忘れられない夢の話

先日なんとも不思議な夢を見た。

アフリカと思える荒涼とした大地に立っていた。草がおおい茂っているわけではない。大地と同じく黄色く枯れかけたような草が少々生えていた。木もあまりない。葉を落としたような枯れかけの木が何本か見える程度。そんな大地に一本の道が通っている。その道は土が踏みしめられただけのもので、舗装はされてない。

道の左側にはたくさんの動植物が集まってきた。植物までもが移動するのだ。見たことのあるようなものもいれば、見たこともない空想の産物としか思えない動植物もいる。それが道の右手をじっと注意深く見ていた。

しばらくすると動植物が注意深く見ていた方向遠くから、何かが迫ってくる。それは空気の層のようなものだった。

それから逃げようとして走ったが無駄だった。空気の層が通り過ぎると、まわりの色彩が濃くなった。動植物がみんな元気になった。枯れかけの草も緑になった。なぜか自分はうれしくなった。

夢はたいてい目が覚めると忘れる。覚えていても半日程度だ。ところがこの夢はなかなか僕の頭から離れない。

キリン

アフリカで印象に残ったものはいろいろあるが、キリンの表情もそのひとつだ。

キリンは歩いて近づくと逃げていくが、車で近づくと逃げなかった。国立公園内では車で移動し、降りてはいけないのでキリンは車には慣れているのだろう。一方、動物孤児院で近づいてきたキリンに歩いて寄っていったら、30mほど距離をおいて離れていく。なんか可笑しかった。

車で近づき、ルーフを開けて見上げるとキリンと見つめ合えた。車だとキリンに触れることができるくらい近づけた。動物と近くで見つめ合うってあまり体験できない。いままで僕が体験したのは犬とイルカと象とキリンくらいだ。あと猫か。

キリンは高い木の上にある葉をムシャムシャと食べながら僕を見下ろした。幸せな一瞬だった。

子象の行進

動物孤児院の子象

ひさしぶりにアフリカの写真を持ち出した。

14年ほど前にケニアの動物孤児院に行った。上の写真はそのときのもの。

子象が可愛いんだ。

この年はまだ鼻で水が飲めないので口を水に持っていく。

鼻の動きも可愛いんだよなぁ。

これらの子象は親の象が密猟されることで孤児となる。孤児となった子象は死ぬしかない。

以前は二歳以下の子象は必ず死んだそうだ。ところがこの動物孤児院が二歳以下の子象も育てるノウハウを確立した。それを教わりに行った。子象のミルクの調合とか、育てるときの注意点とか。その注意点の一つが一番下の写真だ。

子象は母親象のからだからお乳をもらう。母親象がいなくなっても、お乳を飲むときには母親があたかもいるかのような感覚が必要なのだそうだ。だから大きな毛布をかけて母親のぬくもりをそこに感じさせる。毛布の反対側からお乳をあげると安心して飲む。

このときの子象はもう大きくなったんだろうなぁ。

次のログもこのときの思い出を書こうかな。

動物孤児院のサイトはこちら。

お乳を飲む子象だぞう