今年もニュピにバリ島に行ってきました。今回印象に残ったことは三つありました。
まずひとつは、日が昇る前にブサキ寺院に行き、入口で日の出を待って入っていきました。とてもきれいでした。アグン山が朝日に輝き、神々しい感じがしました。しかもアグン山の全容が見えました。滅多にないことです。
僕たちの直感は水のきらめき ゆらめくように浮かんでは消え
今年もニュピにバリ島に行ってきました。今回印象に残ったことは三つありました。
まずひとつは、日が昇る前にブサキ寺院に行き、入口で日の出を待って入っていきました。とてもきれいでした。アグン山が朝日に輝き、神々しい感じがしました。しかもアグン山の全容が見えました。滅多にないことです。
2015年12月3日、秩父夜祭の最中に開催された一般社団法人「まつりごと」の主催による『秩父夜祭フォーラム』にて講演をさせていただきました。そのときの概要です。
つなぶちようじの自己紹介を簡単にする。しかし、それだけでは説明しきれないという話。自分がいったい誰か?というのは、短い時間では説明しきれない。同様に「神とは何か?」や、「祭とは何か?」や、「神様を信じるとは?」など、なかなか一言では答えられない。
つなぶちはほぼ毎年のようにバリ島のニュピという祭に参加している。なぜそんな祭に参加するようになったのかというと、大学生の頃、ガムランのCDを聞いて、鳥肌がたったから。当時のつなぶちは「鳥肌が立つ=寒い・気持ち悪い」としか思えなかったため、ガムランを「気持ち悪い音楽」としか認識できなかった。
ところが時が経つに従い「鳥肌が立つ=寒い・気持ち悪い」以外の解釈もあるのではないかと思うようになった。それが決定的になったのは、2000年頃、作家田口ランディさんとヴォイスヒーラーの渡邊満喜子さんとツアーを仕立てて屋久島に行ったことがきっかけになった。山奥にある縄文杉を見に行こうとしていたが、その前日、田口さんの知り合いが縄文杉に行く途中に建っている廃校になった小学校の校歌の楽譜を持って来た。その校歌を廃校となった小学校前で歌って欲しいというのだ。そこでホテルのピアノを借りて練習した。縄文杉に行く当日、途中までバスで行ったのだが、そのバスの中で校歌を練習した。はじめは普通に歌っていたのだが、あるとき、ある場所から多くの人がなぜか涙が止まらなくなった。僕も特に悲しい訳でもないのになぜか泣いた。そのとき鳥肌が立っていた。いったいその感覚は何か? 後日、渡邊さんにそのことを話したら「つなぶちさんは神秘的なものを感じるのに鳥肌で感じるのではないですか?」と言われ、そうなのか?と思うようになった。すると実際にそうかもしれないと思うようなことにときどき出会うようになった。
ニュピという祭は毎年3月か4月の新月の日におこなわれる。その日はバリ島中の人たちが「外出しない、食事しない、火を使わない」という、日本で言えば物忌みとか、籠りという日だった。
ニュピの前日にはオゴオゴという祭をおこなう。ねぶた祭のねぶたのような大きな鬼のハリボテを町中で引き回し、土地におりてきた悪鬼を払うという儀式をする。それは節分に似ていた。節分は旧正月にやるものである。ニュピもバリ的に言えば、暦が新しくなる正月のような日におこなうものである。
ニュピの前日、ウブドの交差点でブタカラのお祭りがおこなわれていた。一時間近く炎天下に立っていたので、木陰に入って休んでいたら、隣に怪しげな風貌の男が立っていた。リュックに「脱原発」と書かれていたので話しかけてみた。
「話しかけてもいいですか?」
「あ、ありがとうございます」
「原発の反対運動をしているのですか?」
「はい、さっきもそこで立っていたら警官がやってきて追い払われました」
「立っているだけで追い払われるの?」
「インドネシアでは脱原発を公で訴えると法律違反なんだそうです」
「なんで?」
「日本がインドネシアに原発を輸出しようとしていて、それに反対することを禁じているんです」
「そうなんだ。それでバリ島に来たの?」
「世界中旅してます」
「脱原発を訴えて?」
「はい、そうです」
「ホームページとかはあるの?」
「友達や仲間が作ってくれています」
「あなたのしていることをどうやって調べたらいいの?」
「ありがとうございます」
そういって一枚の紙切れを手渡された。