クリオロ種のカカオ

中南米原産の野菜がたくさんあることはご存じだと思うけど、それが世界で流通している野菜の60%に達すると聞いて、僕は驚いた。だとしたら、アメリカ大陸が発見される以前、ヨーロッパや日本では何が食べられていたんだろう?

今回メキシコに行って、へえっと思うことがたくさんあった。その1つが中南米原産のカカオについて。カカオはもともとマヤの人たちがチョコレートドリンクにして飲んでいたそうだ。ホテルでチョコレートドリンクをよく見かけた。それは日本のココアより少し塩が多く、シナモンの香りが効いていた。

チチェン・イツァーで面白いショップを見つけた。マヤランドホテルアンドリゾートの一角にあった「Choco-Story Chichen」というお店。Chocolate museum shopと書かれていたが、なかにはチョコレートと、カカオを使った化粧品が売られていた。チョコの石鹸を買い、チョコレートを買おうかどうか迷った。何しろ外は暑い。普通にチョコを持ちだしたら溶けるに決まっている。ウームと悩んでいると店員がカカオ豆を持ってきて食べろという。チョコレート色したカカオ豆。カカオ豆を食べるのははじめてだった。恐る恐る食べると「苦い」。しかもちょっと酸っぱい。それでいてチョコの香りが一杯。この豆を砕くのにこれを使うと、前の写真にあるwhiskを見せてくれた。

チョコとカカオ豆を買うかどうか迷ったが、やめておいた。チョコは溶けるだろうし、カカオ豆はこの味ではお土産にしても喜ばれないだろうと思ったのだ。なにしろ「苦くて酸っぱい」。ところがそこを離れてカンクン行きのバスに乗ると、無性にあのカカオ豆をもう一度食べたいと思ってしまった。「苦くて酸っぱいから喜ばれないだろう」と思ったのに。

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なぜモレスキンを使い始めたのか?

3つ前に書いた記事、『モレスキンのような手帳を使い続けること』がモレスキンのファンサイト、モレスキナリーに掲載されました。こちらです。とてもうれしかったので思わず『日刊 気持ちいいもの』にも書いてしまいました。

そもそもなんでモレスキンを使い始めたのかを思い出すと、大学生の頃がきっかけでした。もう30年ほど前になりますが、中国旅行に行きました。友達と四人で行ったのですが、そのときにずっと毎日の記録をとり続けていたのです。どこのレストランに入ったとか、どこでどんな事件が起きたとか。あとで読み返すととても面白かったのです。それをたまたま友達の知り合いが見て、その人が発行しているミニコミに原稿を書いてくれと頼まれたんですね。それが僕のライターデビューでした。大学三年の頃です。それ以来、旅に出るたびに記録を残し続けました。その頃はハンディなノートで、モレスキンというものは知らなかったのですが、旅に出ると書き物をする癖がつきました。

就職するとシステム手帳を使っていました。スケジュールのページ以外にも横罫のページを仕込み、そこに時々メモを書いてました。それがのちのち企画に役立ったりするのです。驚いたのは、先輩に頼まれてレコード会社のオーディションのようなものを聞きに行きました。先輩は別件の仕事があって行けなかったので、そこに書いたメモを元に報告書を作ったら、それがレコード会社に手渡されて、「一番素敵」と書いた人がデビューすることになったりもしました。

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鈴村真貴子ピアノリサイタル〜フランシス・プーランク没後50年によせて

鈴村真貴子さんのピアノリサイタルを銀座王子ホールで聞いてきた。プーランクの曲ばかりを演奏した。プーランクという作曲家の名前を聞いたことはあったが、実際に曲を聴くのはこれがはじめてだった。2013年1月30日は、ちょうどプーランクの没後50年目の命日にあたっていた。プーランクの没年月日は1963年1月30日。鈴村さんにとってはその日でなければならないリサイタルだったのだ。東京芸術大学大学院の博士号を「F・プーランクのピアノ作品演奏法」の論文とその演奏で取得している。ちなみに東京芸術大学大学院の修士課程では、ピアノ専攻主席修了者に与えられるクロイツァー賞を受賞している。

一曲目に弾いた『3つの常動曲』でその魅力に引き込まれた。凡庸なメロディーで始まるかと思いきや、そのメロディーが崩れていく。崩れては戻り、また崩れては戻り。その安定した不安定さが魅力だ。鈴村さんの演奏も微妙に揺れる。強弱が揺れ、テンポが揺れ、左右の均衡が揺れる。

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