不思議なオジイさん その1

7月9日、夕刊フジのインタビューを受けることになり、近所の喫茶店で待ち合わせた。

約束の時間の10分ほど前に行き、喫茶店の中に入ると、こちらをじっと見つめている年配の方がいた。誰かを待って何かを期待している人は目の輝きが違う。その人は、あたかも誰かを待っているかのように、何かを期待している目をしていた。そこで「○○さんですか?」と、インタビューをしてくれる人の名前を告げてみた。すると「いえ、違います」という。しかも、「ごめんなさいねぇ、僕じゃなくて」と屈託なく言う。「あ、それは失礼しました」と謝ると、「いえいえ、僕は話しかけられて嬉しいですから」。

とても怪しい。

話しかけられると不快感をあらわにする人が多い。ところがこの人は、完全に開ききっている。僕という他人にウェルカムな状態なのだ。

喫茶店は少し混んでいて、その人の隣にしかあいたテーブルがなかったので、そこに座る。するとそのオジイさんは話しかけてきた。

「江島神社の祭神はたぎりひめ、いちきしまひめ、たぎつひめなんですよね」

僕は固まってしまった。なんて返事すべきか困る。一呼吸置いてこう答えた。

「宗像三女神なんですね」

こう答えたのには訳がある。この喫茶店に来る前に、ネットで江島神社について調べていたのだ。知り合いのスピリチュアルマスターが江島神社に行って、龍神を活性化してきたという話を聞いたので、江島神社について調べていた。そこの龍宮例祭は僕の誕生日だったので、その日には行ってみようかなと思っていた。それで江島神社の祭神もたまたま覚えていたのだ。

しかし、いきなりこんな話をするのはなぜかと聞いたら、「僕は杉山真伝流という鍼灸をするんだよ」という。こう聞いてもつながりがわからないからもっと話を聞いてみた。

杉山真伝流の開祖、杉山和一(1610年〜1694年)は江島神社にゆかりのひとなのだそうだ。

帰ってから杉山和一をネットで調べてみた。和一は幼い頃に流行病で失明していたので、17,18の頃に鍼師の山瀬琢一に弟子入りするも、物覚えが悪いと破門される。その後、江ノ島に籠もり、21日間の断食をして鍼の技術向上を祈願したそうだ。満願の日の帰り道、和一は石に躓き倒れ、気を失ってしまう。そのとき夢に弁財天が現れ、手を合わせて拝もうとしたところ、チクチクと身体を刺された感じがした。目を覚ますと手に取っていたのは松葉の入った竹の筒。(資料によっては松葉が枯葉にくるまっていたというものもある) これをヒントに現在の鍼灸技法の基本である管鍼術(くだはりじゅつ)を考案したという。このとき躓いた石は福石と呼ばれ、江ノ島にいまもある。

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都議のヤジで知ったこと

都議会議員のヤジの件があちこちで話題になっていますね。先日、その話をきっかけにある女性からこんな話を聞きました。

彼女のことを仮にAさんと呼びましょう。Aさんはある有名な大手会社に勤務しています。そこでとても悔しい思いをしているとのこと。どんな悔しい思いをしているのか。

「産休を取った人の仕事が全部わたしのところにやってくる」

そこで上司に文句を言うと、「それはマタハラだよ」と言って取り合ってもらえない。

どういうことかわかりますか?

「マタハラ」は「マタニティ・ハラスメント」。たとえば産休を取ろうとする人に「この忙しいのに休みを取る気か」などと言ってしまうことを指します。これは明らかに問題です。そんなことを言われてしまうと産休が取れなくなります。会社によってはひどいマタハラで、妊娠するとやめなければならないところもあるそうです。だから「マタハラ」はいけないことだとされています。Aさんが悔しいのは、「マタハラ」とは関係ないことを主張しているのに、「マタハラ」にされてしまうことです。

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「おとなのかがく」を見た

映画「おとなのかがく」を見た。感想を書こうと思っていたのだが、なぜか書けない。面白かったのである。しかし感心した点は永岡昌光の技術でもなく、技術流出の事実でもなく、いったい何なんだろう?と思っていた。もちろん永岡昌光の技術に驚いたし、技術流出に心を痛めた。だけど僕のツボはそこではなかった。でも、どこがツボなのかはっきりわからなかった。何かが心に響いたのだが、何が響いたのかわからない。はて?

監督の忠地裕子さんと出会ったのは、小さなバーだった。その片隅で忠地さんは酒を飲みながら不機嫌でいた。美大は出たが有名なアーティストになるわけでもなく、好き勝手に生きているようだったが、満たされてはいなかった。何か作品を作りたいと思っていたようだが、作ったとして何になろうか? 余程インパクトのある作品を作らない限り、それは消費されるだけだ。無名のライターである僕にとってその痛さは自分の痛さでもあった。その彼女がドキュメンタリー映画の監督としてデビューした。

切々と撮影された映像は、冒頭のテオ・ヤンセンのストランド・ビーストのシーン以外はとても地味なモノばかりだ。細かい作業をする手先。狭い部屋での作業。台湾や中国の工場。それを見ているときは侘びしいとか寂しいとか思わなかった。だけど心のどこかにその種が宿った。その種はホコリのように小さくて、心の表面をようく撫でないと見つけられなかった。ようく撫でて見つけたざらざらは、しばらくなんのざらざらなのかわからなかった。そして、そこにあるのはささやかだけど、豊かさだと知った。

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