サスティナブルな21世紀の”まつり”とは? 概要

2015年12月3日、秩父夜祭の最中に開催された一般社団法人「まつりごと」の主催による『秩父夜祭フォーラム』にて講演をさせていただきました。そのときの概要です。

つなぶちようじの自己紹介を簡単にする。しかし、それだけでは説明しきれないという話。自分がいったい誰か?というのは、短い時間では説明しきれない。同様に「神とは何か?」や、「祭とは何か?」や、「神様を信じるとは?」など、なかなか一言では答えられない。

つなぶちはほぼ毎年のようにバリ島のニュピという祭に参加している。なぜそんな祭に参加するようになったのかというと、大学生の頃、ガムランのCDを聞いて、鳥肌がたったから。当時のつなぶちは「鳥肌が立つ=寒い・気持ち悪い」としか思えなかったため、ガムランを「気持ち悪い音楽」としか認識できなかった。

ところが時が経つに従い「鳥肌が立つ=寒い・気持ち悪い」以外の解釈もあるのではないかと思うようになった。それが決定的になったのは、2000年頃、作家田口ランディさんとヴォイスヒーラーの渡邊満喜子さんとツアーを仕立てて屋久島に行ったことがきっかけになった。山奥にある縄文杉を見に行こうとしていたが、その前日、田口さんの知り合いが縄文杉に行く途中に建っている廃校になった小学校の校歌の楽譜を持って来た。その校歌を廃校となった小学校前で歌って欲しいというのだ。そこでホテルのピアノを借りて練習した。縄文杉に行く当日、途中までバスで行ったのだが、そのバスの中で校歌を練習した。はじめは普通に歌っていたのだが、あるとき、ある場所から多くの人がなぜか涙が止まらなくなった。僕も特に悲しい訳でもないのになぜか泣いた。そのとき鳥肌が立っていた。いったいその感覚は何か? 後日、渡邊さんにそのことを話したら「つなぶちさんは神秘的なものを感じるのに鳥肌で感じるのではないですか?」と言われ、そうなのか?と思うようになった。すると実際にそうかもしれないと思うようなことにときどき出会うようになった。

ニュピという祭は毎年3月か4月の新月の日におこなわれる。その日はバリ島中の人たちが「外出しない、食事しない、火を使わない」という、日本で言えば物忌みとか、籠りという日だった。

ニュピの前日にはオゴオゴという祭をおこなう。ねぶた祭のねぶたのような大きな鬼のハリボテを町中で引き回し、土地におりてきた悪鬼を払うという儀式をする。それは節分に似ていた。節分は旧正月にやるものである。ニュピもバリ的に言えば、暦が新しくなる正月のような日におこなうものである。

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くらやみ祭

府中、大國魂神社の「くらやみ祭」を見に行きました。

5/5の午後6時頃に府中駅に着いたのですが、神社の前は人でいっぱいで、なかに入れません。遠くから「ズーン、ズーン」と異様な低い音が聞こえます。

旧甲州街道沿いの大鳥居の前で御輿などが出てくるのを待ちました。しばらくすると大きな太鼓が出てきました。低い音の正体はこの太鼓でした。この太鼓が何基も出てきました。まだ午後六時頃は明るかったのですが、恐らくこれほど照明がなかった昔には、まっくら闇の中をこの太鼓が遠くからやってくると、それだけで人びとは何か畏れのような感情を持ったことでしょう。太鼓の上に乗っている人が、太鼓の叩く面を提灯で一度照らし、提灯を引き上げるとバチを持った男が太鼓を叩くのです。それを何度も繰り返していきます。

祭にとって畏れという感情は大切なものだったと思います。かつては神は畏れるべき存在でした。だからこそそのお告げに従おうとし、人はまとめられていくのでした。多くの人びとに神の力が憑依することで、普通の人ではできないことをしてしまう、それを見るのが祭でした。見たことのない大きな太鼓を神の力で作られ、それを動かす人びとも神の力で集められ、一人や二人の力ではびくともしない大きな太鼓を何十、何百の人が集まることで淀みなく動かしてしまう。それが神の力と思われたのでしょう。つまり、「畏れる」という感情がとても大切なものだったのです。

そのことに僕が気がついたのはバリ島でした。1999年のニュピという祭に僕はウブドにいました。当時のバリ島はまだ照明がいまほどはついていませんでした。夜になると街路灯が街の中心地ではポツリポツリと点きましたが、100Wもない、恐らく30W程度の暗い電球でした。それがほんのいくつかある程度で、街の中心から離れるとほとんど真っ暗闇でした。そんなところを夜に歩くとなると、自分の脚すらはっきり見えないほどの暗黒です。そんななかでニュピの前夜祭オゴオゴがおこなわれていました。

オゴオゴは悪鬼を象った大きな像(高さ3mほどから、大きいものでも8m程度)を街中で引き回し、海に持っていって、燃やしてしまうと言うものです。最近ではもったいないせいか燃やすまではせず、使い終わったオゴオゴを街で飾ってあったりします。そのオゴオゴを真っ暗闇の中、引き回したのです。何十人もの男たちが暗闇の中を重いオゴオゴを引いて駆け回るのですから、そのときの雰囲気はとても恐ろしいものでした。何十人もの力強く踏ん張った足音が、真っ暗闇の中をこちらにやってくるのです。巻き込まれてはひとたまりもありませんから避けようとするのですが、真っ暗闇なのでどう避けたらいいのかもわかりません。そのうちゴワーッとやってきた人の波とオゴオゴの雰囲気と、人びとの動きにもみくちゃにされて、オゴオゴは去っていくのです。まるで本当に神のような偉大な力が吹き荒れてそこを過ぎていったような感じがしたものでした。

ところがそれから9年が経ち、同じウブドでオゴオゴを見ました。そのときには街は照明であふれていました。オゴオゴは完全にショーアップされたものとなりました。まずオゴオゴが登場するとスポットライトが当てられます。そしてDJがそのオゴオゴの説明をするのです。どこの地域の人たちが、どんなコンセプトでそのデザインをしたかが語られます。それはそれで楽しいのですが、かつての神を見るような恐ろしい感じはありません。はっきりすべてが見えるので、楽しくてウキウキして、笑顔になれるイベントでした。しかしそれは神を畏怖する神事とは思えません。

このくらやみ祭も、もし実際に真っ暗闇の中でやったら、もっと神事としての風格を備えるようになるだろうと思いました。

遠くから腹をえぐるような地響きとも思える太鼓の音がやってきて、目の前を通り過ぎていくのです。ゆっくりと提灯が上げ下げされ、そこに太いバチが振り下ろされる。その様を見ただけで気の弱い人は「神様お守り下さい」と思ったでしょう。だから、できるのであれば、このお祭りのときは府中一帯停電させて、祭を中心にすべてが運営されるくらいのことをしてもらえたらなと思います。それが無理でもせめて照明は落として欲しい。安全のためなのか女性のアナウンスが始終「それは危険だからやめてください」と叫んでいましたが、お祭りの興を削ぐものでしかありません。お祭りというものはもともと安全なものではないのです。それを安全に運営しようとすることにこそ、間違いがあるような気がします。

今年おこなわれた諏訪の御柱祭も、岸和田のだんじり祭も、命がけの部分があるからこそ盛り上がるのです。命を粗末にしろと言うつもりはありませんが、命の価値を知るべき祭では、過剰な安全対策はいらないのではないかと思うのです。祭に参加するひとり一人が安全への対策を十分に考え、覚悟して参加する、その姿勢にこそ尊い何かが生まれてくる気がします。

お祭りは太鼓が通ると次に御輿がやってきました。御輿はいくつもの御輿が競うように往来を行き来します。御輿と御輿がぶつかって、一触即発の雰囲気にもなりました。これでこそ、日本の祭です。

こちらのページを見るとわかるように、この祭には大変な準備がなされています。これらをずっとおこない続けている神社関係の皆様には感動せざるを得ません。

大國魂神社並びにその関連団体、府中の街の人びとはきっとこれを実現させるために、一般の人には見えないさまざまな努力を重ねていることと思います。これからも日本人が素晴らしい伝統を忘れることのないよう、この祭を存続していくことを願い、私などが言うべき事ではないとは思いますが、御礼申し上げたいと思います。