日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか

捕鯨・反捕鯨関係の本を探していて『日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』を見つけた。著者の星川淳さんには二、三度お目にかかっている。とても穏やかな雰囲気を持ち、理知的で、お話ししているとこちらがとても落ち着ける人だった。そんな星川さんがグリーンピースの代表になったと聞いたとき不思議な感じがした。グリーンピースと言えば、過激な抗議をする団体という認識を持っていたからだ。星川さんの雰囲気と僕が持っていたグリーンピースに対するイメージには大きな隔たりがあった。しかし、そのことについて特に調べはしなかった。ほかのことに忙しく、そのことに対する疑問はしばらくして忘れてしまった。

アマゾンで『日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』を見つけたとき、すぐに買うことにした。アマゾンでは読者の批評が掲載されている。そして、その本の価値を五つの星で表すことになっているのだが、この本には平均して二つ半しか星がついてない。しかも、星五つがふたつ、星四つがひとつ、星三つがみっつ、星二つがひとつ、そして星一つが六つなのだ。とっても不自然。しかも、星五つをつけた人たち以外は全員この本を否定している。「いったいなぜ?」と思った。星川さんが書いた本がそんなにひどいものとはとても思えなかったからだ。

届いた本を読むとなるほどと思う箇所がいくつもあった。まずこれを読んで良かったなと思うのは、海外の人たちが反捕鯨を日本にだけなぜそこまで強行に訴えてくるのか、その理由がわかったことだ。この本に書かれているように丁寧に説明してもらえば、確かに海外の人が日本に捕鯨をやめさせたくなる気持ちがよくわかる。もっと書けば、メディアが捕鯨擁護の話しか国内には伝えていなかったのだなというのがはっきりする。日本はもともとまわりの様子を見て意見を言う人が多い。それがいいときもあれば、悪いときもある。

この本の終わり近くに日本人の捕鯨に関しての意識調査をまとめたところがある。その文を読んで笑ってしまった。

つまり、こういうことかもしれない。

「食べるな」と欧米から言われることに関しては強い反発を感じる。だから立場は「反・反捕鯨」=「捕鯨支持」。しかし、自分はとくに食べたいわけではない。食べるとしてもごくたまに、ちょっとあればいい。ときどき懐かしくは思うけれど、なくて困るわけではない。でも、日本のどこかにきっとクジラを食べるのが好きな人たちがいて、そのなかには文化的にクジラがなくてはやっていけない農山漁村の善男善女が含まれ、婚礼の膳や正月料理にクジラがないのはクリスマスにケーキがないこと以上に重大な文化の欠如で、彼らのためにも「捕鯨は必要」(でしょ……)という思考の展開なのだ。

これがあまり現実味をもたないことは、いままでの章で見てきたとおり。

恥ずかしながら、まさに僕が考えていたようなことだ。さらに星川さんはこんなことも書いている。

南極海はれっきとした公海であり、なおかつ国際社会が永久に商業捕鯨を禁止しようと決めたサンクチュアリ(鯨類保護区)である。そこに棲むクジラたちは、けっして一国の占有物ではありえない。それを日本が一国だけ、圧倒的な国際世論の反対を押し切って、こじつけ的な”調査捕鯨”を強行することも理解されがたいのに、たとえなんらかの理由で商業捕鯨が再開されたとしても、日本がクジラを独占できるはずがない。

さらに、別の章で近海の汚染の状況を説明した上で、こうも書いている。

ようするに、日本政府はこのまま “調査捕鯨”で一定の鯨肉供給を維持したいのが本音と断定していい。もっとあけすけな本音は、捕鯨官僚や捕鯨議蓮の一部が口をすべらすように、「沿岸捕鯨の鯨肉は汚染がひどいから、クリーンでヘルシーな南極海のクジラをどうぞ」というところだろう。しかし、それではあまりにも”調査捕鯨”の表向きの目的とかけ離れすぎているし、野生生物保護の理念に逆行するのはもとより、国際社会の一般的モラルも踏みにじる。世界の食糧援助総量の2倍近い年間2300万トンもの食べ物(国内消費3分の1)を捨てている飽食日本が、汚染の少ない鯨肉ほしさに”調査捕鯨”を隠れ蓑にした南極海の密猟を公然と行っているとは、口が裂けても言えまい。

これがそのまま事実かどうか、僕は捕鯨官僚や捕鯨議蓮のひとたちに会ったことがないので実際のことはわからないが、この本を読んできたら信じてもいい気になってしまう。そして、大きな問題を抽出する。

本当の意味での伝統文化に根ざした持続可能な捕鯨をめざすなら、まず何よりも日本の海の健康を取りもどすことに全力を注ぐべきだろう。海そのものや河川水系に流れ込む有害物質を限りなくゼロに近づけていくことに、もっともっと真剣に取り組むべきだろう。ハイテク大国に、そのための技術はあるし、ごみの分別収集に世界一熱心な国民性を、水系保全に生かす方策もまだまだ工夫できるにちがいない。ないのは政治的な意志と制度設計だけ。かつて公害を克服した日本は、この分野でアジアを、世界をリードする潜在力をもっている。

そのうえで将来、近海にクジラたちがもどってきたら、伝統的かつ限定的な沿岸捕鯨を見直せばいい。もともと鯨肉の国内需要はさほど大きいわけではないのだから、慎ましい沿岸捕鯨と「寄り鯨」とで十分まかなえる。むしろ、それでまかなえる程度の鯨肉を大切に食べる文化こそ、未来に向けて(再)創造していくに値するのではないか。それを国際社会に認めさせることは、けっして難しくないはずである。

僕はすっかり説得されてしまった。しかし、反捕鯨ですと立場を取るにはまだ時間をかけていろいろと考えたい。

ここで出てきた近海の水質汚染については次のエントリーで書くつもりだ。

この文章が気になったり、もっと詳しく知りたいと思ったり、反論したくなったり、「えーっ」と思う人は、実際に本を買って読んでみてください。