ザ・ムーン 〜 記憶に照らされた心の震え

「ザ・ムーン(原題 IN THE SHADOW OF THE MOON)」を観た。アポロ計画の宇宙飛行士のインタビューとNASAの映像で構成されたドキュメンタリーだ。とてもいい作品だった。この作品を見て、僕が特に感動したことは二点ある。

アポロ8号は当初地球を周回する予定だった。しかし、ソ連が新型のロケットを開発していることをCIAが察知し、急遽月周回へと予定が変更される。これによってアポロ8号がはじめて月の裏側や、月の地平線から登る地球の写真などを撮影した。アポロ8号が月の周回中にクリスマスになり、世界に向けて中継された映像に、宇宙飛行士が聖書の創世記を読む。このときの音声を聞いて鳥肌が立った。その音声は僕が好きで何度も聞いていた音楽にサンプリングされて使われていたのだ。使われていたのはマイク・オールドフィールドの「The Songs of Distant Earth」。

アーサー・C・クラークの「遙かなる地球の歌」にインスパイアされて作られたこの曲は、出だしの部分で音楽にかぶせて無線で伝えられた「創世記」が聞こえてくる。この部分がとても好きで、かつて友達とCOSMOS+というパーティーをしたときにはテーマ曲にしていた。それがアポロ8号から世界中に流れたものだとは知らなかった。遠距離を飛んだ電波のノイズと、あまりいいスピーカーを通したのではないようなシャリシャリした音質で、すぐに「The Songs of Distant Earth」と同じものだとわかった。もちろん読む間合いも、声も同じ。マイク・オールドフィールドはその曲の出だしにふさわしいと考え、そこにサンプリングしたのだろう。10年ほど前のその曲の思い出と、遙か昔、僕がまだ七歳の頃の出来事がつながり、あの無線の声が僕の人生に共鳴し心が震えた。

もうひとつ感動したのは本編には出て来ないDVDの特典映像だ。

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仏教と科学の共鳴〜竹村真一氏と星野克美氏の対話

10月14日(水)におこなわれた「地球の未来への対話〜仏教と科学の共鳴 プレイベント第二回 地球と環境」を聞いてきた。これは11月1日におこなわれる、ダライ・ラマ法王と四人の科学者たちの対話「地球の未来への対話」のプレイベントだ。今回の対談者は竹村 真一氏と星野 克美氏。おふたりのプロフィールはこのエントリーの最後をご覧下さい。司会は青山プランニグアーツ代表の尾中 謙文氏。このエントリーはすべて会場で取ったメモを利用しているので、細部の言い回しなど再現できてない部分がたくさんあります。

今回の対談では竹村氏がポジティブな視点、星野氏がネガティブな視点を提供し続け、地球全体をどのように見ていくかを問い続けた。結果として地球がどのような状態かを知るための根本的認識がまだ地球上には生まれてないことを理解する。そのたくさんの視点と解釈を総合するためには何が大切なのかを考えるための対話となった。前回の田坂広志氏と清水博氏の対談とのうっすらとした共通点がそこに現れた気がする。

尾中謙文(以降、尾):今日の趣旨は、11月1日の会議に向けて、参加者にモヤモヤを残したい。それが気づきの準備になればいい。

お二人に聞きます。地球とは何だと思いますか?

星野克美(以降、星):地球を三つのキーワードで考えてます。ひとつは「地球惑星」としての地球。宇宙飛行士は宇宙空間から地球を見て青いと言った。今日ではそれがどうなってきているのか。あとでいろいろと話しますが、回復不能なまでに破壊されているというデータがたくさんあります。地球ができて以来、46億年の間に蓄積された資源を使い果たそうとしている。

ふたつめは「地球人類」。67億人がいるといわれているが、それぞれ別の言語を持ち、国民であり市民である。つまり単一ではなくさまざまな人がいる。その人たちにとって「幸福」とか「幸せ」というものがどんなものか、どう考えるべきかを考えていかなければならない。

三つ目は「地球文明」フェルマン、ブレーメルが言ったように(ショシャーナ・フェルマンとフレドリカ・ブレーメルのことか? ショシャーナ・フェルマンは内田樹氏が評価するフェミニスト。フレドリカ・ブレーメルはは1800年代中頃にスウェーデンの男女平等の思想の基礎となった)、地球は次第に均一化しようとしている。様々な思想が重なり均質化し、地球共同文明とも呼べるものを作り出そうとしている。

この三つ、「地球惑星」「地球人類」「地球文明」が混在することで互いに影響を与えつつ常に新しい地球を生み出し続けている。

竹村真一(以降、竹):この時代に生まれて幸せだと思う。

地球が丸いというのはすでに古代ギリシャから考えられていた。エラトステネスは地球の半径を概算した。現在わかっている半径と10%ほどの誤差しかない。10%というと大きいと感じるかもしれないが、エジプトの南北から太陽の斜角を計ることで概算した。幾何学のことをジオメトリーというが、「ジオ」は大地とか、地面、メトリーが計測という意味だから、もとは大地の計測という意味だったものが幾何学になった。なぜ高度な計測が可能だったのかというと、その頃のナイルは毎年のように氾濫し、そのお陰で肥沃な大地となったのだが、毎年土地の区画がわからなくなってしまうので、どうやって正確に計り直すかがとても大切なことだった。それで大地を計測する技術が発達したために地球の半径が計測できるほどになった。

17世紀にはジョルダノ・ブルーノが「地球のような星はたくさんある」と断言していた。

地動説的考えはすでに古代ギリシャにあった。

現代は誰でも地球を見ることができる。擬似的視点ではあるが見られる。あたかも地上から飛び上がったノミが高いところから地面を見るように。

1995年にブリージングアースという映像を作った。それは地球の呼吸を可視化したもの。地球の呼吸とは、つまり地震のこと。阪神大震災を体験して、それにインスパイアされて作った。地球は微震も入れれば一日数万回震えている。地球はダイナミックなのである。ニュートンの宇宙観はとてもスタティック。現在では生成変化していることを知っている。たとえば太古では酸素がなかった。月は今より地球に近く、ちょっとずつ離れつつある。太古では月が近かったので潮汐運動はもっと大きかった。地球も脈動している。だから胎動する地球に都市を作っているという前提に立たないとダメである。変化、脈動、循環する地球。そのようなことを考えていたという点で古代ギリシャの方が現実的だった。改めてその見方を現在の科学も得た。生成変化する地球環境をベースにコモンセンスを作っていきたいと思ったからブリージングアースを作った。

尾:宇宙的な視点は古代の人たちの方があったという訳ですね。2500年前、仏陀が生まれた頃、ほぼその同じ頃に宇宙観を持った人たちが何人か現れました。そのような立場から人間圏を見るとどう見えますか?

竹:人間圏の生成も地球の進化だと思う。よくある人間が地球を破壊しているという見方は居心地が悪い。いつの時代も最も多く生息する生物が環境を変えていく。46億年の地球の歴史で、最初の6億年くらいで生命が誕生する。当時の生命は嫌気性だった。それが20億年ほどで光合成生物へと進化し、廃棄物として酸素を出す。酸素を使わない生物にとってそれは毒だったため、当時の生物たちにとって酸素がたくさんあるというのは大打撃だった。環境汚染だった。しかし、しばらくするとその酸素を使う生物が現れてくる。現在の生物はほとんどどれも細胞に核を持っているが、核を持つようになったのは酸素の毒から遺伝子を守るためだ。そのうちに酸素をエネルギーにする生命が現れた。

いまでこそ地球は緑に覆われている、青い地球などと言いうが、40億年ほど前、大陸はみんな茶色をしていた。42億年頃から緑の大地になっていく。そして酸素が増えてオゾン層ができたために生命が陸に上がれるようになった。このように生命と地球は共進化してきたのだ。

環境破壊を肯定するわけではないが、視点を変えることで見えることが変わる。

象の上にいるノミは、象全体を知りようがなかったが、調べることができるようになったというようなこと。僕たちは地球がバランスを失いつつあることがわかるようになった。いまは根底から壊すことなく共進化するための機会だ。アンバランスな自己組織の中で次の共進化を考えるのです。

尾:カタストロフィーは恐いものではない。より良くなるための機会であるという印象を持ちましたが、悩みもあります。地球環境問題はこれからどうなっていくのでしょう。

星:私は環境の専門家ではありません。ここにいるのは世界から集めてきた情報はこうなっていますと言うことを伝える役です。そのことをまず知っておいてください。

昨年、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)がノーベル平和賞を取りました。IPCCの科学者たちは91年、95年か96年、そして2001年、2007年と報告書を発表しました。(ウィキペディアによれば第一次評価報告書が90年、以降95年、01年、07年となっている) はじめの三つはすでに翻訳されています。それを見るとぞっとします。気候変動による被害のバリエーションや規模があまりにも大きいからです。東京にいてもうすうす気がつきますが、まだ日本に来てないのは大干ばつ、大洪水、大都市での浸水などですが、そのうちに起きるでしょう。その先にどうなるかを知りたい人は映画「デイ・アフター・トゥモロー」を見ればいいです。

やっと最近温暖化はジャーナリズムでも取り上げられるようになりましたが、地球はダイナミックです。都市も第二の自然です。僕たちはまるでタイタニックに乗っているようなものです。あそこではいろんな楽しみがありました。そして階層がありました。それが氷山にぶつかっていくのです。それを誰が知っていたでしょう。宇宙船地球号も同じような運命です。資源はもうすぐ枯渇するといろんな組織が訴えています。米国内務省の資料によると金はあと10年、銅は2038年にはなくなるそうです。どう思います? もし銅がなくなったらデジタル産業は止まります。サウジアラビアは石油がピークアウト(産出量が最大から減少に転じる)したので原発を作ろうとしています。

資源が枯渇したらどうなるでしょう? 『マッド・マックス』の世界になります。資源の奪い合いです。あれは20〜30年後の地球でしょう。あと20〜30年で破局です。いま幸せだとしたら、それは「知らぬが仏」です。「知らぬが仏」は大切なのかもしれません。知らないで過ぎることができればその方がいいでしょう。もしかしたらこんなことを言っている私の方がおかしいのかもしれません。私の言うことなんか信じない方がいいのかもしれません。

尾:竹村さんはこの話を聞いてどう思いますか?

竹:その通りだと思います。食料の危機、水の危機がやってきます。温暖化でヒマラヤ氷河がもうすぐなくなります。ヒマラヤ氷河は中国インドの地下水の源流でした。それが枯渇すると20〜30億の人たちが水を失います。「知らぬが仏」とおっしゃいましたが、私は知らされてないことに怒りを感じます。

先日民主党が勝ちましたが、これから直面しなければならない問題は水資源、ピークオイル、加えて高齢化ですね。五年後には高齢者が1000万人になります。人口の半分が50歳以上の社会が30年程度で到来します。どうしますか? 僕はそれをリセットするためにも東京オリンピックを招致したかった。危機の認識は星野さんと一緒です。しかし、同時に希望も伝えたい。

かつて1980年には自然エネルギーと言っても風力も太陽熱も1%以下でした。それで何ができるのと言われていた。しかし、いまではそれらが原発の発電能力を超える可能性が出てきた。再生エネルギー、特に水素エネルギーは実現に20年ほどかかりますが、その基礎はこの5年で作られます。

レアメタルが足りなくなっていますが、それもチャンスです。どうやって集めるかの技術革新が生まれるでしょう。

バックミンスター・フラーはすでに再生エネルギーのビジョンを持っていました。

再生可能エネルギーのうち、太陽、水力、風力、バイオマスなどはどれも太陽のエネルギーが由来です。もし太陽エネルギーをすべて電力に変換したら、必要な電力の一万七千倍になります。(この記述、メモが曖昧なのでまちがっているかもしれません:筆書) つまり効率的に受けとることさえできれば、十分に太陽光がもたらすエネルギーが基幹エネルギーになる可能性があるのです。このことこそ子供たちに伝えましょう。

ゴア元副大統領が「不都合な真実」という映画を作りましたが、「好都合な真実」もあるのです。太陽を中心とするそれに見合った文明を作るべきなのです。日本は日の丸でもわかるように太陽を象徴としています。エジプトのラーも太陽神でした。

水の需要にも希望があります。水は地球上から減りません。降る雨の1/30を貯蓄できれば量的に枯渇しないで済むのです。日本ではかつて水田で保水していました。貯水量は800億トンだったといわれています。琵琶湖の三倍です。すでに大きな施設では雨水を貯水をしています。国技館が有名ですね。すべてのビルが同様のシステムを持てば、かなりの水が使えるようになります。この水の偏在性をなくすマネージメントシステムを世界に広げることで、かなりの問題は軽減できるでしょう。しかし、それでも中国インドの枯渇を防げるわけではありません。しかし、世界中の技術やシステムを集めることで乗り越えられるかもしれません。

吉田太郎が1989年のキューバについて書いています。1989年と言えばベルリンの壁崩壊です。それ以降、キューバでは飢饉が始まります。もともとキューバは作ったサトウキビをソ連に高く買ってもらい、資源を安く売ってもらっていた。ところがソ連も崩壊が近くなるとそれができなくなる。結果としてキューバは資源不足になってしまいます。ガソリンが来なくなってしまったので田舎で農産物を作っても都会まで運べないのです。そこでどうなったかというと、写真のように(スクリーンに映す)都会で農業を始めるんです。その結果、220万人の人たちが100%無農薬の農作物を食べられるようになるのです。

最近では7億人ほどが都市農業をしていると言われています。中国の上海では自給率75%、食糧自給率ほぼ0と言われるシンガポールでも食糧自給について考えている。(鶏や卵は100%と聞いた気がするが、本当か?:筆者) 都市の食糧自給はこれから大切になると思う。なぜなら雇用を創出し、貧困対策になり、高齢化の対策にもなるからだ。だから丸の内でも都市農業をやるべきだとずっと言ってます。

この5年で地球を変える基礎を作らなければならない。その推進力になるのは君たち子供たちだと、このダライ・ラマのイベントを通じて、ダライ・ラマをシンボルとして伝えたい。

尾:未来をどうするかについて情報を共有することがますます大切になりますね。

星:いま竹村さんから聞いたそれぞれの話は正しいのでしょう。しかし、経済学的に考えると疑問が残ります。太陽光発電のためにこれからたくさんの太陽光発電パネルを使うことになるでしょう。ドバイでは広大な砂漠を太陽光パネルで敷き詰めたり、EUも発電量の15%を太陽光にしようとしています。しかし一方で、レアメタルや銅などが20年ほどで枯渇するという報告があります。2050年には需要量だけで鉄は埋蔵量を超えるだろうと言われています。それほど資源が足りないのに、どうやって新しいインフラストラクチャを作るのでしょうか? 本当に太陽光発電などを世界に拡張できるのでしょうか? そのプロセスで資源がなくなったらどうなるのでしょうか? 竹村さんのおっしゃっていたようなポジテイブなビジョンは、経済学的に成り立つのでしょうか? 資源が減ってきてコストがあがるでしょう。その状況で果たして投資はできるのでしょうか? 財源は確保できるのでしょうか? ローマクラブが成長の限界というレポートを出し、それが1972年に翻訳されました。第二報告書が92年頃、三度目の報告書が2005年、4度目が2012年に発表されると言われています。

2001年にメドウズが来日した際、2030年がクリティカルポイントになると言ってました。最初の報告より早まっています。

科学者の報告は個別的で、資源配分など俯瞰的な視点が欠けています。地球の状況をすべて定量化した人はまだいません。人類は断片的な知識しか持っていないのです。

尾:では、人口が減少した方がいいということでしょうか?

星:人口が減少するというのはどういうことかよく考えてください。それは死滅していくと言うことです。マッド・マックスのような状態になると言うことでしょう。早く自給自足の体制を作ったところは生き残れるかもしれません。

竹:エネルギー消費を80%抑えることは可能だと思います。東京オリンピック以前は食糧自給率は80%ありました。つまりほとんど国内でまかなえていたのです。国内でまかなえればエネルギーは減らせますし、地産地消を徹底すれば80%のマイナスは可能だと思います。

たとえば車は走るために使うエネルギーは10%でしかない。その他のエネルギーは熱になって逃げてしまう。つまり車は走るかまどのようなものなのです。そのうち、人が移動するために使われたエネルギーは1%ほどでしょう。車を走らせるというのは、ほとんどが実は「人の移動のため」ではなく、「人を移動させるための無駄」で成り立っているのです。もっと効率の良い交通手段はいくらでもあります。このように考えて行ければ100億人くらいが地球上で生きていけると思います。

『成長の限界』はひとつの幻想です。欠乏の危機を煽る。「すべての人に安全な水を供給するために」という名目で水道を作ったが、結果として貧困層は水が得られなくなったという例がたくさんある。その強化ロジックが「資源が足りない」だと思う。資源を言い訳に恐怖政治をおこなってはならないと思うのです。米国は恐怖と不安で人を縛ります。希望で未来を作るか、恐怖で未来を作るか、それで人の未来は大きく変わるでしょう。

SF作家のアーサー・C・クラークはよく予言者と言われます。自分で衛星を設計したりもしました。そんな彼が晩年に懺悔をしました。「いまや太陽エネルギーを手にして、ずっと先に起こると思っていたことが、もうすぐ実現してしまう」と。つまり、過去の状況の積み重ねで推測する未来よりも、実際の現在の方が先に進んでしまったと言っているのです。

サハラ砂漠もソーラーパネルで埋め尽くそうとしていますが、その原料はそこにある砂に含まれている二酸化珪素です。現在は鉄でなくてもいい資材に鉄を使っていたりします。科学技術の進歩によって鉄以外の構造体が可能になるでしょう。20世紀でおこなわれていたことをそのままシミュレーションするのではなく、21世紀のクリエーションを加えない限り、正しい予測はできないでしょう。

星:2003年に出た月尾嘉男さんの著書に『縮小文明の展望』という本がありますが、G20なとで経済縮小について語られるべきだと思います。もう縮小経済に移行せざるを得ないはずなのに、なぜかその話を聞いたことがない。経済学者が言いたくないのか、国際会議で語られないのか、それが不思議でならない。

竹:私が地球環境について興味を持っているモチベーションの根幹は、この地球があり得ないほど貴重な実験をしていると言うこと。生命を育んでいる星はいまのところほとんどない。地球の歴史上でも現在は希有な状態。この豊穣さを次の段階に進化させるのが大切だと思う。次の段階に行けるかと人類の可能性は大きく広がる。いま僕たちがいるのはリスペクトすべき星の上にできた貴重な状況と言える。

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プロフィール

【竹村 真一】
1959年生まれ。
京都造形芸術大学教授。Earth Literacy Program代表。
東京大学大学院文化人類学博士課程修了。
地球時代の人間学を考究しつつ、ITを活用した独自な地球環境問題への取組みを進める。
Sensorium(97年アルス・エレクトロ二カ・グランプリ受賞)、デジタル地球儀「触れる地球」(05年グッドデザイン賞・金賞)や「100万人のキャンドルナイト」「aqua scape」など、さまざまなプロジェクトを推進。環境セミナー「地球大学」主宰。
07年「water」展ではコンセプト・スーパーバイザーとして企画制作に携わる。
08年7月の北海道・洞爺湖サミットでは、 国際メディアセンター(IMC)内の環境ショーケースにおける「地球茶室」の総合企画・プロデュースを担当。
「地球の目線」PHP新書、新著「環東京湾構想」(共著)朝日新聞出版、など著書多数。
ラジオ「GLOBAL SENSOR」放送中(J-WAVE,偶数月の最終日曜25時〜)。
竹村真一プロジェクトサイト: http://www.elp.or.jp/

【星野 克美】
1940年名古屋市生まれ、名古屋大学経済学部卒業
研究履歴:筑波大学社会工学系専任講師・助教授を経て、多摩大学経営情報学部・大学院経営情報学研究科教授
専攻:文明哲学、未来文明論、地球環境文明論、文化記号論、認知科学記号論(Semiotic Marketing世界的パイオニア)
学会:比較文明学会会員
主著:『地球環境文明論』、『社会変動の理論と計測』、『消費人類学』、『流行予知科学』、‘Semiotic Marketing and Product Conceptualization’など多数
NPO:日本技術者連盟会長、グローバルマネジメントアカデミー会長、日本プライバシー認証機構会長
創作:形而上詩、環境文学