クビャール・トロンポン

オカさんのクビャールトロンポン

2004年母が死んだ。母には僕が幼いころから繰り返す口癖があった。
「私は死ぬまで生きるのよ」
幼い僕には意味がよくわからなかった。死ぬまで生きているって当たり前なことだ。
あるとき母に尋ねた。母は答えた。
「死ぬまで元気で生きるってことよ」
母はその言葉どおりの死に方をした。前日まで元気だったのに、ある日ぷっつりと死んだのだ。

母が死んで二ヵ月後、僕はバリ島にいた。毎年恒例のニュピツアーに来ていた。ある日ティルタサリの演奏を聴きに行った。そこでオカさんのクビャールトロンポンを見る。クビャールは1930年代、マリオという当時有名な踊り手が作った踊りだった。男が女装してきらびやかな女の舞を舞うのだ。そのことをミゲル・コバルビアスの著書「バリ島」で知る。その踊りが進化して、現在ではトロンポンという楽器を演奏しながら舞うようになった。オカさんは現在クビャールトロンポンの一番の名手なのだ。以前からうわさには聞いていたが、そのときはじめて見た。見ながら僕は深く感動し、涙を流した。踊りを見て泣くなんて初めてだった。そのときはなぜ泣けるほど感動したのか、理由がわからなかった。

その晩、夢を見た。死んだはずの母が家に向かって歩いていた。僕は母がまた死んでは大変と心配しながらその様子をうかがっていた。母が家に向かって歩いていたので先回りして自転車で家に行き、玄関前に自転車を置いて物陰に隠れた。しばらくして母が来た。母は玄関前の自転車を見つけるとそのハンドルをさすりながら「大きくなったね、かわいくなったね」とささやいた。

そこで目が覚めた。バリ島のホテルの部屋の中。窓の外は闇に包まれていた。明るければ田んぼが見渡せるはずだった。胸が痛かった。胸の痛みを抱えて階下に降り、トイレにしゃがんだ。トイレはシャワーと一緒で、かつては屋根がなかったのだろう。いまではプラスチックの波板が乗せられていた。そのトイレにしゃがみ、今見た夢の意味を探ってみた。
「なんであんな夢を見たのだろう?」
しばらくするとふつふつと意味が浮上してきた。

うちは四人家族だった。父と母と兄と僕。母はよく僕が女の子だったら良かったのにと言っていた。四人のうち三人が男で、女の母の味方がいないという訳だ。その話をされる度に僕は怒っていた。
「そんなこと言われたって男に生まれたからしょうがないだろう!」
自分が男だから母には共感できないと思いこんでいた。だから、心のどこかで母に共感していたとしても、それを否定して怒るしかなかった。そんな心の澱(おり)が僕の底にたまっていたのだ。それがクビャールトロンポンとそのあとに見た夢によって照らし出され、浮かび上がってきたのだ。その澱にはくっきりと「僕は女に生まれれば良かった」と標(しる)されていた。

そのとき、トイレの屋根の波板が「ポツン、ポツン」と鳴り始めた。雨が降り始めたのだ。雨は次第に強くなり、波板の音は次第に「ザーッ」という音に変化していった。母の涙と僕の涙が雨となって押し寄せてきた。

ゲイとかレズとか、僕にはあまり興味がなかった。いまでも同性を好きになるという感覚がわからない。だけど、自分が女に生まれれば良かったという感情が、僕の心の底に澱のようにたまっていることを理解した。その感情を味わった。

僕は同性愛を認める気持ちはまったくない。しかし、そのことで悩む人がいることに多少の共感はできるようになった。クビャールトロンポンと母の夢のおかげで。