ニュアンスの狂い

6月12日(水)の夜に代々木で開催されるレゾナンスCafeでお話しをする。そのことを告知するメルマガに以下の原稿を掲載しました。

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タイトル ニュアンスの狂い

最近、ニュアンスの違いが問題になっていると感じる。その違いはときどきニュアンスが狂っていると思うときもある。それが先日はっきりした。

「死ぬなら一人で死ね」という言葉だ。川崎の殺傷事件で犯人に対して浴びせられた言葉が発端となっている。犯人に対して「死ぬなら一人で死ね」というのはわかる。何の罪もない子供や外務省官僚を殺して自殺したのだから。しかし、その言葉がネット上では前後関係が抜け落ちて一人歩きする。それに対して有名人などが「ネット上でそのような言葉は使わないでください」と発言して炎上した。

かつて、インターネットが一般化した98年前後、本当に文章のうまい人は、ネットに書く文章をどう書いていいのか悩んでいた。なぜなら、ネットは誰が読むかわからないからだ。文章はコミュニケーションのためのものだ。手紙を書くときは相手を知っている。その人に向けての言葉を書けばいい。雑誌もある程度の想定読者があった。10代後半の男の子とか、社会的地位を持ったお金持ちとか。ところがネットではまったく誰が読むのかわからないから、微妙なニュアンスというものをどう込めていいのかわからない。本はその多くが著者のことが好きで、その人の文章を読むために買うものだ。だから作家は自分の本を読む人に向けて書いた。しかし、ネットではそうは行かない。

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