反原発運動が盛り上がりを見せている。以前にも表明したとおり、僕は原子力発電を完全に止めるべきだと思っている。そのために「TohokuBlogs.com」を立ち上げた。しかし、最近はあまり反原発の活動をしていない。なぜかというと、次のことを考えるべきだなと思うから。反原発はこのまま行ってきちんと原発が稼働停止するかどうか微妙だ。なぜ微妙なのかを考え、その理由を可能であれば取り除きたいと思っている。いきなり書くと不思議に思われるかもしれないが、原発完全停止の歯止めになっている問題のひとつは、いじめ問題なのではないかと思う。なぜかを書いていこう。
大津市のいじめ
今朝のニュース番組を見ていてふと思ったのは「日本の精神的土壌はいじめなのか?」ということだ。そのきっかけはもちろん大津市のいじめ問題だ。そのニュース番組ではこんなことを言っていた。
教育の現場ではいじめをした生徒を守ろうとする。なぜならば、教師側の問題を露呈したくないから。
とてもわかりやすい。そして、これなら大津市の教師たちを糾弾できるだろう。しかし、それだけでいいのだろうか? 何かここにも割り切れないものを感じる。なにが割り切れないのか。もしかしたら、立場さえ違えば、自分がその当事者になってしまうのではないかという疑念だ。