異文化のイノベーション〜未来を発見するデザイン

5/10にアカデミーヒルズでグエナエル・ニコラ氏の講演「異文化のイノベーション〜未来を発見するデザイン」を聞いた。とても素晴らしかったので内容をまとめる。ただし、ニコラ氏はかなり日本語をはしょるので、僕がかってに補足している。さらに、録音したわけではなく、メモに頼っている。ご本人が言いたかったことと少し違う部分があるかもしれないが、ご容赦を。

日本はスパイラル

ヨーロッパにいると、日本がどういうところかよくわからない。アメリカやヨーロッパの街なら何枚かの写真を見ればなんとなく雰囲気がわかるけど、東京の写真は何枚見ても全体的なイメージが浮かばなかった。そしてそれがなぜなのかがわからなかった。日本には神社のような場所もあればとてもモダンな場所もある。それらが同じ場所にあるというのが理解できなかった。そして、なぜか一緒にあるのに未来を感じた。その「感じ」とはいったい何なのかを確かめるために1990年はじめて日本に来た。

しばらく滞在してわかってきたのは、日本がヨーロッパと違うのは単にデザインが違うからだけではなく、世界観が違うと言うことだった。

ヨーロッパは革命が好き。一度全部壊してから新しいものを作る。一方日本はスパイラルに新しいものを作っていく。あれかこれかとチョイスするのではなく、以前あったものを土台にして、その上に新しいものを積み重ねる。だから東京にいると過去・現在・未来がすべて見える。

ヨーロッパでルイ王朝の頃の服を着ていたら変な人と思われるが、日本で着物を着ていても違和感を感じない。つまり、文化のレイヤーがスパイラルなのだ。

江戸城のお堀とビル
江戸城のお堀とビル

ヨーロッパにいた頃、坂井直樹氏にあこがれて一緒に仕事がしたいと思っていた。日本に来てはじめて一緒にした仕事は仏壇のデザインだった。この仕事をして時間をデザインすると言うことを学んだ。ヨーロッパでは時間のデザインなど考えもしなかった。

仏壇は現在でも使われている。しかし、たとえばモダンなデザインのマンションに普通の仏壇が置かれると、少し違和感が生まれる。モダンなインテリアの中に仏壇があることを考えて欲しい。多くの家庭ではその違和感を隠すために、モダンな部屋に仏壇があったら、その部屋には他人を招き入れないだろう。そこで、他人が入ってきても違和感が生まれない仏壇を作った。外観はモダンな家具とあまり変わらない、違和感の生まれないデザインにした。しかし、仏壇の扉を開いていくと、そこには仏壇特有の仏教的世界が現れるようにデザインした。

仏壇の写真

日本人は「侘び」「寂び」が好きだが、それに加えて「好き」なことが好きだ。きれいなものが好きだ。(数寄屋造りの数寄と言葉がかけてあるのかもしれない) 日本人が好きなものは一見してシンプルだけど、よく見ると、よく知ると、複雑であることが好き(数寄)だ。特に日本のホスピタリティーは単純に見えるが複雑で、それをただ単純にやってしまうと日本人はそれを好まない。

スイスで「SENSAI」というブランドのSPAを作った。

写真はこちら。

完成していくにしたがって、作っている人たちが言葉を失っていくのがわかった。できてきたものを見て「うーん」とうなり、「いいんじゃない」と感じる。それ以上言いようがない。この状態になったとき、日本的というか、日本人が好む「好き(数寄)」な状態になったと言える。

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日本文化の源流

縄文の思考photo
縄文の思考photo

昨日、アカデミーヒルズで、國學院大學名誉教授小林達雄先生の講演を聞いた。タイトルは「縄文の思考〜日本文化の源流を探る」。

一番のポイントと感じたのは、縄文時代に日本人が農耕を始めなかったことでどんな影響が生まれたか。

火を使って土器を作ったのは縄文人が他の地域より早いのに、農耕はしなかった。他の地域では土器が生まれるのは遅かったのに、農耕を早く始めた。この違いについて小林先生はこんなことをおっしゃっていた。

ヨーロッパや西アジアでは農耕が始まった。それは村から人が出て行き、村のまわりを「のら」とした。一度「のら」が生まれると食料の安定供給のため作物の種類を限り、同じものばかりを優先して育て、どんどん農耕地を増やすことで所有を中心とした文化の発端を作った。

一方縄文は村のまわりを「はら」とした。そこでは農耕をせずに、すでにあるものとの調和を考えた。だから外部の自然との関係を文化の中に形作っていくことになる。それが日本独特の共生の思想になっていく。あまり採りすぎると「はら」が荒れてしまうので採りすぎることはしない。同じものばかり食べるわけにはいかないのでたくさんの食べ物についての知識を蓄積していく。その結果、かなり高度な言語体系を持っていたことが推測される。

縄文土器も突起物や縄で編み込まれたデザインなど、繊細な言語能力がなければ作りようがないので、そこからも言語体系の高度さが推測される。

さらに縄文時代で面白いのは栃木県小山市の寺野東遺跡や秋田県の大湯環状列石などに残される、生活の役には立たないのではないかと思えるようなもの、それはつまり土偶や土でできた鏃(やじり)、などを残していることだという。小林先生は、これを第二の道具と呼んでいた。

第一の道具は食器や農耕具など、栄養を得るために必要な道具。第二の道具は心の働きと結びつく道具だとおっしゃった。

人は何かを目標として努力していくと、必ず壁にぶつかる。人間はその壁を乗り越えるために理屈をこねたり、科学を生み出したりしたが、そのような理屈もうまくいかないとき、どこの地域の人たちも祈ったという。祈ることで何かの壁を越えようとした。縄文人も同じことをしたのだろう。だから、何百年もの間、たくさんの人たちが、今の僕たちから見て理解できないような遺跡や環状列石を作ったのだろうという。

現在僕は「日本/権力構造の謎」という本を読んでいるのだが、そこで紹介されている日本人独特の心性と、小林先生がおっしゃっていた日本人の考え方の基礎となったであろうものとが似ていて興味深かった。縄文人の村の中心には広場があったという。その中心のなさと、政治での責任者不在で事をおこなっていくその在り方とが、どこかでつながっているのではないだろうか?と感じた。

アカデミーヒルズがまとめた小林達雄先生の講演内容はこちら。