花よ
 私はお前を割れ目から摘み取る
 私はお前をこのように、根ごと手に取る
 小さな花よ —  もしも私に理解できたら
 お前が何であるのか、根ばかりでなく、お前のすべてを —
 その時私は神が何か、人間が何かを知るだろう

英語に翻訳すると芭蕉の俳句はだいたい次のようになる。

 眼をこらして見ると
 なずなの咲いているのが見える
 垣根のそばに
 (訳注
  よく見れば
  なずな花咲く
  垣根かな)

この違いは顕著である。テニソンは花に対する反作用として、それを持つことを望んでいる。彼は花を「根ごと」「摘み取る」。そして最後に、神と人間の本性への洞察を得るために花がおそらく果たすであろう機能について、知的な思索にふけるのだが、花自体は彼の花への関心の結果として、生命を奪われる。私たちがこの詩において見るテニソンは、生きものをばらばらにして真実を求める西洋の科学者にたとえられるだろう。

芭蕉の花への反応はまったく異なっている。彼は花を摘むことを望まない。それに手を触れさえしない。彼がすることはただ、それを「見る」ために「目をこらす」ことだけである。鈴木はこのように記述している。

おそらく芭蕉はいなか道を歩いていて、垣根のそばに何かあまり人の気付かないものを見たのである。彼はそこでもっと近づいてそれをよく見た。そしてそれがどちらかと言えばつまらない、ふつうは通行人にも無視される野の草にほかならないことを知った。これがこの句の記述しているありのままの事実であって、どこにもとくに詩的な感情は表現されていないが、おそらく日本語で「かな」という最後の二音節だけは別である。この助詞はしばしば名詞や形容詞や副詞に続けられるが、或る種の感嘆や賞讃や悲しみや喜びの感情を意味し、時には英語に翻訳する際に感嘆符とするのがきわめてふさわしい。この俳句においては句全体がこの符号で終わっているのである。

テニソンはどうやら、人びとや自然を理解するために花を所有する必要があるようだ。そして彼が花を持つことによって花は破壊されてしまう。芭蕉が望むのは見ることである。それもただ眺めるだけでなく、それと一体化すること、それと自分自身を〈一にする〉こと — そして花を生かすこと — である。テニソンと芭蕉の違いは、ゲーテの次の詩によって十全に説明される。

    見つけた花
 ただ一人
 さまよった森の中
 何を探そう
 あてもなしに

 木陰に見つけた
 一輪の花
 きらきらと星のよう
 また美しいひとみのよう

 摘もうとしたその手に
 花はやさしく言った
 どうして私を折るのです
 すぐにしぼんでしまうのに

 私はそれを堀取った
 根をみんなつけたまま
 そしてそれを持って帰った
 きれいな家の庭の中へ

 もう一度植えた
 静かなところ
 今はすっかり大きくなって
 花咲くようになっている

ゲーテは何の目的もなく歩いて、あざやかな小さな花に惹かれる。彼はそれを摘もうという、テニソンと同じ衝動を持ったことを伝えている。しかしテニソンとは違って、ゲーテはこれが花を殺すことを意味することに気付いている。ゲーテにとって花は十分に生きていて、口をきき、彼に警告する。そして彼はテニソンとも芭蕉とも違った方法でこの問題を解決する。彼はその花を「根をみんなつけたまま」掘り取ってまた植えるので、その生命は破壊されない。ゲーテは言わばテニソンと芭蕉の間にいる。彼にとっては、決定的瞬間において生命の力が単なる私的好奇心よりも強いのである。この美しい詩においてゲーテが彼の自然研究の概念の核心を表明していることは、言うまでもない。

テニソンの花との関係は持つ様式(つなぶち注 haveの文化)、あるいは所有 — 物質の所有ではなく知識の所有 — の様式においてである。芭蕉およびゲーテと、それぞれが見る花との関係はある様式(つなぶち注 beの文化)においてである。あるということによって私が言及しているのは、人が何も持つことなく、何かを持とうと渇望することもなく、喜びにあふれ、自分の能力を生産的に使用し、世界と一になる存在様式である。

自然の大いなる愛好者であったゲーテは、人間の解体と機械化に対して戦った卓越した闘士の一人であって、多くの問題において持つことは対立するものとしてのあることを表現している。彼の『ファウスト』は、あることと持つこと(後者はメフィストフェレスに代表される)との間の葛藤の劇的な記述であるが、次の短い詩において、彼はあることの特質を極度の単純さで表現している。

   財産
 私は知っている、何ものも私のものではなく
 ただ私の魂から妨げるものなく流れ出る
 思想のみがあることを
 そして愛に満ちた運命が
 心底から私に楽しませてくれる
 すべてのありがたい瞬間のみがあることを

あることと持つこととの違いは、本質的に東洋と西洋の違いであるわけではない。その違いはむしろ人を中心とした社会と、物を中心とした社会との間にある。持つ方向づけは西洋の産業社会の特徴であり、そこにおいては金や名声や力への貪欲が人生の支配的な主題となってしまった。それほど疎外されていない社会 — たとえば中世社会、ズニ・インディアン、アフリカの部族社会のように近代の〈進歩〉の思想に影響されていない社会 — には、それぞれの芭蕉がいる。おそらく産業化がもう二、三世代進めば、日本人も彼らのテニソンを持つことになるだろう。西洋人には(ユングが考えたように)禅のような東洋的体系が十分理解できないというのではなく、現代の〈人間〉には、財産と貪欲とを中心としていない社会の精神が理解できないのである。実際、マイスター・エックハルトの教え(芭蕉や禅と同じように理解しにくい)と仏陀の教えとは、同じ言語の二つの方言にすぎない。

『生きるということ』 エーリッヒ・フロム著 佐野哲郎訳 紀伊國屋書店刊より

Mr.サンデーのインタビューのなかでムヒカ氏は「喜びを与えてくれるのは命です」と語っていました。だから命に囲まれた生活をするのであって、貧しいかどうかは関係ないのですと。

きっと誰かが昨晩のMr.サンデーのインタビュー映像をどこかにアップしてくれるでしょう。そしたらそれをもう一度見てみたい。きっとアップされた途端に著作権の関係で消去されてしまうのでしょうけど。

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