宇多津の未来は幸せか? その1

9月20日(土)と21日(日)の二日間、宇多津町保健センターで「宇多津町の未来は幸せ? それとも不安?」と題されたシンポジウムがおこなわれた。一日目は講話者としてマーケティングコンサルタントの西川りゅうじんさん、二日目は医師の小林弘幸さんが呼ばれていた。モデレーターは尾中謙文さん。2日目の内容は、後日アップする。

 

メインパーソナリティ
西川りゅうじん氏
マーケティングコンサルタント。ウォークマン、ジュリアナ東京、六本木ヒルズ、福岡ドーム、京都駅ビル、愛地球博のモリゾーとキッコロ、奈良のせんとくん、全国的な焼酎ブームなどの仕掛け人として知られている。経産省の地域の魅力セッション、信用金庫協会の商店街コンテストの審査委員長などを歴任している。現在は厚生労働省の健康寿命をのばそう運動のスーパーバイザーをしている。神戸出身で讃岐が大好き。

 

モデレーター
尾中謙文氏
認知科学者、内閣府や総務省、ブラジル大統領、フランス大統領、シンガポール政府の戦略プランナーとして活躍。アートディレクター、作曲家、キャスターなどもやる。北京オリンピックの招致活動など、国内外で高い評価を受けている。コロンビア大学客員教授としても活躍している。

 

尾中 みなさん、こんにちは。今日は西川りゅうじんさんをお迎えしてシンポジウムを開きます。

 

西川 知り合って20年くらいですかね。今日もお招きいただいたありがとうございます。

 

尾中 西川りゅうじんさんはもうメディアなどによく出ていらっしゃるのでみなさんよく御存知だと思いますが、六本木ヒルズとか難しいブランディングをなさってますね。

 

西川 はい。まず自己紹介をさせていただきますね。マーケティングコンサルタントをしている西川りゅうじんと申します。よろしくお願いいたします。高いところから失礼いたします。西川という苗字でやっていますので、ときどき西川きよし師匠はどうしてますかと質問され、よくその一門の人と間違われます。スタッフから番組のあとで振込先は吉本興業でいいですかといわれたこともありました。
 りゅうじんというのは本名で、法隆寺の隆、西郷隆盛の隆に、尋常小学校の尋、尋問の尋と書きます。家がもともと神主でした。それで隆尋と名付けられましたが、いまの人には読めないと名前をひらがなにしています。さきほど仕事に関して紹介していただきましたけど、仕事は、天の時、地の理、人の和がないとだめですね。なんといっても人のご縁ですね。こういうご縁が世の中を動かしていく。これは時代が変わっても変わらないのかなと思います。今日はお呼びいただき、ありがとうございます。

 

尾中 宇多津町は昔からよく御存知なんですよね?

 

西川 よくというほどではないのですが、神戸にいたので両親の旅行先だったり、父が経営していた会社の取引先が丸亀にあったりもしましたのでちょくちょく来ました。宇多津町に来たときの思い出は、塩田がなくなったのが1972年ですから、おそらく小学校くらいのときだと思います。とにかく塩田のイメージですね。当時は国道11号というのがありました。いま33号ですね。いまバイパスが11号に移りましたけど、おわかりになる方にしかわからないと思いますけど、その33号沿いを車で走ったときの景色が印象的でしたね。とにかく塩田があって、白いイメージがありますね。塩田でできた塩が道にも飛んできて、このあたりを走ると車が真っ白になってしまう。そういう景色を見た一番最後なんですかね。
 あとこのあたりでは太鼓台の祭があったんですね。香川県の西から愛媛県の東のほうにいたる祭で、もとはきっと雨乞いの祭ですよね。宇夫階(うぶしな)神社で、さあしましょうと。勇壮な祭ですよね。それを覚えていますね。獅子舞も有名でしたね。

 

江島杉山神社

不思議なオジイさんに聞いた杉山真伝流の開祖、杉山和一が祀られている江島杉山神社に行き、お参りをした。7月25日だった。

なぜここに来たのかという理由は特にない。気になったからとしかいいようがない。不思議なオジイさんの話はこちら。

不思議なオジイさん その2

7月18日、目覚めの頃に夢を見た。
「知りようのないことの証拠をいくつか集めろ」と言われる。
誰に言われたのかよくわからない。
「そんなの無理」と思うのだが、しばらくしてひとつめの謎の証拠がひゅうっとやってくる。
ひえーっと思って目を覚ました。
「知りようのないことの証拠を集めるなんてそんな簡単なわけないじゃん」と思っている自分が「おかしいのかも」と思い、何か長い間謎だったことが簡単に謎でなくなったりしないかなぁと思う。
このところあちこちで「ホツマツタエ」に出会うので、『言霊 ほつま』という本をひさしぶりに開いてみた。
つらつらと読んでいくと、天道宮という神社がかつてあり、現在は消失してわからなくなっているという記述があった。なぜか知らないけど、これが怪しいなと思い、ネットで検索。
天道宮は再建されていた。
http://everkyoto.web.fc2.com/report1178.html
天道宮の何に僕はひっかかったんだろうと調べて行くと、その神社内に明治天皇の皇后、昭憲皇太后の御胞衣埋納所の碑があることを知る。
びっくり!
毎年バリ島に行っているが、そこの風習の一つに、赤ちゃんが生まれたとき、その後産、つまり胎盤を家の隅に埋めるというのがあるのだ。同じような風習が日本にもあったんですね。
あともうひとつ気になったのは、この神社に市杵島姫命が祀られていること。江島神社の祭神がここにも出てきた。
で、これが知りようのないことの証拠の一つだとしたら、あとは何を見つけていくんだろう?

 

この日の昼過ぎ、約束通りオジイさんに会った。
資料として『言霊 ホツマ』鳥居礼著を持っていった。それを見るとオジイさんは、「そこには○○○○のペンネームで僕のことが載っているはず」というので、まずは「はじめに」の部分を見ると、その終わりに、確かに○○○○という名が記されていた。
これですか?と名前を指さすと、「そう、それそれ」と言って嬉しそうにした。

 

なぜホツマツタエに出会ったのかを聞いた。
権田直助の和法の本『神遺方』に「ま、ほ、つ」という言葉が基本であるというふうに書かれていていたそうだ。そのときにはその意味がわからなかったが、どこかの古本屋さんに、松本善之助先生の「ホツマ入門」という本を見つけ、これだと思い読む。後日、松本先生を訪ねる。いまのような次第でホツマツタヱに出会ったと伝えたら、先生が「私も若い頃、権田直助先生の神遺方に出会ったことがある。よく来られた」と言われたそうだ。
それ以来、松本先生が和光市でおこなっていたホツマツタヱの研究会に通うようになる。ここに小笠原長清さんと鳥居礼さんが参加していた。この勉強会で富士山本宮浅間大社でおこなわれた言霊の祭典のことを知り参加する。そこで吾郷清彦先生に出会い、『春日言霊学』という著書をいただいた。そして須田麻紗子先生を紹介してもらう。須田麻紗子先生は『完訳 超古代史 秀真伝』という本を出版している。