2月12日にkyobashiTORSOで、『ロンドン五輪2012から東京五輪2020へ 〜 成熟都市五輪の成功をロンドンから考える』と題された講演会がおこなわれた。講演者は山嵜一也氏。
山㟢さんはなんのあてもないのにロンドンへ行く。ロンドンの建築事務所に勤め、世界的な建築に携わるためだ。しかし、なかなかうまくいかない。一番の問題は語学だったという。ある大きな建築会社が「模型作りのためにだったら雇ってもいい」という。しかし、山嵜氏は建築がしたいことであって、設計図から模型を作るなんてしたいことではなかった。しかし、そこでしか雇ってもらえないからそれを受け入れる。そのときその建築会社のある人がこう言ったそうだ。
「模型作りを通して、その言葉をなんとかしろ。勝負はそれからだろ」
山嵜氏は模型をせっせと作る。そのなかに、ロンドン五輪の会場の模型があった。その当時は気にもしていなかったが、後年、オリンピックの会場を一部任される。入った建築会社が会場デザインを担当していたのだ。任されたのはレガシープランと馬術大会の現場監督だった。