モレスキンのような手帳を使い続けること

ここ数年モレスキンを使い続けている。ときどきモレスキンのような手帳に浮気することもあるが、概ねモレスキンを使い続けている。使い続けてわかってきたことがある。それは書くことの大切さだ。いまさらと思うかもしれないが、最近実感するようになってきた。

以前はとにかく大切そうなメモをモレスキンに取っていた。しかし、最近は自分にとって大切そうな資料もそこに書くことにしている。たくさんの資料を読むとき、固有名詞や数字など、大切だけど忘れやすいものがある。それらをそこにまとめておくのだ。一度書くと、書くために考えるので忘れにくくなる。さらにもし忘れても手帳を見直せば概要がすぐに思い出せる。これはなかなかいいことだ。

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心の内部被曝について

こちらに 「心の内部被曝」という概念について少し触れました。
http://www.tsunabuchi.com/waterinspiration/p2620
書いてから一年以上経ったのですが、この「心の内部被曝」について少し丁寧に書きます。

普通内部被曝というと、放射性物質を体内に取り込み、それによって遺伝子損傷を受けてしまうことを言います。結果として癌となるわけですが、これと似たようなことが心にも起きるなと考えたのです。

現在の産業界(経済三団体、つまり日本経団連、経済同友会、日本商工会議所)は原発ゼロには反対だと明言しています。この影響がどう現れるかというと、まずその経済三団体に属している会社の社員は「原発ゼロを支持」できない雰囲気が作られます。しかし、実際にはそこで働いている人やその家族にも明確に反対だと考えている人がいるでしょう。そのような人たちはまわりの人(その会社に勤めている人たち)が「原発維持が必要」というので、心のどこかで「反対なんだけどなぁ」と思いつつも、そのことが言えなくなります。この些細な思いが心の内部被曝を生むのです。

本当は反対なのに反対できない。なぜなら「会社でのけ者にされたくないから」「出世に差し障るから」「臆病者と思われたくないから」などの理由があるでしょう。「原発ゼロにしたい」と思っているのにそのことが言えず、そういうひとは一生懸命自分を納得させるためにまわりに「原発はあるべきだよね」と言い回ります。その様ははっきり言ってかわいそうです。産業界のトップはたくさんのお金を授受する仕組みとして原発が必要なのです。もちろんたくさんのお金を回さないと、経営している会社の社員を養えないと思っているのですから、必死になるのは当然でしょう。しかし、短期間で考えればそれは大切な考えかもしれませんが、長期で考えるとまったくいいことではありません。いつ起こるかわからない原発事故の恐怖を無視し続けなければならないのです。その結果、意欲や自発的創造性というものが削がれていくでしょう。もっと言えば、エーリッヒ・フロムが唱えた「心の能動性」が失われるでしょう。このことを僕は「心の内部被曝」と言いました。
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伊勢神宮の神嘗祭

10月15日、16日の神嘗祭に行ってきました。

2012年4月26日に黒田清子様が伊勢神宮の臨時祭主となり、はじめての三節祭である6月の月次祭には参進なさりませんでしたが、今回おそらくはじめて参進なさる姿がお見受けできました。上の写真は15日の午後5時頃、皇大神宮に向かうご様子。そこで御卜をおこないました。

一年に二度の月次祭と神嘗祭をまとめて三節祭といいますが、その3つのお祭りでは天皇からの奉幣があり、特別な祭となっています。三節祭のうち神嘗祭は新穀を献上するので、特に神嘗祭と呼びます。月次祭の詳細はこちらをご覧下さい。

16日には外宮で、17日には内宮で奉幣の儀がありましたが、スケジュールの都合で残念ながらそれらを見ることはできませでした。

だけど16日のお昼頃、五十鈴川でお初穂の川曳きを見ることができました。

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