ピエール・テイヤール・ド・シャルダン年譜

ヌースフィアの概念を生み出したピエール・テイヤール・ド・シャルダンの年譜です。少しずつ内容を加えていく予定です。→(書名)p.・・ とある場合は、そこに関係した内容が書かれています。
年号のあとに月日を書きますが、月日が書かれてない場合は、その年のいつであったかは不明です。

1841年
祖父ピエール=シリス・テイヤール、ヴィクトワール・バロン・ド・シャルダンと結婚。

1844年
父アレキサンドル=ヴィクトル=エマニュエル生まれる。

1853年
母ベルト・ド・ドンピエール・ドルノワ生まれる。

1881年
5月1日 テイヤール家の第四子として、フランス中南部マシフサントラル山岳地帯にあるオルシノ村字サルスナにてマリ=ジョゼフ=ピエール・テイヤール・ド・シャルダン生誕。

1890年
5月10日 ルシール・スワン、アイオワ州スーシティにて生まれる。

1892年
4月 ヴィルフランシュ=シュール=サオーン(ローヌ県)にあるイエズス会経営のノートル・ダーム・モングレ高等中学校入学
5月26日 母の参列のもと、モングレで初聖体を受ける。

1895年
12月8日 聖母への献身の誓願を立てる。

1897年
8月2日 最終学年哲学級賞品授与式にて、七つの賞、一つの褒状、同窓生から名誉賞として五冊揃いのフランス人名大百科辞典が授与された。

1899年
3月20日 エックス=アン=プロヴァンスのイエズス会修練院に入る。

1900年
10月 ラバル市の修練院に移り、修練期の後期を終えると同時に哲学課程に進むに先立ち古典語、一般教養に専念する文学修士期(ユニオラート)に入る。

10人の兄弟姉妹がそろう。

1901年
3月25日 初誓願を立てる。
10月〜1902年10月 ベルギー国境近くのボンセクールにてユニオラート(文学修士期)二年目。
『テイヤール・ド・シャルダン』竹田誠二著によれば、ユニオラートの二年目はイギリス領ジャージ島でとなっている。

1902年
10月〜1905年10月 サン=ルイ学院哲学研究過程

1905年
9月〜1908年末 エジプト・カイロのサント・ファミーユ高等中学校にて化学と物理学の講師。
海産化石の研究に専念。→テイヤール・ド・シャルダン竹田誠二著p49

1908年〜1912年 イギリス、オール・プレイス(サセックス州ヘスチングス)で神学研究課程。ピエール・シャルル神父(1883-1954)に会う。

1911年
6月7日 姉フランソワーズ、上海にて天然痘で帰天。→テイヤール・ド・シャルダン竹田誠二著p54
8月24日 両親列席のもと司祭に叙品。翌日、両親は息子から聖体を拝領。
この頃にチャールズ・ドーソンと知り合う。

1912年
7月半ば パリ博物館古生物学教授マルスラン・ブール(1861-1842)に対面。
8月27日-9月4日 ベルギーのルーヴァン大学にておこなわれた宗教民族学会に出席 一ヶ月滞在を延ばしてベルギー各地をまわり古生代地層の研究調査

《エオアントロプス(曙人)事件》チャールズ・ドーソンがロンドン自然史博物館にピルトダウン人の化石を提出(1950年代に偽物とわかる)。
ルシール・スワン、ジェロール・ブルームと結婚

1913年
6月末 スペイン北西部一周。アルタミラ洞窟、サン・フェリス・デ・ブエルナ「苦悩のかまど」洞窟、オビエド市近郊のピミアンゴ、(おそらく)ピンダル洞窟を訪ねる。

1914年
7月 第一次世界大戦勃発
12月 徴兵検査ののち招集。第13看護小隊に配属。

この頃に『創造的進化』と、独自の思想との違いを意識する。→(テイヤールの生涯Ⅰ p.90)

1915年
1月20日 第8モロッコ狙撃兵連隊(6月22日、第4アルジェリア歩兵狙撃兵混成連隊と改名)に配属
5月15日 伍長に進級

1916年
11月25日 大尉昇進

『宇宙的生命』執筆。→『テイヤールの生涯Ⅰ p92』

1917年
8月13日 『神秘の場』執筆。
9月 『前線への郷愁』執筆。→『テイヤールの生涯Ⅰ p95』

1919年
3月10日 除隊
7月   復員者のための特別国家試験 地質学研究証書試験《良》で合格
10月  植物学研究証書試験《可》で合格

『物質のうちなる精神の力』執筆。

1920年
2月28日 手紙「最後の学士試験の準備に夢中になり、時おりへとへとになっているのに気がつきます…」→『テイヤールの生涯Ⅰ p79』
3月19日 動物学研究証書試験《可》で合格
6月16日 レジョン・ドヌール五等勲章を授与される
8月 渡英。ピルトダウンで「発見」された頭蓋骨に感銘を受ける。

地質学者グレンジャー(米国自然史博物館)と知り合う。
「ジャージ島の構造に関する覚書」出版。

1921年
7月5日 始新世前期の哺乳類と地層に関する学位論文を提出

最初の四半期間にスイス・バーゼルの科学者シュテーリンと親交を結ぶ。

1922年
3月22日 始新世前期の哺乳類と地層に関する学位論文公開審査。審査委員会を完全に満足させた。
3月25日 オーギュスト・ヴァランサンに「原罪を歴史的見地からどのように考えるか」と題するエッセイを送る。→1924年11月13日の手紙の理由
8月7日、または8日 バーゼルのシュテーリンを訪ねる。
8月 ブリュッセルで開かれた学会で中国地質調査所所長代理の科学者ウォンウェンハオに会う。

「フランスの始新世後期の哺乳動物と当時の地層」という論文で博士号を授与され、パリのパトリック学院の地質学助教授となる。→『テイヤール・ド・シャルダン』竹田誠著p65 3/22とかぶっているのか? 前期と後期の違いがある。

1922年から23年にかけてソ連のヴェルナツキイがパリのソルボンヌの講義で「生物地球化学的な現象を生物圏の基盤として捉えた講演」をしている。それを受けてル・ロアが1927年のコレージュ・ド・フランスの講演をおこない、そこではじめてヌースフィアの概念について発表する。

1923年
2月 フランスからリサンへ電報を打つ。「一年の予定で行く..」→生涯Ⅰ p.109
北彊博物館マルスラン・ブール館長が中国に招く。→テイヤール・ド・シャルダン竹田誠二著p66
4月6日 マルセイユを出航。
5月17日 上海着。
5月23日 天津着。
6月7日 北京へ。地質学会出席。リサンの研究成果を発表。ブリュッセル大学の学生だったウォンウェンハオに再会。
6月11日 天津出発。
6月12日 天津からオルドスに向かう。→テイヤール・ド・シャルダン竹田誠二著p68
7月6日 オルドス砂漠に着く。→テイヤール・ド・シャルダン竹田誠二著p69
7月6日〜13日 吾拉臭河拉(ウラシュホーラ)の化石遺跡にテント生活。→テイヤール・ド・シャルダン竹田誠二著p.69
7月16日 シャラ・オソ・ゴル(紅柳江)からブルイユ神父に手紙を書く。→神父と頭蓋骨p.113
8月15日 クリストフ・ゴードフロワ神父に手紙→神父と頭蓋骨p.112
8月25日頃 W.W.デービス教授、ジョージ・バーバと張家口に行く。第四期前期の層の重要性を指摘。後日バーバとリサンは多数の化石を発見。

オルドス砂漠で『世界に捧げるミサ』執筆。

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LOVE NOTESリーダーからの返信

『昴』の出版記念祝賀会の書き込みの疑問、「昴=プレアデス=マカリイ」はなぜ心の時代のキーワードとしてつながるのですか?」とLOVE NOTESのリーダーヒロ川島さんにメールで質問しました。以下がその返信です。

———–

どうも。元気ですか?

 

暫く会わないでいると1年があっという間に過ぎてしまいますね。

反省!・・9月9日はお誕生日おめでとう!!遅いか!!ごめん。

 

で、久しぶりにメールが来たと思ったらプレアデスの話ですかい・・。

 

・・・何故にプレアデスが「心の時代」のキーワードなのか?

 

実は最近、僕はあまり所詮「理屈」でこういう事を定義づけを

あえてしないようにしてるんですが・・・それよりも演ろうと・・・。

ただ、まあ屁理屈大好きのぼくとしてはですね(笑)・・・

最初に断っておきますがこれは全くの個人的な持論ですよ。

 

創世期に地球人の創造に関わったアヌンナキ(神々の会合)

と呼ばれる意識体はもともと星座の周波数で言うとプレアデス

と共鳴していました。

(まあそれを「プレアデス星人」と呼ぶ人もいますが、僕は物理

世界での理屈は距離感とか重量感とか質量とか、イメージ的に

限界があるので周波数とか、波動の法則は例えば音楽の様に

「見えない実在」として考えるようにしています)

 

さて、そのアヌンナキの目的は地球上に自分達の集合意識の

「端末」として人類を生み出し「生命の繰り返し=進化のエンジン」

としての有限な機能である肉体を持った人間が、代を重ねて

進化・成長することで「美」という人間の普遍的て固有な感覚を自ら

エネルギー化してゆく役割を与えた。というお話です。

 

したがって、「美」の真の価値を人類が見つけるために、

そのアジェンダとしてバイオ・スフィア→テクノ・スフィア、そして

ヌースフィア(精神圏)さらに→???といった進化過程も彼ら

アヌンナキ即ちプレアデスと共鳴する意識によるものなので、

人類の大きな流れ上でヌースフィアに至るプロセス=「心の時代」も、

ま、同様に彼らプレアデスの目論見である。ということでしょうか。

 

実際のところ、昴・プレアデス・マカリイ・・・きっと他にもたくさん

呼び名があるのでしょうが、地球のどこから見ても、あの可憐で

カラフルな6つの星が放つ光の美しさは人の心の周波数をしなやかに

上昇させるのでしょうね。

 

そういった意味では「心の時代」のワンネスという課題を誘導

するのは、他ならぬ「美」であって、そこに皆が意識を集中

する事によってチューニングが統一されて、全てが共鳴できる、

という事に繋がるのかもしれません。

 

今、TVでちょうどイスラム世界の問題を取り上げた番組をやって

ました。するとある人がこう言っていました「同じ言葉を話せばいい

のさ。そうすれば奴らの気持ちも判るだろう」と。

 

ところで最近、実は新しいウクレレを開発したんですが、僕はその名を

「Cocolo=ココロ」と名づけました。廃材を使ったウクレレです。

別にココロの時代を意識したわわけではなく、コロコロと良く鳴るので

「コロコロ→ココロ」としました。そのココロは「チューニングしろ!」です。

とてもよく出来た楽器なので、日本やハワイだけじゃつまらない。

「世界平和楽器」として世界中にも広げたい!!と念じたら、早速

イギリスのファッションデザイナーのPaul Smithさんが気にいってくれて、

コラボすることになりました。http://www.lovenotesjoy.com/hiro/

 

それともうひとつ、BS日テレの年始特番で「ラブノーツ・イン・ハワイ」

という僕らの番組が放映されることになりました。1月1日の午前1時 から1時間です。今、編集作業でスタジオに缶詰状態です。

http://www.lovenotesjoy.com

いやーーまた語ってしまったよ。近々会いましょう。ではでは。Hiro