笹久保伸個展『秩父前衛派』

笹久保伸さんの個展、『秩父前衛派』のオープニングレセプションに参加した。

笹久保さんは、以前秩父で講演させていただいたとき、一緒に講演者としていらしていて知り合った。そこで話を聞かなかったら、たぶん笹久保さんの作品の意味がわからなかっただろう。そもそもアートは、その背景に流れる物語を知らなくても楽しめるものだが、笹久保さんの作品はその背景に何があるのかを知ることで、作品の意味や姿が変わってくる。まずはこのページにある写真や映像をご覧になってから、文章を読んでみて下さい。読む前とあととで、あなたにとって何が変わるでしょう?

このようにして並べられている白い粉末は、日本人なら誰でも塩だと知っている。しかし、笹久保さんの作品は、、、

笹久保さんは幼い頃にお父様の仕事の関係でペルーに行く。そこで育ち日本に帰る。日本は秩父で育った。しばらくして再びペルーに行き、ペルーの人たちのアイデンティティの在り方に興味を持つ。アンデス音楽をやりながら、自分のアイデンティティの根拠を求めるようになる。アイデンティティはもちろん日本・秩父だが、それを考えれば考えるほど、矛盾のようなものが目につくようになる。

毎年冬に秩父では、秩父夜祭をおこなう。その崇拝の先は武甲山という山だ。ところがその山は石灰岩が採れるため、セメントの原料として採掘され、年ごとにその姿を変化させていった。掘られることで形を変えていったのだ。ところがそこは崇拝の対象である。拝んでいる先がどんどん経済のために削り取られているのだ。そのことに何も感じず、崇拝し続ける秩父の人たち。笹久保さんはそこに矛盾や悲しみや怒りや、ときには笑いなど、一言では表せない感情を体験する。そのなんとも言えない感情の表現が「秩父前衛派」のエネルギーとなっている。

たとえば、ホピ族の人たちが自分たちの聖地を傷つけられたら、彼等は何を始めるだろう? 日本では、それがほとんど何も起きない。それがいいことなのか、悪いことなのかも曖昧になる。秩父の信仰の対象が、たとえ削り取られていっても、誰も何も言わない。いったいなぜか? 笹久保さんはそういう環境のなかで育ってきたことを自覚する。それが自分にとってどういうことなのかがうまく言えない。そこで文字以外の何ものかにする。

ピラミッドのようにとんがり山になった武甲山。その感情の矛先は、これを削り取った会社だけに向かうものではない。それを容認していた自分、親、そして秩父の人たち、さらにはそれを許している日本の人たちに向かっていく。果たしてその感情は怒りか、悲しみか、笑いか、やるせなさか、あきらめか、それとももっとほかのものなのか? あなたの場合は何か? それを確かめる機会かもしれません。

平和憲法を持つ日本が、なぜ海外派兵するのか? 核兵器の世界で唯一の被害国がなぜ核兵器廃絶に消極的なのか? なぜ沖縄にばかり米軍基地が集中するのか? なぜ熊本地震が大震災級と認められないのか? 日本人が見て見ぬ振りをしているのは、武甲山だけではありません。それらをしっかりと見つめていきましょう。

 

笹久保伸個展『秩父前衛派』

【会期】2016年4月20日(水)~26日(火) 13:00~20:00

【会場】素人の乱12号店「ナオナカムラ」(東京都杉並区高円寺駅北3-8-12 フデノビル2F)

【休廊】無休

【開廊】13:00~20:00

【料金】無料

【関連リンク】ナオナカムラ公式サイト

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